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居場所とはなんだろうか?

昨日「居場所の未来」というイベントに参加してきた。

登壇者は豪華すぎるメンバーであり、後ほど当日の内容についてまとめた記事を載せれればと思う。
今回は、登壇の中でずっと僕が気になっていた、「居場所ってなんだ?」ということについてつらつらと書いておきたいと思う。

居場所とは「依存できる一番弱いところを傷つけられないところ」

東畑さんは「居場所とは何か?」という問いに対して、
「依存できる場所であり、一番弱いところを傷つけられないところ」と表現していた。

たしかに、弱い面を出し、自分自身を場に預けられるからこそ、居る場所となるし、一番弱いところを傷つけられないからこそ、安心感があるから、また来たいと思う。たしかにそうだ。

しかしながら、「より深く居場所と感じられ」「持続可能である居場所の形」と考えたときに2点加えたいと思うことがある。

それが、
①傷つけないだけでなく、認知していること
②そして依存しあえる関係性であること

だ。

傷つけないだけでなく、周囲と自分が認知している

 傷つけないだけだと、自分が認識にしている弱さや、生きづらさに触れられないことも含まれる

「触れないこと=見て見ぬ振りをされること」なので、むしろ居にくくなることもあることがあると思う。

自分の弱さを周りは感じている気がするが、特に触れられない方が、実は怖い。周りがどう思っているのかわからない方が苦しい。

だからこそ、周囲と自分が抱えている弱さをお互いに認知し、それを傷つけないという状態がとてもいい関係なのではないか?と思う。

依存するでなく依存しあう

依存される側は、相手のケアに追われるため疲弊することもしばしばである。

東畑さんの「居るのはつらいよ」でも書かれていたデイケアのように、ケアする側の疲弊が目立ち、居場所は持続可能でなくなる。

僕らが持つ居場所の中では、依存するでなく、依存しあう。そういう相互作用的な関係性が重要なのではないかと思う。

最後に

自分なりに書いてみたけれど、まだまだまとまらない。そしてまた、いくらでもかけてしまう。つらつらと。

どこかで一気にディスカッションしてまとめたいなと、思ったので、誰か壁打ちしてほしいーなんて思いました。



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