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第54弾「ブラボー」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

54曲目はこれ。ブラボー。最近流行りの『逆与謝野晶子』という感じです。君、死にたまへ。的な。あたし、いつも思うんだけど「ダメでもいい」っていう価値観、これ、最強だと思うの。音楽、とりわけロックンロールの世界って、そういう力が強いと思う。これ、宗教も、似ている。一般社会と真逆の価値観を提示することで、落ちこぼれている人々を救済する。的な。

「ブラボー」 作詞・作曲 坂爪圭吾

足並み揃え おれだけドボン 
なんでおれだけ 傷だらけなんだ

血と涙 血と涙 血と涙だけが人生だ

しゃれになんねえ 笑えねえよ 神も仏もありゃしねえのかな
だったら ねえ しかたがねえ 今世は諦めてください

おお、なんて、ブラボー! 人間界のルール無視して
おお、なんて、ブラボー! 金持ちばかり喧嘩してる

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちやしねえと
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 既に自由だ
ムシケラと呼ばれても おれたちは最初から 虫の息
「でも、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

足並み揃え やっぱりドボン
なんでこんなに 欠陥(あな)だらけなんだ

傷つけて 傷ついて 避けらんねえ 業を抱え GO

我慢なんねえ しゃらくせえよ 善悪も清濁もありゃしねえ
だったら ねえ 逝くしかねえ この世のしがらみよ サヨナラ

おお、なんて、ブラボー! 揺籠から墓場まで おままごと
おお、なんて、ブラボー! 居心地悪い イスに座る

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
よろこびはどこからやってきて かなしみでどこまで行けるのだろう
なんにもないおれたちも まだ未来があるなんて聞いたよ
「なら、生きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

おお、なんて、ブラボー! 淀みに浮かぶ 不束者よ
おお、なんて、ブラボー! 無傷のままじゃ 生きちゃいけねえ

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちたかねえ もう
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 常に自由だ
おむかえを呼ばれても ボロボロになりながら 最後っ屁(ファックオフ)
「まだ、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
汚れちまってる悲しみも よろこびも 全部 引き連れて GO
ゴミクズと呼ばれても おれたちは最後まで 不燃ゴミ
「だが、燃え尽きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

この前、出版社のひとが、わざわざあたしがいる場所まで足を運んで「本、出しませんか」って言ってくれたの。熱意もあるし、誠意もある。本なんて、出したいと思って出せるものじゃないから、こういう機会を与えてもらっている自分は、幸せ者だと思う。でもね、その編集者の男性と話したあと、あたし、なんだかすごいさみしい気持ちになったの。こんなにうれしい話をもらっているはずなのに、心は、ひどく荒涼としたものになったのね。

感謝するべきことに、感謝できない。そういう心の状態がある。それでね、帰り道、ひとりで夜道をとぼとぼと歩いていたら、友達からLINEが届いたの。そこにはね、どうしようもなくくだらない内容が書かれていただけなんだけど、でも、そのときのあたしには「こっちの方が断然うれしいや」って思える、とても大きな力があったの。こういうの、あなたにも、なあい???よろこばしいはずの出来事が起きて虚しさを覚えたり、一銭の価値もないことに「生きててよかった」って手応えを覚える瞬間が、あるのよ。

話は変わるけど、この前「天使がいたとしたらどんな感じだと思う?」みたいな話を、したひとがいたの。普通、天使って、聖人君子みたいなイメージというか、純粋で、純潔で、汚れの一切ない『マザーテレサのこども版』みたいなものを、イメージするひとが多いと思う。でもね、その話をあたしにしてきた女性は、全然違うイメージをもっているの。そのひとからすれば、天使って『クソガキ』のイメージがあるんだって。悪気のない、クソガキ。無邪気で、天真爛漫な、クソガキ。だから、見る人が見たら、すごい腹が立ったりすることもある。そういう存在が天使だと思うって話してくれたの。

不肖坂爪、この話を聞いたときに「俺のことじゃねえか」って思ったの。清く正しく、は、無理。でも『無邪気で、天真爛漫な、クソガキ』だったら、結構得意分野かもしれない。こういうことを自分で言うのもあれだけど、あたし、思うの。生きていると「誰かのためになにかをしたい」なんて思うこともあるけれど、極論、自分が楽しそうに生きていることが、周囲の人たちにとって一番の社会貢献になるんじゃないのかな、って。言い方を変えると、自分が楽しそうに生きていることが、結果的に「他のみんなのよろこびにもなる」ってこと、あると思うのよ。これ、どう???どう思う???

この前、こんなメールをもらったの。「坂爪さん、いつも元気を与えてくれてありがとう。わたしも人に元気や幸せを与えられる人間になりたいです」って。あたし、正直、誰かを元気にさせるためになにかをやっているって自覚がなくて、ただ、自分を楽しませたい、自分をよろこばせてあげたいって思いのもとに、文章を書いたり、音楽を作ったり、しているのね。でも、自分が、自分を思い切り楽しませようとすることが、結果的に「誰かの楽しみにも繋がる」ってこと、これ、多分、絶対、ある。そして、思うの。自分のよろこびのためには、誰かのよろこびは不可欠だ。って。同じように、誰かのよろこびのためには、自分のよろこびは不可欠だ。って。どっちかだけ、とか、ないのよ。誰かのために善を為すとき、それは自分に対して最善を為している、なんて言葉もあるじゃない。これ、悔しいけど、本当だと思う。

自分とか、他人とか、ないのよ。他人に向けている言葉は、必ず、自分にも向けられている。自分を傷つけることなしに誰かを傷つけることなんてできないし、自分を愛することなしに誰かを愛することだってできない。逆に言えば、誰かを愛するとき、それは自分を愛することにも、なるのよね。自分なんてあってないようなものだから、誰といるか、なにをしているか、で、引き出される部分は随分と変わる。別にネガティブな意味で言っているわけじゃないけれど、人間ってさみしい生き物だと思うから、何かを好きだなって思えた瞬間に、ああ、生きててよかったなあって思えるのだと思います。

あたしこれから大阪に行きます。17日朝まで関西にいるから、誰か、会えるひとがいたら会いましょう。17日昼は、東京都西荻窪でイベントがあります。平日昼間の開催だけど、奇跡的に来れるひとがいたら、是非、遊びにきてちょーだい。あたしと話す時間、多分、楽しいと思う。楽しいというか、あたしから出る波動が、結構、いい感じだと思う。たとえるならば神社。あたしの存在が、モバイル不動明王みたいなものよ。と、こう言う風に、自分を肯定的に表現できる自分が、あたしは、結構好きだなあと思っています。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

5月17日(金)14時~16時@東京都西荻窪「hana」

5月26日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

6月2日(日)15時~17時@千葉県千葉市「N-HOTEL」

非常にありがたいことに、イベント出演のお誘いをいただきました。当日は、みなさまとお話をしながら数曲披露させていただくような、そんな感じで進みます。是非、生けいごちゃんの波動をリアルで感じてください。この前、過去に数回お会いした女性から「坂爪さんと会うと、必ずそのあとにいいことがあるから、私の中では『坂爪大明神』ということになってます!」くらいのことは、言われているのよ。とかなんとか、こういうことを書くと宗教っぽいから、やばいわね。まあ、いいや。だって、ホントなんだもん。

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!