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第75弾「あの星」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

75曲目はこれ。あの星。ちょっと歌詞が未完なので、メロディーだけでも刻めたら・・・これは佐賀空港の展望台で撮影した・・・周囲が気になって小声になった・・・デモ音源はあたしひとりの音だけど、これがバンドになったら超絶変わる。予定。これからはバンドの時代。いま、あたしは佐賀空港にいて、これから横浜に戻ります。みんなで音を合わせるのが、楽しみ。

「あの星」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

夢の陽に 染まる 海の色 空の音 まで
訳もなく 止まる 鳥の羽 超える 光を

僕の手を 握り締めて 高いところ まで
僕を 連れていって欲しい あの星 まで

愛を手に いだく 風の色 花の音 まで
明けかける 空に 月の舟 すすむ 光を

君の手を 離さないで 遠いところ まで
僕を 連れていって欲しい あの星 まで

僕の手を 握り締めて 高いところ まで
僕を 連れていって欲しい あの星 まで

君の手を 離さないで 遠いところ まで
僕を 連れていって欲しい あの星 まで

※※※ 動画では諸々をすごい間違えています ※※※

あたしは自分の連絡先を公開しているのだけど、まれに「これは確実に失礼だな」と思う連絡が定期的にくる。そういう時、一瞬、自分の連絡先(および生き方全般)を考え直してしまうことがある。自分をオープンにしているから、こんなバカを相手にしなきゃならないのだと。一瞬、自分をクローズにしそうになる。けど、ここで「はっ!」となって、オープンであることを続ける。バカのために門戸を閉じるのもアホらしい。いい人々が入ってくる可能性まで閉じてしまったら、あかんぜよ。俺。そんなことを思って、オープンであることを続ける。嫌なことのために、好きを犠牲にしたら、ダメ。

福岡で、すごい魅力的な男性に出会った。でも、彼は、自分のことを社会不適合者だと言う。嘘ばっかりのおとなが大嫌いで、それにあわせることができない自分は、社会不適合者だと。生きづらさを毎日感じるし、自分なんかダメだと思うことの繰り返しだ。と。あたしは、彼の、この誠実な言葉に胸を打たれる。それなら、あたしだって社会不適合者のままでいたいって、そう思う。自分の心を殺して生きるより、自分を出して死にたいと思う。自分を出し続けることで、痛い目にあうこともあるけれど、それでも「こういう生き方をしてきたからこそ、出会えた人々がいる」ってことは、これまでの全部を肯定する。素晴らしい人物と出会えたときに、恥ずかしくない自分でいたい。

自分にはなにもできないって、無力感にとらわれること、あるわよね。でも、本当は、絶対にそんなことってないわよね。なにかに苦しんでいるひとがいるとする。自分になにができるかはわからない。でも、実際にそのひとに会えば、手を握ることができる。なにもない自分にも、生きている限り『体温』はある。あたし、前に、家も金もなにもない生活をしていたときに、ああ、自分にはまだ体温があるじゃないかって思ったことがあるの。そのとき、ああ、これだけは俺が生きている限り絶対に奪われることのないものだな、って、思ったの。自分には、まだ、体温がある。それならば、この体温を、できるだけいい方向に使っていきたいと、そういうことを思った。

(4時間後)

無事に成田空港に着いて、千円のバスに乗って東京駅にきました。これからごちゃまぜの家(横浜にある「誰でも無料で使える家」)にお客様が来られることになり、急遽、猛ダッシュで帰る前の一服をしています。ごちゃまぜの家は、別に慈善事業のテイストでやっているわけじゃないんだけど、結果的に慈善事業チックなことをやらかしてしまうことがある。あたしは、基本「なにか面白そうなことが起こる装置」みたいなものを愛していて、家も、人も、なんでも、独り占めするより開放したほうが、楽しくなる、予感がある。無論、大変なことも起こるけど、それを補ってあまりあるジョイもある。

空港とか、温泉とかにいくと、テレビがついてる。そこで、常に「大阪吹田の拳銃強奪事件」の報道をやってる。犯人の顔はこれで、名前はこれで、生い立ちはこれで、性格はこれで、みたいな感じの断罪が続く。あたしは、それを見て「なんだかなあ」と思う。これを見て、犯罪者予備軍が、犯罪をやめるようには思えない。むしろ、こういう報道がイヤで、こういう世の中がイヤで、犯罪に走るのだと思う。逆効果だと思うのよ。ニュース。流せば流すほど、多分、世の中は物騒になる。まあ、物騒になればなるほど、儲かるひとたちがいる限り、こういう構造は変わらないのだとは思うけれど。も。

あたしは思うのよ。たとえば、働けないひとがいるとする。そのひとに「働け」ということは簡単だけど、なぜ、そのひとが働けないのかに心を寄せることは、難しい。でも、この難しいことに、価値があるのだと思う。殺すな、ということは簡単だけど、殺すところまで追い詰められた人間の心情を理解することの方が、深い人間理解を必要とする。こっちの方がずっと大事だと思うのだけれど、そういうことが報道されることは少ない。そりゃあ、誰だって、イヤになると思う。あたしは、どっちかって言うと、犯罪者側の気持ちに立ってしまう。自分も、ちょっと間違えば、そっちに行ってたと思う。たまたま、運が良くて、いまはそうならずに済んでいるだけなのだと思う。

「強くなれ」って言うのは、簡単よね。でも、冷静に考えると、強くなりたいと思う気持ちを持つことができるのも、環境の力なのよね。人間って、いったい、どこまでが自分で決めることができて、どこまで環境の力によって「決められてしまう」ものなのだろう。そのひとが悪いのか。それとも、そのひとが置かれていた環境が悪いだけなのか。人間の意思は、果たしてどこまで適用(通用)することができるのか。とか。そういうことを、考える。

ただね、あたしは「人間を諦めたくない」と思う。自分を含めた、人間全体を諦めたくないと思う。どんなに悪いひとにも、必ず、キラッと輝く部分がある。いいひとと悪い人がいるのではなく、ひとりの人間のなかに、いい部分もあれば悪い部分もある。多分、そういうことだと思う。いや、自分には悪い部分なんてない!なんてことを言いたくなることもあるけど、きっと、そういうとき、そのひとは『傲慢』になっているのだと思う。自分の意思を超えて、悪いこととか、罪深いことを、いつの間にかしてしまう。それが『生きる』ってことだと、なんとなく思う。だから、大事になるのが許すってことだと思う。罪をおかさないような教育も大事だけど、罪をおかしたときに、許し、許される情操教育とでも言えばいいのかしら、人間、どうしたって『やっちまう生き物』だと思うから、許すこと、大事だと思うのよね。

あたしだって、まだまだ未熟な人間だから、許せないことばかり。ちょっとでもイヤなことを言われると「お前は死ね」とか簡単に思っちゃう。ただ、ね、できることならば人間に寛容な世の中になればいいなあ、って、思う。だから、もし、自分が理想の世の中を考えるならば、自分から率先してそういう生き方をする必要がある。あたしは、そう、思う。世の中って、結局、個人の集合体なのだから「世の中が変われば、自分も変われるのになあ」とか、嘘だと思う。まずは、自分。自分を変えていくひとが増えたら、勝手に、世の中も変わっていくのだと思う。だから、あたしは、あたしを変えていきたいと思う。変わらなきゃ、とか、変わらなくちゃいけない、とか、そういう堅苦しい感じではなく「変わっていきたい」なあと、いまは思っています。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

6月30日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。もし、人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけたら最高にうれしいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!