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第52弾「スミカ」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

52曲目はこれ。スミカ。これ、よかったら、歌詞だけでも読んでもらえたら嬉しい。出来上がった時、うわ、これは結構な曲ができたかもしれないって、ひとり、感動した。まあ、毎回、できたて当初は「傑作だ!」とか思うんだけど、徐々に自信はシュリンクして、最終的に「俺はクズだ」みたいなところに着地をするんだけど・・・聞いていただけましたら、嬉しいです。

「スミカ」作詞・作曲 坂爪圭吾

愛想ばっか 振りまいてないで コアを見せてくれ
そんなもんじゃ ないことは みんなバレてるんだ

ひとりじゃないふり してるけど
本当は いまも ひとりのままなんだろう?

Love is always with you もう一度 君の祈りを
俺にだけ聞かせてよ 夢を聞かせてよ

愛を こけにしてみたり すがりついたり
袖振り合わせたさみしさが ぬくもりに変わるまで

愛想ないぜ 真の君は バカに正直で
わがままで 生意気で それが魅力なんだ

何者かになれないことよりも
何者かになろうとすることが 苦しいんだろう?

Love is always with you そのままで そのままでいい
無邪気な笑顔を見せて 同じ空を見よう

居場所は きっと場所ではない 君の心だ
君が「好き」を取り戻す時 この星が 居場所になるだろう

Love is always with you もう一度 星に祈りを
君にいま 降り注ぐ夢を もう一度

地球がひとつの家ならば ぼくたちふたり
一緒に暮らしていることと もう同じだろう?

愛さないぜ 無理になんて 俺は自然派なんだ
半端ないぜ 決めたことだ 終のスミカは君だ

Love is always with you. 愛は常に、あなたと共にある。そういう意味の言葉が、サビで歌われています。居場所とは、場所ではなくて人間だ。何かを愛する自分の心だ。そういう感じのことを、歌で言えたらいいなと思って、出来上がったのがこれです。録画すると、録音以上に反省点が浮き彫りになるからすごい。音程とか。声量とか。弾き方とか。服装とか。もう、全部。

あなたにも、是非、時間があるときに「自分を動画に撮ってみる」挑戦をおすすめしたい。ただ、歩いているだけでも、ただ、食べているだけの動画でも、いいの。必ず、発見があるから。嘘でしょ!?あたし、こんな風に生きていたの!?みたいなポイントが、必ず複数個見つかるから。これ、真実の瞬間よ。知らなきゃよかったって思うくらい、ダメージを受ける可能性もある。でも、知ったからこそ、直していけるというのも『一面の真実』よね。

あたし、今、実はものすごいお金がないというか負債がある状態なんだけど、偉そうに「回転寿司」に行きました。さっき。でね、五百円分の優待券貰ったから、百円のお寿司を5皿食べたの。あたし、お寿司、大好きなの。でね、お寿司、すごい美味しかったから、なんだか泣きそうになってしまったの。でね、あたし、考えた。この涙は、なにが原因で流れそうになっているのかな、って。お寿司が美味しいから泣きそうになるのか、それとも、34歳になって回転寿司もろくに食えない自分の惨めさに、泣きそうになっているのか。って。答えは、もちろん『全部』よね。涙の理由は、全部です。

たとえば、音楽をやる。賛否両論すごい言われる。よく、巷では「みんながのびのびと生きれる世の中になればいい」みたいなことが言われるけど、あたしだって、そういう風に思う。ただね、じゃあ、批判がなくなればそれでいいのかというと、あたし、わからないの。批判をされる。そのことで、夢を諦める人間がたくさんいる。批判がなくなれば、夢を実現するひとは増えるかもしれない。でも、批判されても、それでもなお「めげずにやり続けた人間」こそが夢を掴むのであれば、罵倒は、人間を磨く試練にもなる。悲しみがなくなれば、よろこびは増えるのか。あたしには、わからない。悲しみがなくなるとよろこびも、なくなりそうな気がする。でも、理不尽な悲しみは、できるならない方がいいと思う。でも、理不尽じゃない悲しみなんて、この世の中にあるだろうか???とか、考えるとわからなくなっちゃうの。

だからね、あたし、思うの。この世の中に善悪で判断できることなんて、本当に少ない。限りなくゼロに近いのかもしれない。わかることは、善悪ではなく「好き嫌い」だけなんじゃないかって、そんな風に最近は思う。たとえば、あたしは、知性を感じるひとが好き。でも、知性があることが『よい』ということでは、ないと思う。ただ、知性のある人が好きなだけで、これは趣味みたいなものなのだと思う。他にも、あたしは粋な人間が好き。けち臭い人間が嫌い。ユーモアのある人が好き。愛想笑いとか、社交辞令ばっかり言う人間が嫌い。でも、嫌いっていうだけで『悪い』ってことでは、ない。

知性って、孤独のことじゃないかしら。あたし、最近、そんなことを思う。知性とか、品格を感じる人には、同じように『孤独』を感じるのよ。ああ、このひとは、きっと孤独なんだろうな。って。でも、それは、悪いことじゃない。それは『孤独をきこなしている』ような、雰囲気を覚える。このひとは、ひとりでも凛としているのだろうなという、予感。そういう予感を感じさせるものに、あたしは『知性』であったり『品性』を、感じる。これって、つまり、自分の頭で考えている、ってことだと思う。自分を貫けば、人は、必ず孤独になる。その孤独を、紛らわせたり、気晴らしに時間を費やすのではなく、その中を生きる。孤独のど真ん中を生きる。そういうひとに、宿る雰囲気が『知性』であったり『品性』であったり、するのだと思う。

言葉じゃないのよ。どれだけ丁寧な言葉を使っても、バカなひとはバカに見える。中身がからっぽ。これは、見た目はかわいいけど中身のない女と、同じ。どれだけ知識は豊富でも、まったく知性を感じないひともいる。これは感覚の問題だけど、あたしは「孤独を生きる」人間に、魅力を覚えているのかもしれない。それは、自分もまた、同じような孤独を抱えているからなの、かも。孤独なんておおげさなものじゃなく、それは『さみしさ』とも言える。あたしは、さみしいひとが、好きだ。さみしさは、同じさみしさに出会うとき、ぬくもりを生む。さみしさは、人間の、根源的な宿命に感じる。

あたしにはわからないことばかりだから、世の中がどうなればいいとか、人間はこういう生き方をするべきだ、とか、そういうことはわからない。とてもじゃないけれど、あたしの生き方は誰の参考にもならない。胸を張れるような生き方はできていないし、誰かに「俺みたいになれ」だなんて、口が裂けても言えない。でもね、34年間生きてきて、これはやっぱり本当のことだなって思うことが、一つ、ある。それは『なにかを好きだと思う気持ちがあるなら、それを伝えた方がいい。それを実行した方がいい』ということ。

あたしは、自殺を悪いことだとは思わない。生きることが、なぜ、いいことなのかということを理屈で説明することはできない。でもね、たとえば、誰かから「あなたのことが大好きです」とか「あなたは大切な存在です」って気持ちを込めて伝えてもらえたとき、本当に、嬉しい気持ちになる。誰かが何かを好きだと言う。誰かが自分の『好き』のど真ん中を生きる。そのことが、本人も気づかないところで、誰かに勇気を与えている。誰かに希望を与えている。誰かの命を救っている。そういうことが、本当、たくさんある。

どれだけ「死にたい」と口にするひとでも、心の奥底では「生きたい」って思っている。どれだけ「自分は孤独だ」と口にするひとでも、心の奥底では「自分は孤独ではない」って思っている。いま、思っていることと真逆のことを、人間は、同時に感じている生き物だと思う。あたしは、そう、思う。だから、ねえ、うまく言葉にできないけれど、自分の心が前のめりに愛していけるものは、未来永劫、大切にした方がいい。なぜなら、あたしたちは、好きな人に好きだと言うために、好きなものを好きだと叫ぶために、生まれてきたのだから。そんな風に、あたしは、思いながら音楽を作っています。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

5月17日(金)14時~16時@東京都西荻窪「hana」


5月26日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

6月2日(日)15時~17時@千葉県千葉市「N-HOTEL」

非常にありがたいことに、イベント出演のお誘いをいただきました。当日は、みなさまとお話をしながら数曲披露させていただくような、そんな感じで進みます。是非、生けいごちゃんの波動をリアルで感じてください。この前、過去に数回お会いした女性から「坂爪さんと会うと、必ずそのあとにいいことがあるから、私の中では『坂爪大明神』ということになってます!」くらいのことは、言われているのよ。とかなんとか、こういうことを書くと宗教っぽいから、やばいわね。まあ、いいや。だって、ホントなんだもん。

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!