ホームをレスした話(10)

生きているだけでいい。それ以外はおまけだよ。

これまでの日々をまとめると「彼女に振られる」→「ホームをレスする」→「誰か泊めてくださいとお願いをする」→「謎に声がかかりまくる」→「坂爪圭吾を泊めるための予約待ち状態が発生する」→「県外からも交通費を出すから来てくださいと言われる」→「イベント出演依頼や執筆依頼が連発する」→「全国各地を流転することになる」→「蓋を開けて見たら、1年間で47都道府県すべてを制覇していた(謝謝!)」という感じになる。

家なし生活も2年目に突入した。引き続き家はなかった。が、大きな変化があった。1年目は国内を流転していた。が、2年目からは世界を流転するようになった。なぜ、無一物の人間が世界を流転できたのか。理由は単純、海外在住者の方々から「君の生き方は不思議だ。是非、話を聞きたいから遊びに来てくれ。無論、交通費はこちらで負担をする」と声がかかったからだ。

正直に言うと、海外旅行に興味はなかった。なんならちょっとバカにしていた。世界一周をしているひとを見ても「なにもやることのないバカなのかな」などと見下していた(本当にごめんなさい)。が、真のバカは自分だった。流転@海外は刺激にまみれていた。日本の常識と世界の常識は結構違う。そのことが、小さな世界で生きていた私の価値観を立て続けに崩した。

最初は台湾。次は香港、マレーシア、シンガポール、タイという順番だった。アジア諸国では、仕事中の店員も平気な顔でスマホをいじる。余裕を感じた。効率性とか生産性とか合理性とか、そういうものとは別の世界を生きているように見えた。台湾のデパートで働くフェンディの女性店員は「おらっ!」っと鼻毛を抜いていた。マレーシアの托鉢僧は、托鉢で得た金でビールを飲んでいた。タイのお坊さんは、境内に座りながらイヤホンを耳にさして音楽を聞きながらタバコを吸っていた。近寄ってみると、聞いている音楽はボンジョビの『It's My Life』だった。めちゃくちゃだなと思った。が、そのめちゃくちゃな人々は、私に「なんだか、すごいいいな」と思わせた。

香港では(物価が高いから)野宿をした。噴水を使って洗髪をした。海外でも、やればできるのだなと感じた。ブログなどから「いまは香港にいます」と投稿した。ら、それを見た近隣諸国在住の方々から「それなら○○にも是非!交通費は負担をします!」と連絡が届いた。首の皮一枚で生かされている日々だった。私は、呼ばれるまま、呼ばれた場所に移動を続けた。

多民族国家に足を運ぶと、その、肌の違いや言葉の違いを通じて感じる「多様性」に胸は高鳴った。生まれて初めてみる人々を前に、まるで、動物園にいるような感動を覚えた。人間を見ているだけで、充分、楽しかった。それだけで何時間でも潰せた(個人的にはインド人を眺めている時間が一番楽しかった)。いま、自分がいる場所だけが世界のすべてではないのだと思った。一歩でも外に踏み出せば、まだまだ、自分の知らない世界は無数に転がっている。そのように感じた瞬間の感覚は、私に「自由」を与えてくれた。

ひとつ、強烈な印象を残した出来事がある。

ある日、私は、オーストラリアのゴールドコーストに呼ばれた。海外在住の女性S様から「キャンピングカーに乗ってエアーズロックまで行きたいのだけれど、女性だけでは不安がある。是非、男性も同行をしてほしい」という依頼だった。私は、友人の保科さんと共にゴールドコーストに向かった(依頼主の方は、なんと、我々二人分の往復交通費を負担してくれた)。

生きているとこのような出来事もあるのかとぶったまげた。我々は、意気揚々とゴールドコーストに到着をした。「最悪の場合は、我々が盾となって女性の命を守るのだ」と過剰に意気込んだ。死ぬ準備はできていた。が、諸事情によりキャンピングカーが使用不可能となり、エアーズロック行きは取りやめとなった。が、強烈な印象を残した出来事は、この直後に起きた。

S様のパートナーはオーストラリア生まれの男性(名前はK様)で、海辺で民宿を営んでいる。K様はクルーザーを所有していて、トイレもお風呂もベッドもあるから「そこで生活をすることもできる」という話を聞いた。オーストラリアでは、船を持っているひとも結構多く、船の中で(アイランドホッピングを楽しみながら)悠々自適に暮らしている人も多いのだと聞いた。

S様は言う。

Kに言えばクルーザーも使えるよ。だから、これから日本に住めなくなったとか、何かしらの事情で家なし生活を続けることができなくなった場合は、クルーザーで暮らせばいいじゃない。クルーザーに乗って、好きなだけ海を眺めて、好きなだけ文章を書いて、好きなだけ太陽を浴びて、好きなだけ島々を巡りながら釣りをして、悠々自適の生活をしたらいいじゃない。

と・・・・。

私は「なんということだ」と思った。最悪とはなにを意味するのだろうか。S様は、私に、最悪の場合はクルーザーで暮らせばいいじゃないと仰ったのだ。この、家がないならクルーザーで暮らせばいいじゃないという(21世紀のマリーアントワネット的な)言葉に宿る意味を、この言葉に宿る破壊力を、私は、どのように受け止めればいいのかがわからなくなって錯乱した。

最悪ってなんだ。豪華クルーザーで暮らすとは、最悪ではなくて最高ではないのか。最悪と最高は同じなのか。多分、違う。でも、自信がなくなってきた。最悪【家なし】になると最高【クルーザー】になるのか。なんだこれは。豪華クルーザーとは勝ち組の人生ではないのか。最悪の場合、俺は、勝ち組になるのか。「最悪の場合、俺は、勝ち組になる」ってなんだ。家なし生活は、豪華クルーザーよりも上位の概念になるのか。では、いまの自分はなに組になるのか。負け組になるのか。勝ち組になるのか。負け組の成れの果ての姿は豪華クルーザーなのか。「負け組の成れの果ての姿は豪華クルーザー」ってなんだ。最悪ってなんだ。最高ってなんだ。この現象はなんだ。

いま、自分になにが起きているのだ。

「家なし生活ひゃっほー!」などとうかれぽんちに日々を過ごしていた、社会的底辺ど真ん中を駆け抜ける一匹のオス(私)に、突如、尋常ならざる施しが舞い込んだ。これも宇宙からのギフトだね♫ルンルン♫などと言っている場合ではなかった。私はひたすらに戸惑っていた。奇跡のU字回復というレベルではなかった。これはU字ではなく『I字』だと思った。逆転ホームランどころの騒ぎではなかった。試合でボロボロに敗れた直後にスタンドから降ってきた紙切れをなんとなく拾い上げたらドリームジャンボの当選くじで、次の朝には億万長者になっていたから現役を引退してこれからは遊んで暮らすことを決めた野球部の監督(?)みたいな衝撃(???)を覚えた。

と、ここまで長々と書いてしまったけれど、最終的にはなんだか笑えてきた。前にも書いたけれど、ホームをレスした当初の私に、計画性なんてものは皆無だった。ただ、なんとなく「家なし生活を続けたら面白い目に遭えそうだな」程度の予感だけがあった。ので、その予感に従う日々を過ごしていた。ら、このような出来事が起きた。予測不可能のレベルが高すぎて、私は、最終的に(なんだか愉快な気持ちになってしまって)笑ってしまった。

たくさんのことを考えさせられた。が、その後、豪華クルーザーに乗ることはなかった。私は、多分、移動をする生活が好きなのだと思う。約束されている未来よりも、約束されていない未来に興味があるのだと思う。移動を続ける中で「まじかよ!」と震える出来事に出遭えることのなかに、私は、生きている実感を覚えているのだと思う。自分の想像を軽々と超えてくるもののなかに、私は、自分が広がっていくよろこびを覚えているのだと思う。

S様にお別れを告げる。さよならの時間だ。我々男性陣もここでお別れになる。ひとりになる。基本的に、旅路はひとりだ。さみしくもなるが、多分、そのさみしさがいいのだ。さみしいとき、私は、さみしいということのなんたるかを知らない。さみしいということがどういうことなのか、私は、そのことをまるでわかっていないくせに「さみしいな」などと思ったりする。

もたざる者の身軽さと、もたざるものの心許なさ。家なし生活を続けていると、出会う方々から「居場所がほしくなることはありませんか」と頻繁に問われる。私は、胸を張って「あります!」と答えていた。が、冷静に考えると、家なし生活をはじめる前から「自分には居場所がない」と感じることは頻繁にあった。居場所とは、家の有無とは関係ない。私は、まだ、自分に家があった当時から「自分には居場所がない」と感じることは頻繁にあった。

さみしいとき、私は、本当の言葉を探しはじめる。本当の言葉とはなにか。それは「自分を知るための言葉」だった。自分は何者か。自分はどこから来たのか。自分はどこへ行くのか。移動を続ける日々は、外的な世界を広げるだけではなく、いつの間にか、内的な世界を深める日々にもなっていた。

ゴールドコーストを離れ、私は、次の国を目指すことにした。

ら、奇跡が起きた。

(つづけ・・・)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

73

坂爪圭吾

ホームをレスした話

家なし生活(2年間)の日々をまとめました。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。