諦めることと、大人になることは一緒じゃない。
息が切れる。夏は歩くだけで疲れる。
今日は夏休みの最中、大学に来ていた。
なぜなら高い学費のおかげで、在学生はジムが使い放題だからだ。せっかく払ってもらっているなら使い倒さなければ損だし。
そんな僕は定期的にジムに通う。
「体を動かすとテストステロンが分泌され前向きになることと、知識を繋ぐシナプス細胞が増加するから僕は鍛えるんだ」という心理学の知識を並べてみたが、陳腐にも聞こえる。
正直なところ、最初に始めた高校生の時は
・カッコよくなりたい
・肺活量をあげて歌を上手くなりたい
・腹筋を割りたい
なんてことばかり考えていた。
大学生の今はそんなことも気にせずに
頭を空っぽにして走りたい。
カチッと容器を開け、ワイヤレスのイヤホンを耳に入れる。「trun on」と流暢な英語とともに女性の声が流れる。僕のスイッチもここで入る。
青い床には、黒と銀の器具が整然と並べてあり、使用者がおらず退屈そうだ。
夏休みの昼間。
大学のジムに人がいるわけもなく
僕はプライベートジムかの如く、くつろぎながらトレーニングを始める。
いつもと同じように器具をガチャガチャと動かし、メニューをこなしていく。そして自分の身体が限界を迎えるたび、息が漏れる。
全身を鍛え終わったら、
最後に恒例の『魔の30分走』が待っている。
すでに疲労困憊のまま、これで終わりだと言い聞かせて、ランニングマシーンのスイッチを
僕は押した。
成功は自分が諦めた一歩先にあるはずだから。
目の前のタイマーが、僕の意識を遮る。
「邪魔だな、あとどのくらい走るのかかんがえちゃうじゃないか」
首にかけていたタオルをかけて、タイマーは行方をくらます。
景色の一部に焦点をあて、ひたすらに走る。
背景が全て、一眼レフで撮った写真のように
どんどんとボヤけていく。身体はゼンマイ人形の様に、勝手に足を回し進む。
以前は、走りながら頭が空っぽになるのが
気持ちよかった。
でも今は、背負ったものが多く頭が空っぽにならない。
代わる代わる何かが浮かんでは
「これからこうしよう」と決め消えていく。
「僕はなぜあの時こうしたのだろう」
という自分を見つめる瞬間も多くなった。
BGMとなる曲の歌詞も、よく頭に入ってくる。
”15の頃も不安から逃れるように…”
昔はまだ来ないと思っていたのに、気づけば15歳なんてとうの昔に過ぎていた。時間なんて気づけば本当にあっという間だった。
何を守ろうとしてたんだ?
失ってしまったら本当に困るものまで届いていないのに。
確かに僕はまだ、何も届いていない。
諦めることと、大人になることを背中合わせにはしないで。
まったくその通りだ。この言葉が大好きだ。
諦める理由より、やれる方法を探そう。
僕は止まるのが、本当は怖くて。
何もかもが一緒に止まってしまいそうで。
まだ終わらないでくれって祈るように走って。
いつか起きる奇跡を信じて。
いつも思う。
このまま頑張れなくなったらどうしようか。だからきっと止まることなく走り続けている。
本当に走り続けたもの勝ちなんだと信じて。
いつも自分がキツくて、諦めた一歩先。
第一関節分の距離にはきっと成功が待ってる。
ただそれは、先の見えない自分からすると
途方もなく遠い気がしてくる。
だから最後まで手が伸ばせるように。
いつも僕はそんな思いで30分を、1秒でも長く走りきる。きっとフォームは見るに堪えないぐらいかっこ悪いだろうが、知ったこっちゃない。
そうして気づけば
目の前のタイマーは30分はとっくに過ぎていた。
僕らは子どものままではいられない。
でも無邪気な夢を諦める必要もない。
子どものような無邪気さを隠すために、無理に大人になる必要はないんだ。
大人を言い訳に、自分のやりたいを諦めるような人には
ならないよう自分ができること…
いつまでも考えていたいものだ。
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