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歌舞伎の楽しみ 〜だんまり〜

「だんまり」とは、古くからの歌舞伎の演出の一つで、暗闇の中で繰り広げられる無言劇の形態で、歌舞伎独特の演技の様式といえます。
場面は、主に山の中の古い神社などちょっと不気味な場所で、月明かりさえなく、一寸先も見えない暗闇の中にどこからともなくさまざまな役柄の人物が現れて、宝物などを奪い合うといった形式がお決まりのパターンになっています。

お互いに相手の着物や刀などに触れてはっと手を引っ込めたり、ぶつかりそうになって身をかがめたり、コミカルな仕草も含まれて手探りでゆっくりと動く様子が演じられます。
登場人物たちはお互いに見えないのですが、観客には全て見えているのがミソで、長い芝居の中でこの場面だけは前後のストーリーとはあまり関係なく、いきなり多くの人物が舞台に登場することがお決まりになっています。
これは「だんまり」が、元来「顔見世狂言」の一つの場面として演じられ、その時一座を組んでいる役者の紹介をする、披露の趣向として演じられると言うケースから始まったものだからと言えます。

端的に言えば、「だんまり」は、歌舞伎の演技・演出の様式で、独特のユニークな舞台のことを言い、元の意味は「黙り(だまり)」で、文字通り、ものを一言も言わずに進行する芝居で、いわば「無言劇」と言ってもいいでしょう。

原則的なパターンを紹介します。
① 浅葱幕を吊ったまま、大薩摩の演奏が豪快に唄われます。
  幕が切って落とされ、深山や野道の場面、荒涼とした古い辻堂などの凄みの
  ある場面、背後は真っ暗闇を顕す黒幕の人里離れた僻地。
②   下座の「せり出し」の鳴物で、舞台中央の大セリで、数名の様々な扮装・役柄
  の花形役者が端役の賊を抑えてセリ上がってきます。同時に、上手下手から
  いろんな人物が出てきます。
③    最後に辻堂の扉を開けて一座の座頭が出てきます。
  座頭役者はざんばら髪の百日鬘に四天の衣裳をつけた大盗賊とか回国の修験
  者(六部)で、他には、家老、若侍、女盗賊、姫、腰元、狩人、婆、女房など
  種々雑多な人物ばかりで、なぜこんな夜の山奥にこんな格好で現れるのか?
  全く理解できません。
④ 手探りで、あるいは気配によって近くに人物と悟り合い、足音を潜め、丁度
  水の中を漂うように動き、人の肩、衣裳や刀の鞘などに触れて、ハッと手を
  引いたりぶつかりそうになってサッと身をかわしたりします。
⑤    彼らは真っ暗の闇の中で、旗、系図、巻物、香合、金包み、密書など重要な
  品を探り合い、奪い合うさまを角々の美しい見得を交えて衣装を引き抜いて
  「ぶっ返り」などなど舞踊風に見せます。
⑥   「カケリ」と言う下座の音楽で幕が閉まると、座頭役者は花道で六方を踏みな
  がら幕外の引っ込みを見せます。

歌舞伎には「一声二振り三男」という言葉があります。
これは、歌舞伎役者の評価の基準ともなる「セリフ術」が第一ということですが、「だんまり」ではこれを一切発揮させない仕掛になっています。
歌舞伎においては、役者の「仁(にん)」「風格」「風姿」芸の基本になる「動く形の美しさ」「間の取り方」などをしっかり味わうためには「セリフ術」を封じた「だんまり」の場面が極めて効果的と言えます。これが「ニ振り」です。

一座の大立者が揃う「だんまり」は、ある意味グロテスクですが、絵画的には美しく見ていて見飽きないものです。昔の役者評判記には常に「だんまり」の出来を特筆して多くの絵師までも「だんまり」の場面を作品に残しています。

なぜ「だんまり」はそれほど重要視されたのでしょう?
明治の名優四代目中村芝翫の言葉に
 「俳優の技量はおおよそ暗闘(だんまり)にて知るを得るなり」ごあります。
昔の役者が夏巡業などで演っていた最初の一幕は一座の役者紹介で「お目見得
だんまり」という演目がありました。
「お目見得だんまり」のお目見得とは
   役者側・・・観客に顔を知ってもらい贔屓を願う心
   観客側・・・この人間がどれ位の技量を持っているかを見定める
ということで、この一幕でその役者の技量がわかるというのです。
セリフも、筋も芝居もなく、ただ暗闇で行ったり来たりする間に、その役者が
どれくらい「身体の態(こなし)」がついているかがわかる、と芝翫は言っているのです。
つまり、「だんまりさえ見れば、その役者がどれくらい上手いか下手か、どれくらい踊りが踊れるかはすぐわかるということです。
そういう意味で、この短い無言劇だけで、その役者の身体の持ち味、芸の品位、芝居のうまい下手、動きの味わいがわかってしまうのです。いわば役者の技量鑑定の場でもあるわけです。

「だんまり」も、時代の変化とともにだんだん分化してきます。
 「お目見得だんまり」・・・旅興行などで一座のスターを披露する「口上」の
           代わりに一幕の「だんまり」を演じる。
 「顔見世だんまり」・・・毎年11月の顔見世に一座の顔ぶれを紹介する演目
   例えば独立分化した例として
   「鯨のだんまり」 鯨に見立てた黒幕を破って腹の中から海中に泳ぎ出る
   「宮島のだんまり」 傾城が実は怪盗で、半身が遊女半身が盗賊の両性
          具有者の姿で「傾城六方」の男女入り混じった歩く芸

宮島のだんまり

 「だんまり」はまた時代物の系統を踏む「時代だんまり」と世話物の中で演じる「世話だんまり」へと分化していきます。
よく知られている「世話だんまり」には 「東海道四谷怪談・隠亡堀」の場、黙阿弥の「白浪五人男・神輿が嶽」「盲長屋梅加賀鳶」が有名で、大抵は登場人物が手紙や密書、などを奪い合う場面に使われています。

四谷怪談の世話だんまり
白浪五人男の世話だんまり
盲長屋の世話だんまり

「世話だんまり」は、その場面で手に入れた品物は次の場面以降で、証拠の品ともなって謎が解明される場面へと続いていくことが多いようです。
つまり、独立した一幕ではなく、この場以降に続く一場面と言えます。
特にこう言った場面を「だんまりほどき」と歌舞伎用語で言っています。


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