名馬の思い出 その1 ホクトベガ
ネタ切れの日には……
適当に思い出の名馬を語っておけば毎日ブログ更新を維持できてお得!!
ということで、思い出の名馬について、語っていこうかなと。
もちろん、思い出の順番にということで、古い話からスタートです。
その名馬とは……
ホクトベガ!!
そう、ダート最強馬です(断言)
最初にこの馬を見たのは、まだ競馬もよく分かっていない頃。
「ベガはベガでもホクトベガ」
あのレースがたまたま、見ていたテレビで流れていて。
なんとなく、覚えていたわけです。
で、時は流れて……
友人の影響で競馬を見始めるようになった頃。
地方とJRAの交流が進み、「交流重賞」なるものが全国各地で行われるようになっていって……
牝馬ながら、牡馬相手に大活躍をしていたのが、この馬!!
ホクトベガ!!
だったわけです。
18馬身差で勝ったエンプレス杯以降ダート10戦10勝!
牝馬で牡馬相手に現在のJpn1級を複数勝つだけでも、その後の交流重賞の歴史でもありえないくらいの快挙(コーリンベリーやら、サンビスタやら、1つずつくらいは勝てるにしても)で、しかもエンプレス杯以降のダートでは1度も負けていない。
日本代表として、世界最高賞金レース「ドバイWC」に挑むことも当然の流れであった。
しかし、そのドバイの地で悲劇が起こってしまう。
悲劇の最初の一歩は、何十年に1度のスコール。
これによって、レースが延期になり、順調に調整されていたホクトベガの歯車がひとつ、狂った。
さらに、延期後のレースはその雨によって固まった、馬の脚に対して優しくない状況になっていた。
そして、レース。
4コーナーの僅かな窪みに脚を取られたホクトベガは転倒。
後続の馬に追突され、後ろ脚を複雑骨折してしまう。
サラブレッドにとってそれは致命傷だった。
予後不良。
すぐさま、ホクトベガは安楽死処分をされてしまう。
検疫の関係で、亡骸の帰国も許されず、ドバイの地で埋葬されることになったホクトベガ。
彼女は文字通り、ドバイの星となった。
引退後は欧州での繁殖入り。
その夢は果たされずに終わった。
生涯獲得賞金8億8812万6000円は、のちにウオッカに破られるまで、牝馬の最高獲得賞金であった。
余談ではあるが、そのウオッカも、引退レースに、このドバイWCを選択し、その後に欧州での繁殖入りが報道された。
ウオッカのドバイWCの前にも、やはりスコールで延期の可能性が取りざたされた時にはその悪夢がよぎったし、ドバイWCを回避して欧州での繁殖入り、と報道された時には、ホクトベガにあるはずだった未来を、ホクトベガの記録を破ったウオッカが、替わりに歩んでくれるのだ、と感じた。
それまで、ファンでもなかったウオッカだけれど、ぼくにとってはホクトベガの夢の続きを見せてくれる存在となった。
だから、ウオッカの産駒が、いつか大活躍をすることを願ってやまない。
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