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もう、頑張らなくていい。

バイク事故に遭って左半身がおかしくなり、歩くこともままならなくなってしまった。幸い命に別状はなく、昨日は喫茶店でお茶も飲めた。左半身を引き摺るように歩くために、速度も出ない。だから、健康な人に道を譲る。階段の上り下りが難しいから、よいしょよいしょと言いながら一歩一歩ゆっくりと上る。優しい人が、時折微笑みかけてくれる。体の自由が効かないことは不便だが、不幸ではないと思った。変な言い方だが、怪我人になったことで「もう、頑張らなくていい」と自分に言うことができたような気がした。もう、頑張らなくていい。強がらなくていい。張り合わなくていい。自分を良く見せなくていい。弱いなら、弱さをそのまま見せればいい。頑張ることから、解放された。

自分でも意識していないところで、頑張り、強がり、張り合い、自分を良く見せようとしていた。ハンデを負うと、そんなことは言っていられなくなる。怪我が熱を伴い、体調不良が悪化して、昨夜は何度も咳き込みながら目覚めた。満身創痍で踏んだり蹴ったりなのだが、不思議と爽やかな部分もある。横になっても痛みが引かず、なかなか眠りに落ちることができない。ようやく眠りに落ちたとしても、今度は咳で起こされる。勘弁してくれよと言いたくもなったが、昔、何かの本で「病気の時は横になることもできず、三年間座って寝た」人の話を読んだことを思い出した。彼の苦悩に比べれば、自分の大変さなどはたいしたことではない。病気になると、病気の人を同士のように感じる。会ったこともない遠くの誰かと、連帯が生まれる。

熱海の家は築百年の小さな古民家(平家)で、和室が二間あるだけのシンプルな作りになっている。畳だから床に直接座るのだが、怪我人には辛い。座る時に痛く、立ち上がる時に痛い。誰か、使っていないソファーベッドがあったら譲ってくれませんか。手元に残された金が五万円くらいしかないので、少なくて申し訳ないのですが「五万円で譲ってもいいよ」と言う方がいたらご連絡ください。三十八歳。無職。近隣にはスーパーもコンビニもない静岡県熱海市の山の中で暮らす私に、未来はあるのだろうか。心ある方が玄米を送ってくれたので、飢えることはない。健康だけが取り柄だったのだが、現在は「心の健康だけが取り柄です」になった。

事故は痛いが、嫌ではなかった。今、ここで事故っておかなければ、後からもっと酷い事故に遭っていたような気がした。人生には、時折、強制終了されるような出来事が起こる。これまでの一切合切を喪って「俺の人生は終わりだ」と思わされるような、恐怖のカタストロフィ。だが、それを契機に次のステージに行くこともある。金も仕事も何もない。いよいよ健康まで失ってしまった。だが、人間万事塞翁が馬。人間は、繋がりの生き物だ。何もない時こそ、繋がりが生きる。人間到る処青山あり。私に友達はいない。熱海に家を与えられて八年経つが、一人も友達がいない。今夜飲みに行こうと誘って、飲みに行ける友達はゼロ人だ。だが、私は言いたい。私に友達がいないのは、人類全体と友達になるためである。人類全体と友達になるために、特定の友達がいないのだと言いたい。

事故った時、周囲の人がたくさん助けの手を差し伸べてくれた。具体的には何もしなくても、誰もが「困っている人がいたら力になりたい」と思う部分を持っている。これは希望である。健康な時に思わなかったことを、健康を失うと思う。傷口から愛が噴き出した。傷口から淋しさが噴き出した。噴き出したとしか言えない、生命の力を感じた。魂の常態は泣きたがっているのだと思う。日常生活を送るために普段は均衡を保っているが、魂の常態は泣きたがっている。もう、頑張らなくていい。強がらなくていい。張り合わなくていい。自分を良く見せなくていい。弱いなら、弱さをそのまま見せればいい。頑張ることから解放された時、魂は、激しく慟哭した。傷口から愛が噴き出した。傷口から淋しさが噴き出した。噴き出したとしか言えないような、生命の力を感じた。何もやることがない。何もできない。だが、まだ、考える自由と本を読む体力はある。井筒俊彦と本居宣長の本を読む。魂の常態は、泣きたがっている。

坂爪 圭吾 様

9月の日曜礼拝に参加した高校3年の◯◯◯◯です。「バイクにのって死ぬのは好きですか」と聞かれたのを思い出して手紙をかいています。言われたことないセリフすぎて「わたしこの物語の主人公じゃん!」ってなりました。坂爪さんは「事故りたいから乗るんですよ」と言ってて度肝抜かれました。今回は生きててよかったです。あの日、はじめましてのセリフばっかりで本当に楽しかった!家に帰ってからも2日くらい頭が熱くて、あつくて。バス停で「よく来たね」と見おくってくださってドキッとしました。

坂爪さんに出会ってから「私から学べ!」という気概で堂々と教室にいられるようになりました。勉強もやらず、遅こく、早退ばっかりの私の存在自体がなんかもうめちゃくちゃ教育的かなって。どんなに何もしてなくても、成績がクソでもそんなの関係ないように誰よりも元気に過ごしてやろうって思えました。「ここにいちゃいけない」と思っていた頃より数段イケてるマインドです。そしたら教室で友達が沢山できました。3年生になったらもう友達をつくる時期も遊ぶ時期も終わってる、勉強しかしちゃいけないって思い込んでました。そんなわけなかったです。

人生で出会うみーんな遊び相手だって思いたいです。坂爪さんの文章を読むと、デッカさに感動します。神社の御神木が思ったよりデカくてグっと見上げたときのデカすぎて変な感じと似てる気がします。デカすぎて畏怖すら感じます。遠近感がよくわからなくなって目がバグって自分のものさしじゃ測りかねて、そんなのどうでもよくなります。

先日、共通テスト(坂爪さんの時のセンター試験)を受けてきました。休み時間に外に出たら雨なのに空が明るくて、レースみたいな雲の流れがきれいでした。大学いって社会に出て、、みたいなことを考えていると、生きるコトを「難しそうなモノ」に置きかえちゃってるなって思います。

椿とサザンカを見分けられるようになりました!葉っぱ2枚入れておきます。どーっちだ!私がどんなでも態度を変えないでいてくれるお花も空もやさしく励まされます!こんがらがっても、元気なくても「この調子、この調子」と唱えて、やりたいコトを始めるときは「時は満ちた!」と天をあおいで、これからもそうやって過ごします。

坂爪さんもきっとこの調子です!!

見舞い先
〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾

連絡先
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バッチ来い人類!うおおおおお〜!