ホームをレスした話(1)

2014年のバレンタインデーに、私は、ホームをレスした。

当時、私は東京の渋谷界隈で彼女と同棲をしていた。この日、彼女から「話がある」と言われ、私は「バレンタインデーだから、チョコかな?」などと呑気に構えていた。が、彼女の口から出た言葉は「あなたとの未来が見えない。だから、別れたいと思う」という、チョコよりもビターな別れ話だった。小一時間程度の話し合いを経て、私たちは別れることになった。私は、渾身の哀愁を漂わせながら「じゃあ、俺が家を出るよ…(ふっ…)」とワントーン低めのボイスで彼女に伝えた。ら、彼女はテンポよく「いつ出るの?」と問う。当時、東進ハイスクールの伝説講師でおなじみ林修先生の「いつやるの?」に続く「いまでしょ!」という言葉がめちゃめちゃ流行をしていた。私は、条件反射的なあれで「いまでしょ!」とワントーン高めのボイスで答え(てしまっ)た。

この日、東京は近年稀に見る豪雪を記録していた。いまでしょ!と言った手前引くに引けなくなったこともあり、まあ、付き合ってもいないのに同棲を続けるのは変だよなということにして、一時間程度で荷物をまとめて玄関に立つ。彼女に、いろいろな気持ちを込めて「じゃあね」とお別れを告げる。彼女も、多分、いろいろな気持ちを込めて「じゃあね」と返す。あとはなにも言葉にならなかった。ただ、あらゆる感情をかき集めて模造された笑顔だけが残った。玄関の扉を開ける。家を出る。雪道を歩く。喫茶店に向かう。珈琲を飲む。三年近く付き合っていた彼女だ。いろいろなことがあったなあとしばらくの間感傷にふけりながら、ふと、重要なことに気がついた。私が失ったものは、彼女だけではなかった。生きるために最低限必要とされている衣と食と住、そのうちの『住』をあっさりと失っていることに気が付いてハッ!とした。雪の日に、私は、いつの間にかホームをレスしていたのだ。

感傷に浸っている場合ではない。それよりも家だ。昨日の恋より今日の屋根だ。そう思った私は、まず、阿部という友達に連絡をした。これこれこういう事情で家がなくなった。だから、今夜泊まらせてくれないか。阿部は言う。それは大変だったな、それなら全然うちを使ってくれ。肉でも食うか。と。阿部は優しい男だ。私は阿部の家にお世話になり、同時に焼肉をご馳走になった。翌朝、連泊をするのも悪いと思い、感謝を告げて家を出る。そして、私は桑原という友達に連絡をする。これこれこういう事情で家がなくなった。だから、今夜泊まらせてくれないか。桑原は言う。それは大変だったな、それなら全然うちを使ってくれ。肉でも食うか。と。桑原は優しい男だ。私は桑原の家にお世話になり、同時に焼肉をご馳走になった。二夜連続の焼肉である。焼肉を食べながら、私は「これはおいしい」と思った。

家がなくなる(彼女に振られる)とみんなが優しくなる。家がなくなる(一時的な不幸に見舞われる)と焼肉が食える。頭の中で、こんな感じの方程式がビュビュッと成立をした。それならば、永遠にかわいそうな存在であり続ければ、永遠に人々からの恩恵を被り続けることができるのではないだろうか。絶滅危惧種ほど大切にされるということはなんとなく知っている。それならば、自らが率先をして絶滅危惧種であり続ければ、皆々さまから大切に扱われ続けるのではないだろうか。これは、もしかしたら自分の行く末にはおいしい生活が待っているのかもしれないなどと短絡的に思い、(三人兄弟の末っ子として生まれた)けいご坊やは、まあ、ダメだったらダメになった時に考えればいいや的なあれで、新しい家を見つける方向ではなく、末っ子根性を爆発させて生きる「家のない生活」を続ける方向に舵を取った。

阿部の家、桑原の家、両者の家にお世話になりながら(そして二夜連続の焼肉を喰らいながら)、私は、これはもう神様的ななにかから問われているのだと思った。それは「家も金も彼女も安定した収入も社会的な信用もなにもない、お前は、この状態を泣く道を選ぶのか、笑う道を選ぶのか、どっちだ?」という問いだ。どのような状態に置かれても、泣く道を選ぶか、笑う道を選ぶか、それは自分で選択をすることができる。神様的なサムシングから泣くか笑うかの二者択一を突きつけられた(と勘違いをした)瞬間、私は、条件反射的に「泣く道を選ぶのはダサい!」と思った。

私には、昔から「ダサさ回避に命を賭ける」という、あまり褒められたものではない性質があった。多分、これは任&侠の漫画や小説を読みすぎたからだと思う。金になるとかならないとか、経済的に安定をするとかしないとか、そういう基準ではなく「いまの自分はダサい、と思ったらアウト!」という謎のルールが独裁をしていた。言い換えるならば「野暮な人間は退場!」というルール、いかに金を稼ぐかよりも、いかに出世をするかよりも、武士は食わねど高楊枝的なあれで、いかに「粋であるか」が人間の器を決めると思っていた。

神様的なサムシングから問われたとき、前向きに笑いたいと思ったのではなく、なによりも先に「泣くのはダサい!」と消去法的に脳みそがぶるった。そして、その直後に『それならば笑おう』と思った。ホームや彼女をレスしたことを嘆いても、それが戻ってくる訳ではない。嘆いたら嘆いただけすべてが戻ってくるならば、小生、いくらでも号泣をする準備はできていた。が、そんなことは起こらない。それならば、この逆境を機会に飛翔をするしかない。男は女に振られることで人生が変わると聞く。その通りだと思う。振っていただいたことによって高速回転をはじめた我が身を、我が命を、自分自身でも振り切っていくしかない。自らにそう言い聞かせ、私は「笑う道を選ぶ」ことを決めた。この瞬間の二者択一は、以後、私の人生を根底から支える覚悟になった。

笑う道を選ぶと決めたまでは良かった。が、早速第二の壁があらわれた。それは「どんな風に笑うのか?」だ。自分が置かれている現状を、さて、果たしてどのように笑えばいいのだろうか。考えた。考えた。考えた。ふんがふんが言いながら頭をひねった。ら、前頭葉の片隅を「自分を出せ」という言葉がシュッとよぎった。自分を出さないと死ぬ。が、自分を出せばもしかしたらどうにかなるかもしれないと、そんな予感がシュッとよぎった。

ここは重要なポイントだと思うから補足をすると、私にあったものは「自分を出せば(宇宙が守ってくれるから的なあれで)絶対に大丈夫♪ルンルン♪」だった訳ではまったくなく、ただ「自分を出さなければ100%死ぬだろう。しかし、自分を出せばもしかしたらマン分の一の確率でどうにかなるかもしれない」という九死に一生を得たい的な希望だった。ああ、これは物語序章にしていきなりのラストチャンスなのだなあと思った私は、当時はじめたばかりのブログを通じて、全部、自分の良い部分もダメな部分も全部、自分に金がないことも仕事もしていないことも社会不適合な部分がおおいにあることもひっくるめて全部、「自分はこういう人間です」ということを書き綴った。

中途半端なやり方では死ぬと思った。素通りされて終わると思った。プライドは邪魔にしかならないと思った。自分が出せるすべてを出す必要があると思った。そして、そんな自分を面白いと思ってくださる方は、いつでも誰でもどうぞお気軽にご連絡をくださいませと、電話番号やメールアドレスや各種SNSやグーグルカレンダーのスケジュールなどと共に、個人情報保護法を能動的にぶった切ることで一切合切を公開した。

ら、奇跡が起きた。

(つづけ・・・)

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坂爪圭吾

ホームをレスした話

家なし生活(2年間)の日々をまとめました。
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コメント2件

初コメゲット
や〜ん!みっつぅ〜!
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