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第71弾「泣きそう」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

71曲目はこれ。泣きそう。曲調が古臭いと言うか、どうなのこれ、どうなのよって第三者目線は俄然健在なのですが、1日1曲とかやっていると「仕上がりを気にしている場合ではねえ!」って気持ちになって、ダサいならダサいまま、未熟なら未熟なまま、公開する。気分は「見晒せ!」って感じ。

「泣きそう」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

泣きそう ぼくは迷子 頼りない 心許ない むき出しのこころ
誰かに会いたい でも それが誰なのか いまは わからないよ

泣きそう ぼくは迷子 譲れない 隠し切れない あぶり出すこころ
どこかに行きたい でも それがどこなのか いまは わからないよ

たのしいときも うれしいときも 笑えるけれど
つらいときにも かなしいときも 笑えるんだね

人間と話したいのに 人間と話しても まるで
人間と話しているとは 思えない 思えないよ

泣きそう ぼくは迷子 喜びも 悲しい事も むき出しのこころ
全部 ひりひり からだのなか 響き渡る むねが 血を流すよ

泣きそう ぼくは迷子 帰りたい けど 帰れない ゆがみ出すこころ
行く場所なんてない 帰る場所もわからない でも ここには いられないよ

大切だと 思うものを 大切にしたい
正しさとか間違いとか どうでもいい

人間の 友達が 欲しい ねえ 誰か 誰か 
人間の 友達が 欲しいんだよ ねえ 誰か 誰か

泣きそう ぼくは迷子 骨軋む グシャグシャの愚者 暴れ出すこころ
居場所が足りない 安らぎにあふれていた日々には もう 帰れないよ

泣きそう ぼくは迷子 頼りない 心許ない むき出しのこころ
誰かに会いたい でも それが誰なのか いまは わからないよ

泣きそう ぼくは迷子 喜びも 悲しいいろも むき出しのこころ
全部 ひりひり からだのなか 響き渡る むねが 血を流すよ

無き 添う 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 
誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か

※※※ 動画では諸々をすごい間違えています ※※※

昨日は大分でライブがありました。告知が前日だったから「来てくれて一人だろな」とか構えていたら、驚いたことにすごいたくさんのひとが来てくれた。それだけでも感動物だったのに、来てくれたひと全員がいい人だったのよ。素直なひとが、素直に話す言葉は、内容を問わず胸を打つ。もう、なにを話されているかと言うより、そのひとが、そのひとの言葉で自分の思いを語ろうとしてくれるその姿に、感動する。自分で言っちゃうけど、あたしの文章を読んでくれているひと、そして、わざわざ会いに来てくれるひとに、悪い人はいない。だからなのかしら、終わった後も「今日は友達も増えて楽しかったです!」とか言われちゃうと、もう、最高にうれしくなっちゃう。

ある女性の参加者の方は、ブラウザの光を長時間見つめることができないからって、あたしの記事を「ノートに自分で書き写して、それを読んでいます」って話してくれたの。あのとき、あたし、うまいリアクションができなかったけど、すごい感動した。イベント中もすごい和やかな雰囲気で、大分県民の方々の人柄は本当に穏やかで最高だなあ(そして、軽く自虐的なところがちょっと新潟と似ている)って思った。これは余談だけど、イベント終了後立ち寄った居酒屋さんで、お店の店主らしきおばちゃんに、あたし、気に入られたのかなんなのかしらないけど、体をすごい触られた。ああ、こんなに触られることもあるんだなあ、と思えるくらい、触られた。触られたときの感じは「べちょっ」って感じだったけど、でも、悪い気はしなかった。

女の強さをすごい感じた。昨日は離婚経験者がたくさんいて、みんな「最初は死ぬほどこわかった。自分の人生は終わったと思ったし、ひとりでやっていけるのかと思ったら不安で夜も眠れない日々が続いた」とか、最初は深刻な感じで話してくれるのね。だけど、話を聞き続けていると「でも、離婚してよかったってすごい思う。だって、いま、すっごい楽しいもん!!もちろん大変なことも多いけど、でも、自由ってなんて素晴らしいんだろうって。自分のやりたいことをやれるって、なんて素晴らしいんだろうって」みたいなことを、満面の笑みで語るのよ。なんだかね、すごいケロッとしているのよ。聞いている側としては、おい、さっきまでのあの深刻さはどこにいったのだ、って思っちゃう。それくらい、強い。ケロッとしてて、カラッとしてる。それがね、すごい、よかった。女は強い。男だったらこうはいかない。

あたしのこの歌詞をみてちょーだい。未練たらったらというか、しみったれまくりんぐ。この前、ひとり大阪の街並みを歩いていたとき、さみしさで泣きそうになった。こういうの、頻繁にある。誰かに会いたい。誰かと会って話したい。抱き締められたい。でも、その誰かが『誰』なのかがわからない。自分だけがさみしさを感じていて、自分だけが弱い人間のように感じられて、街行くみんなが健常者、こんなに弱い自分は欠陥人間、みたいな気持ちに溺れる。気分は『迷子』です。誰か、誰か、誰かとか叫びながら、それが誰だかわかっていないの。何か、何か、何かと叫びながら、それが何だかわかっていないの。それでも、求めることをやめることができない、弱さ。

人間関係って、大変だなと思うことが多い。とりわけ「話す」ということ。あたしは、人間と話したいと思うんだけど、人間と話していても「人間と話している」と思えないことが多い。なんだか、自分が聞き手にまわってしまうことが多くて、ひたすら話を聞き続けながら「俺はサンドバックか何かなのかな」とか、思うことが多い。かと言って、表面的な質問をされても「なんでこんなことを聞くのだろう?」とかエネルギーがすり減って、コミュニケーションの取り方を見失う。ただ、お互いに球を投げ合うキャッチボールがしたいだけなのに、そんな簡単なことが、まったくうまくいかない。会話のコツは聞き上手になること、みたいなこと言われるけど、そんなもの嘘っぱちだと思う。聞き上手になったところで、それはキャッチする力が磨かれるだけ。あたしは、できることならば、ボールの投げ合いをしたいと思う。

でね、こういう曲を作るわけですよ。よく、会う人から「坂爪さんは言語化がすごいですね!昔から得意だったのですか?」みたいなことを、聞かれる。これ、完全に、真逆だと思う。昔から、ひとと話しても「また伝わらなかったな」と思うことばかりだった。この、未消化な部分、伝えきることができずに自分のなかに残った部分を、どうにか外に出してあげたくて、あたしは文章を書いたり、こうして音楽を作っているのだと思う。気持ちを伝えるのが得意だからやっているのではなくて、逆、気持ちを伝えるのが苦手だから、実生活のなかで「また、ダメだった」と感じることが多いから、こうして言葉を綴ったり、音楽を作ったりしているのだと思う。プラスがあっからじゃなくて、マイナスがあったから、結果的に自分を『表現』に向かわせた。

なぜ書くのか。なぜ歌うのか。その答えは、そうでもしなければ「世界とつながれる感覚を得られないから」なのだと、あたしは思う。大袈裟だけど、でも、実感としてそう感じる。だから、あたしは、言葉があってよかったなと思う。音楽があってよかったなと思う。頻繁に「またダメだった」と感じる自分を、かろうじて世界につなぎとめてくれるもの。それが、自分にとっての言葉や音楽になります。これは、もう、マイナスな出来事なのかプラスな出来事なのかが、わからない。ただ、自分の気持ちを伝えることがなかなかできなかった自分がいたからこそ、いまの自分がある。そう思うと、なにかこう、これまでの自分全部が「愛しいもの」として、この瞬間に浮かび上がってくるから報われる。あたしには、言葉とか、音楽とか、そういうものしかない。でも、逆に言えば、あたしには「言葉や音楽がある」のよね。

あたし、この前、サーフィンを初体験した。結論から言うと「最高」だったのだけれど、サーフィンと音楽って、結構別物だと思った。サーフィンは、あれ、完全にひとりで楽しめるのよ。キャンプも似ている。俗世から離れて、自分と自然との真剣勝負みたいになる。そこに第三者の存在って必要ないし、自分だけになれる感覚がすごい楽しい。でも、音楽や、言葉は、それを聞いてくれるひと(読んでくれるひと)の存在が、不可欠なものになる。自分一人だけでは、完結し得ないもの。それが、言葉であり、音楽だと思う。そして、あたしは、サーフィンやキャンプを続けるだけでは、報われきれない何かを自分の中に抱えている。そんな気がする。だからだと思う。わざわざイベントに足を運んでくれたり、イベント参加は無理でも、音楽を「聞いてます!」って連絡をくれるひとの存在に、すごい救われたりする。

あたしの弱さが、結果として、ひととの繋がり、世界との繋がりを築きました。そう考えると、なんだか感慨深いものがあります。人生、なにがどう転ぶかわかったものじゃありませんね。それでね、昨日、福岡から大分のイベントに来てくれた女性が「せっかく九州まで来てくれたのだから、このまま坂爪さんを帰らせるわけにはいきません。福岡でもなにかやりましょう!!」って声をかけてくれたの。それでね、急遽、6月16日(日)朝の10時から福岡ドームでイベントをやることになりました。すごいでしょ。福岡ドームよ。正確には「福岡ドーム前」だけど。あたし、長年の夢だったのよ。日本の五大ドームツアーをやることが。ドームの中でライブをするのはこれからのお楽しじみということで、まず、福岡から「五大ドーム(前)ツアー」やります。ドーム前ツアーって、言いたかったのよ。言わせてよ。

夏の朝に、ドーム(前)ツアーを。

これが、この夏のあたしのテーマ。ちょっと散歩にでも行くような感じで、日本の五大ドームツアーができたら最高だなって思ったの。この感覚をもっと丁寧に説明したいのだけれど、ちょっとあたしに余裕がないから、とりあえず「来て!」とだけ言わせて。福岡近隣のみなさま、お願いです。16日(日)朝10時、奇跡的に時間のある方は、人助けだと思って福岡ドーム前に来てください(東京・大阪・名古屋・札幌ドーム「前」を企画してくださる方、大募集中です!!)。なんだってそうよね。海外旅行に行くこととか、ハードルが高いと思えば高いけど、ちょっと散歩でも行くような感じで海外に行けたら、意外と簡単に行けちゃったりする。普通の人が「高い」と思っているハードルを、軽やかに超えちゃう人間、素敵だと思う。だから、あたしは気負わずにドームツアーをはじめちゃうし、あなたも、気負わずに遊びに来ていただけたら嬉しいです。ポイントは「ちょっと散歩にでも行くような感じ」だと思う。ちょっと散歩にでも行くような感じで移動をして、ちょっと散歩にでも行くような感じで毎日を変えていく。それくらいの身軽さがあったら、きっと、毎日なんていくらでもカラフルになるのだと思います。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

6月16日(日)10時~12時@福岡県福岡市「福岡ドーム前(←ここ大事)」

6月30日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。もし、人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけたら最高にうれしいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!