第13弾「Before Ash」


ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

13曲目はこれ。Before Ash。直訳すると「灰になる前に」って意味。灰になる前には二種類あって、冴えない現実が続いて世界がモノクロ(灰色)に見えてしまうあの感じ、と、燃え尽きて灰になる前にというあの感じ、の、二種類。この曲、当初はお蔵入りする予定だったの。でも、ミユさんに聞いてもらったら、彼女、この曲はいいわよって励ましてくれて、それで公開をすることに決めたの。それくらい、あたしは、自分の曲に自信がないのよ。

「Before Ash」

会いたい 君の手が 欲しいよ
ただ 君の瞳に 映し出して いたいよ
この 冴えない現実が 目の前を灰に染め
戻れなくなる前に
透明なその声で 俺を白にして 欲しいよ

夜になって 星に乗り出して 歌になって
どうなるかなんて わからないなんて 言葉あてにして

ねえ 泣いたり 騒ぎ出した 君はどこにいる
もう 帰らない 思い出は 見たくない
この 焼け落ちる球体が 沈み行くその時を
ただの君と待っていたい
会いたい情熱が 灰になる前に 欲しいよ

会いたい 君の手が 欲しいよ
ただ 君の瞳に 映し出して いたいよ
この 冴えない現実が 目の前を灰に染め
戻れなくなる前に
透明なその声で 俺を白にして 欲しいよ

ねえ 泣いたり 騒ぎ出した 君はどこにいる
もう 帰らない 思い出は 見たくない
この 焼け落ちる球体が 沈み行くその時を
ただの君と待っていたい
会いたい情熱が 灰になる前に 欲しいよ

最近思うのが「『切ない』と言う同じ言葉を使っても、10の切なさを感じているひともいれば、100の切なさを感じているひともいる」ってこと。これまで、あたしは「自分が感じるように、みんなも感じているものだろう」って思ってた。でも、これ、結構違うみたい。あたしは多感症だからなのか、普通のひとが感じる100倍くらい、切ない、とか、さみしい、という感情を感じて生きているのかもしれないって、そういうことを思ったの。

誰にだってあると思う。普通のひとは当たり前にできることが、どうして、自分にはできないんだろう、って。そういう悩みってあるわよね。あたし、10代の頃から「みんなと同じでありたいのに、なぜ、自分はみんなと同じようにあれないのだろう」っていう感じの悩みをずっと持ってたの。たとえば、死にたい気持ちになったとしても、それを話せる相手がいなかった。「死にたいなんて、悲しいことを言わないで!」みたいな感じで、話を続けることが許されなかった。自分は、ただ、死にたいと思うこの気持ちについて話がしたかったのだけれど、それを上手に伝えることができなかった。

それで、孤立していく部分があるのよね。あたしの場合、それは「切なさ」だったり「さみしさ」だったり、したのだと思う。さみしさを感じる自分はダメな人間なんだ、弱い人間なんだ、って、自分を責める時期もあった。だけど、いまは、まったく逆のことを思うの。もしも、自分がみんなの100倍さみしさを感じているとしたら、その感じ方を伝えることで、感情を深く味わうことを伝える(?)ことができるんじゃないだろうか、って。生きるって、感情を深く味わうことだとしたら、たとえそれが『さみしさ』だとしても、より一層人生を深く味わう一助になるんじゃないだろうか、ってね。

これはあたしの世界観だけど、たとえば、あたしは「あなたの代わりに生きている」のだと思う。そして、あなたは「あたしの代わりに生きている」のだと思う。だから、同じである必要なんて全然ないし、誰かの真似をする必要もない。自分と同じ人間はひとりもいない、なんてよく言われることだけど、それって「自分と同じ見方をできる(自分と同じ位置に立てる)人間はいないのだから、自分は、自分が見たまんまの世界の話をすること。それが、結果的に人類全体の世界観を豊かにすることに貢献する」って、思うのよ。うまく伝わっているかしら。うまく伝わっていることを願うばかりよ。

あなたはもうひとりのあたしで、あたしはもうひとりのあなたなのよ。だとすれば、誰かと比較をすることの無意味さも、誰かに嫉妬をすることの無意味さも、自分は無価値な人間だって落ち込むことの無意味さも、わかるってもんじゃない??だって、全部、あなたなのよ??わかる??わからない??わからないなら、それはあたしの説明がへたくそなだけ…出直してきます。これは、ホントに大切なこと。何回でも、あたしはトライをするわ。

じゃあ、またね。愛しているわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

バッチ来い人類!うおおおおお〜!