枯れた街

初めてラヴェルのクープランの墓を、少しなりとも「あ、分かった」と思った瞬間のことを、今でも鮮明に覚えている。2013年の3月、おそらく平均からしたら比較的遅めであろう、僕にとっての人生初海外はパリだった。着いて初日だか2日目だか、忘れてしまったけれどその朝、やっぱり嬉しくって朝食前に散歩をすることにした。当時のiPhoneに入っていた、とにかくなんでもいいからフランス物を聴きながら、と思い、それがたまたまモニク・アースのクープランの墓だった。まだ季節は冬であったから、日は登っていたけれど暗い朝。場所は、ポン・ヌフの辺りだった。灰色の空とセーヌと、ベージュの建築の、溶け合った、寂れた景色。それは僕の勝手に思い描いていたパリとは、随分違う景色だった。渇いた街だ、と思った。雨が降っていた。

その時聴いた音源がモニク・アースで、ほんとうによかったと思う。彼女の音は、その街の色合いと見事に結びついて僕の脳裏に強烈に記憶された。その枯れた演奏は、僕の中での決して褪せることのない理想として今でも心の中で凛と存在している。
何年もが経って、僕自身の演奏の具体的な方法は、変わったのだろうと思うけれど、この作品の僕の中での理想の像(image・イマージュ)は以来、一塵も揺らいでいないと思う。ひとが音楽を長く続ける理由の一つは、変化する、成長する自分を見るためではなくって、決して変わらぬ自分を何度も再確認するためなのかもしれない。

それで、今日は初心に戻るべく、今一度モニク・アースのクープランの墓を聴きながらパリの夕暮れを散歩した。今回は、もう春がすぐそこまで来ているみたいで、街は鮮やかに、かがやいていた。
夏時間ーーーサマータイムが今日から始まった。つまりそれは、1年のうちで最も美しいと思う、パリの季節が、もうすぐやってきてしまうということだ。そして1年のなかに、最も美しい、時期がある、ということは、かなしいかな、最も美しい時期とはずっとは続かない、という意味だ。だから人生には、無駄にできる時間など一瞬たりとも無い。今日も、生き急がなくてはならない。時間は去りゆく。最も喜びに溢れたこの街の、決していつまでも続くとは限らぬその瞬間を、強く強く味わう為に、しっかりと、しっかりと、今日も必死に急がなくてはならない、そのことを今一度、噛み締めた今日であった、なんだか不思議な、言いようだけれど。

モニク・アースMonique Haasのラヴェル。
https://youtu.be/Jf3iv3nVb-I

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