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俺たちはチームなんだ。

クロアチアのザグレブで車を借りて、初日はスロベニアのノボ・メストに行き、二日目はプリトヴィツェ湖畔国立公園からシベニクを経由してスピリトに宿泊、三日目はボスニアのネウムを経由してドゥブロブニクに宿泊、四日目はモンテネグロのヘルツェグ・ノビまで車を飛ばして、四日間で四カ国に足を運んだ。スタンプラリーみたいな旅になったが、異国が面白く「一回外に出ないとわからないこと」を痛感した。一日一回は事件が起きた。喧嘩をしたりチケットを紛失したり、車が壊れたり食い逃げをして店員に追われたり。普通じゃないことをした記憶が思い出になる。依頼主の方に「海外は懲り懲りだと思いましたか?」と尋ねたら「自分のポンコツ具合にうんざりしました」と言った。何処に行っても自分からは逃げられない。それなら、自分を好きになるのが一番だと思った。

クロアチアの人々はとにかく健康的に見えた。日焼けもタバコも気にしない。それなのに、肌が綺麗だった。シワはあるけど、シミがない。楽しそうに生きている高齢者たちは、枯れるのではなく「咲き切ろうとしている」ように思えた。海では全員ビキニになる。高齢者だろうが関係ない。老いも若きもスマホをいじっている人がいない。寝るか、読書をしていた。なぜ、こんなにも健康的なのだろう。大きな理由の一つに「見栄がない」からだと思った。アドリア海の人々から、見栄を感じることがなかった。着ている服も「私はこれが好きなの」という空気感だけが伝わってくる。流行り廃りがない。街中でも、煌びやかな看板やハイブランドの広告を目にすることが少ない。見栄を張る必要のない国では、自分を卑下をする必要もない。太っていようが痩せていようが、派手な服を着ていようが楽な服を着ていようが、全員、フェアだ。彼らに共通しているものは、一度きりの人生を謳歌しようとする姿勢だと思った。全員がフレンドリーで、こどものように可愛かった。

地中海料理が体に良いのもあるとは思うが、楽しく生きることが一番健康に良いのだと思う。勤務中だろうが極めて友好的に話しかけてくるクロアチアの人々と接していると、私たち日本人は国や社会から虐待を受けて育ったのかしらとさえ思った。なぜ、私たちは常にびくびくしながら、他人の評価や周囲の目線を気にして、自由にのびのびと生きることができないのだろう。自分はこういう人間だと自己開示をしてもらえたら、誰だって嬉しさを感じると思う。それなのに、自分を出せない。自分を恥ずかしい存在だと思って、隠したり、逃げたり、誤魔化したりする。クロアチアの人々は、愛されることよりも愛することに積極的に思えた。その存在は「何も恥ずかしがる必要はない。それがお前だ」と言っているように感じた。自分を卑下する必要も、自分をよく見せる必要もない。お前はお前だ。誰も、お前の美しさを奪えない。ありふれた哀しみの中に、永遠の輝きがある。何も恥ずかしがる必要はない。それがお前だ。

人生も旅もチームプレーだ。誰が上で、誰が下とか、関係ない。同じバイクの前輪と後輪のように、私たちは全体の一部を担っている。どちらかが支障をきたしたら、全体に影響が及ぶ。だから「私なんかに時間を使わせてしまうのは申し訳ない」などと思って、変な遠慮をする必要はないのだと思う。迷惑をかけたくないという思いが、やがて、より大きな迷惑になって返って来る。だからこそ、自分を隠すことより、自分のコンディションを正確に伝えることが大事になる。謙虚な振りをして、健気な振りをして、簡単に「ごめんなさい」と口にして、会話を終わらせて、本当は何もわかっていないのにわかった振りをしたり、本当は混乱しているのに平気な振りをしたり、本当は心が悲鳴をあげているのに笑顔で誤魔化したり、するな。理解できるまで徹底的に聞くことが、泣きじゃくりながらでも本当の話をすることが、自分や周囲のためになる。自分としっかり向き合いますとか、自分の殻に逃げてはいけないのだと思う。向き合うべきは自分ではなく、他人だと思う。自分ではなく周りを見る。世界が差し出していた優しさを跳ね除けていたのは、他でもない、自分自身だったことに気づいて欲しい。弱さを武器にする卑怯者にならないで欲しい。大事なものまで他者に明け渡さないで欲しい。変な遠慮がチームをダメにしてしまう。一人一人が、この旅の大事な構成要因なんだ。俺たちはチームなんだ。だから、もっと自分を出してくれ。

クロアチアなんて遠い憧れの地だと思っていたけど、行くと決めれば行けることがわかった。今回の旅で、私の可動域が広がりました。別れ際、依頼主の方はそう言った。日常と非日常の境界線は何処にあるのだろう。宇宙船に乗らずとも、私たちは地球という船の乗組員であり、この瞬間も宇宙旅行を続けている。大事なことは、旅を終わらせないことだと思った。日々、奇跡に心を動かし続けることだと思った。おもしろくてたまらないことをやろう。生活のためとか、誰かに認められるためとかじゃない、おもしろくてたまらないことをやろう。それをやっている瞬間は、愛されたいとか、傷つきたくないとか、嫌われたくないとか、そんな思いから自由になれる、ただ、生きている不思議に心をときめかせていられる時間を大切にしよう。これをやれるなら、金も要らない、女も要らない、そう思えるものが本当なのだと思う。そう思えるものが、簡単には揺らぐことのない「好き」になるのだと思う。おもしろくてたまらないことをやりながら、おもしろくてたまらない人々と生きる。たとえ、そのことによって死ぬことになったとしても、後悔はない。それは、死んだのではなく、生き切ったのだと思う。枯れたのではなく、咲き切ったのだと思う。好きの中に、全部ある。愛も、許しも、全部ある。

でっかいAUDYで約1000キロの中欧縦断の旅、本当にありがとうございました!
レンタカー開始10分でクロアチア語で案内されているハイウェイに乗り、いきなり150キロで追越し車線を駆け抜けていく圭吾さんの度胸と適応力にただただ見惚れてました。

ナビをまともに見れないどころか、あまりの眠れなさに日に日に注意力散漫になっていくポンコツ(私)を乗せて、本当っっっに疲れたことと思います(ごめんなさい、ピレ門にて失神しそうになりました笑)

旅の途中で「ずっと安全な場所にいたんですか?何か大事なものを明け渡しているように見えます」と言われ、その時は「そんなことないわ!!私だって七転八倒しながらちゃんと戦ってきた!」と思ったけど、

大学も会社も自分のやりたい事より偏差値や知名度などで世間的に良しとされる場所を選び、常に目標は与えられ、それが自分の本当にやりたい事かも考えずにノルマとしてそれを達成する。
それが良いとか悪いではなく、常に誰かに敷かれたレールに乗ってきたんだなと、今思っています。

最後まで「あなたはどうしたいんですか?」と問うてくれたけれど、「なんとなく皆んなで楽しめたらいいよねー」という事なかれ主義で無意識に自分が傷付くことを遠ざけてきた私と、恐らくレールから作っている圭吾さんとでコミュニケーションが上手く取れなかったんだろうなと。
何話せばいいんだろうとこんなに思ったことはありません笑。
他の人とはほぼ上手く行くのに…と負け惜しみがてら思ったけど、それは似たもの同士だからですね。

厳しいご指摘をたくさん頂き、生涯忘れないであろうメモリアルな旅になりました。
クロアチアの人たちの自然体の美しさと優しさに触れて、これまでを否定するのではなく、新しい世界を拡げていきます!その時の判断基準はいつもteam俺たち。で!

もう「別行動で!」って言われると思ってたのに、最後まで真っ直ぐに向き合ってありがとう!
厳しくて真っ直ぐで、その熱で私は常に温かったです。

おおまかな予定

9月23日(土)東京都品川区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

9月24日(日)日曜礼拝&わたり食堂【0円食堂】
https://note.com/keigosakatsume/n/n7826d029f90b

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!