「任される」とは何か?個性を生かすためのマネジメントを考えてみた。

任されるとはなにか?

任されるとはなんだろうか?
ふとそんなことを朝から考えている。

任されるとはなんだろうか。

仕事を任された時に、いつも困るのが報連相の粒度だったりする。

どこまでを「報告」にし、どこまでを「相談」にすればいいのか?いつも僕は困る。

そして、報連相を必要とする「任せる」とはなんだろうか?結局任されていないのではないか?という感じもしてきた。。。

初めのインターンでマクロマネジメントをされた

マネジメントにおいて考えるとき、いつも一番初めの上長の僕に対してのスタンスを思い出す。

NPOカタリバでのインターンが経過して4ヶ月経過した頃。当時の僕は大学2年生になったばかりだっただろうか。基本的なスキルや立体的に組織の都合を理解したころ、マイクロマネジメントで、細かいタスク分担をされるよりも、改善したいところや、課題感だけを伝えられて、とにかく自分なりに山登りをするようなマクロマネジメントの仕事の仕方をするように言われた。

当時の上長はよく言っていた。
「●●には一つ一つ何をすべきか伝えた方がいいけど、けいは山の頂上だけ伝えた方がいい」

当時はよくわからなかったけれど、あの時の言葉が今になるとすごくよくわかる。

僕は「個性」を知らない間に当時生かされていたのだ。

一生懸命に働くことを認めてもらいたい。

僕は大学2年生の時、毎日のように汗水垂らし、自分で考え、組織内の仕組みづくりや研修、ボランティア育成に奔走していた。
周りから見ても成果を残していた。
いつも熱気溢れながら仕事をしていて、周りからはゾーンに入っていると言われていた。

そして思っていた。こんなに頑張ってるなら、もっと認めてもらってもいいのではないか。

1on1で認めてもらえない

 僕は1on1で思っていた。ひたすらに頑張っていた自分を認めて欲しい、褒めて欲しい。「貢献してるぞ!」と言って欲しい。

しかしながら、上長は1度たりとも僕のことを褒めることはなかった。
唯一の承認は、「お主は活き活きしているな」という言葉だった。

どうしたら認めてもらえるのだろうか、そんなことを面談後に考えたこともあった。

「頑張ってるな」と言われたかった。「期待通りの活躍だ!」って言われたかった。
1on1の後、いつもそれに凹んでいた。でも心落ち着けて、目の前のことに日々自分なりの意味を持って向かっていた。

「頑張ってるね」なんて言われたくない

そんなことが3ヶ月くらい続いたある日のこと。
上長との1on1の初めに僕が言ったことがある。

「頑張ってるね」なんて最近なんだか言われるのを求めてない。
(上司だけだタメ語だった笑笑)

当時の上司の反応はおどろいた感じだった。直接聞かなければわからないが、「成長したなー」と感じたのかもしれない。
承認のことよりも、コトに向かっていることに強みを活かせるようになっていると感じるようになっていたのかもしれない。

僕は、「頑張ってるね」という言葉がしっくりこなくなっていた。
なんだか「頑張ってる」っていうよりも、「生きているね」がしっくりくる感じだった。

苦しかったわけじゃない。いやでやってたわけじゃない。だからなにか「頑張ってるね」がしっくりこなかった。

この時は頑張って認められるよりも、
コトに向かう刺激に敵うものはなかった。

承認されることよりも、自分を生かすことに気持ちがいっていた。

そう、自分を生かすことに、焦点が向かっていた。この時僕は無敵だった。

**

承認されることを求めるとマイクロマネジメントになる**

多くの人が子どもの頃から評価されて育っている。
評価とはその人の外部にある評価軸を元に、それに対して足りているかどうかを見るものである。
そうすると外の評価を満たすことを目的とし、「認められたい」という外発的な動機が強くなる。
ゴール地点は「認められること」である。
なので、いつも自分の個性を生かすよりも、周りが必要としている自分像を求める。

いくらマクロマネジメントをされても、上司だったら、周りだったらどうするかに焦点が当たり、必要でない「相談」が過剰になりマイクロマネジメントを求めてしまう傾向になる。

個性を生かすと「その人にあった」マネジメントになる

しかしながら、生まれながらにして、人には自分の個性がある。
その個性は自分のリズムを生かすことだとこの頃考えている。
僕にとってのリズムとは、大きな目的だけ示され、それに向かって自由に進んでいける場である。逆に目的がない中で進むのは得意ではない。

だからこそ、自分を生かすために必要なマネジメントとして、当時は、マクロマネジメントをされていたのだと思う。

ここでの味噌は、個性を生かすとは「マクロマネジメント」である。ということではないということだ。なんでもかんでも「ティール型」にすればいいわけではない。

細く教えてもらう「マイクロマネジメント」の方が個性を活かせる人だっている。だからこそ、「ティール型」ではなくて、そこにいるメンバーに合わせた「〇〇型」をその組織の個人に合わせてデザインする必要があると僕は思う。

ハード面を整えて、ソフト面を考えないのは、大きな誤りだ。

自分の個性を生かすために必要なマネジメント

着想を広げまとまっているようでまとまっていないnoteをいつものように書いてしまった。

難解なところもあるかもしれないがお許しいただきたい。

この記事を書いて伝えたかったのが、「自分の個性を生かすにはどのようなマネジメントをされることが向いているのか?」を考える意味である。

一人一人が自分にあったマネジメントのされ方を理解しておくと、上長や周りとの相互理解が進み、良質な関係性が築かれると思う。

僕もこの後上長にこれらのことをちゃんと伝えようと思う。

任されるとは何か?

最後に、「任される」とはなにか。

僕は今の所「自分の個性を生かして、思うように目的に対して自分の色をつけること」だと思う。

仕事には目的が紐付く。だからこそ、その目的に対して、自分ができることは何かひたすらに考え、自分を生かすことだと思う。

その過程でわからないことや、自信を持ちきれないことは、質問をする。相談をする。あくまで、自分なりに動きながらの相談である。

周りが求めている動き方は考えすぎずに。そうでなければ知らず知らずのうちに、マイクロマネジメントになってしまい、任されたはずのものが、自分じゃない誰かのものになってしまう。それが個性の生かし方ならば良いが、そうでないならば、見つめ直す必要がありそうだと感じる。

「任される」とは何か?まだまだ考え続けたい。


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