ホームをレスした話(5)

自分をオープンにしている限り人間は死なない。

家なし生活最大の恩恵は「敵が味方になる」ことだった。どういうことか。これまで、私は「他人とは敵である」という前提で生きていた。多分、学校教育の影響が大きいのだと思う。私たちは「よい学校に入り、よい企業に入る」ことを良しとする教育を受ける。これは、言い方を変えると「他人よりも秀でた人間になる」ことを強要される、相対的評価の過酷さでもあった。

競争社会のルールにまみれた私は、常に「他人より一歩抜きん出る必要がある」という、極めて肩肘の張った生き方をしていた。が、家なし生活は、そんな私のプライドを華麗にクラッシュしてくれた。見栄を張っている場合ではない。肩肘を張っている場合ではない。そんなことより、今日の寝床だ。他人に頼らざるを得なくなった私は、見えなくなるほど遠くにプライドを投げれる強い肩よろしく、見栄を捨てた。多分、これがよかったのだと思う。

無論、最初から他人に全幅の信頼を置けた訳ではなかった。自分から「誰か泊めてください!」などと言っておきながら、初対面の方の家に泊まることが決定した時は「これは罠なんじゃないか」などと思ったりもした。身ぐるみを剥がされるんじゃないかとか、最悪の場合は殺されるんじゃないかなどと怯えたりもしていた(それくらい、他人を信頼できない人間だった)。

が、冷静に考えたら「俺を殺すメリットはなにもない」ことがわかった。ブログ記事には「家も金もなにもない」と書いてある。身ぐるみを剥がしたところで、奪えるものはなにもない。俺を殺すメリットはなにもないのだ。この時、この瞬間、私は「持たざる人間の強さ」みたいなものを見た。持たざるものがなにを恐れる。失うものなど、はじめからなにもないではないか。

その自覚は、私に「あとは野となれ山となれ」の勇敢さを与えてくれた。が、これほど腹を括る必要はなかった。出会う人々は総じてみんな優しかった。危ない目に遭うことなど一度もなかった。これは非常に重要な体験だった。そう、人は優しいのだ。優しさに触れた喜びは、同時に、自分の濁りを自覚させた。他人を猜疑の目で見ていた自分を、他人を、ともすると自分に危害を加えかねない「敵」と見ていた自分を、強烈に恥じた。「なんだ、人はこんなにも優しいじゃないか」ということを、私は私の細胞に刻んだ。

他人は敵から「他人は味方(味方になり得る存在)」になった。これはちょっと革命的な出来事だった。他者を眺める視点が大きく変わった。イベントなどに登壇する際、たとえば参加者が30人いたとする。私は「ひとりひとりに土下座をすれば、誰か一人は泊めてくれるだろう」などと考えるようになっていた。他人を「敵」として見ていたはずの自分は、いつの間にか「味方探し」をするかのように、他者との連帯(?)を築きはじめていった。

余談が過ぎた。バガボンディングの日々は続いた。

誰かの家に世話になる生活を続けていたので、当然、一人暮らしの女性のご自宅に泊まることもあった。一人暮らしの女性の家に泊まる、などと聞いたら「あら、猥褻!」などとエロい想像をされる方も(きっと)多いと思う。

ある日、年下の女性から「よかったら我が家にどうぞ」と連絡をいただいた。私は、お言葉に甘えて泊まらせていただくことにした。と、ここでちょっとしたイタズラ心が芽生えた。もしも「これから一人暮らしの女性の家に泊まります」と投稿をしたら、世間様からどのような反応が返ってくるだろうか。そんなことが気になってしまって「試したい…」と思ってしまった。

その旨を彼女に話すと「別に投稿してもいいですよ」とのこと。私は、よし、やってみようと思って「今日は私より年下の一人暮らしの初対面の女性の方の家にお世話になっています」とツイッターから投稿をした。ら、ある男性から、即座に罵声が届いた。そこには「よろしくやってんじゃねえよ」と書かれていた(私は「釣れた…!」と思ってちょっとだけ感動をした)。

おそらく、この男性は、私と彼女がなにかしら甘いロマンス的な時間を過ごしていることを勝手に想像し、勝手に嫉妬して、勝手に罵声の言葉を浴びせてくださった(罵声を吐かずにはいられなくなった)のだと思う。が、男性が想像をする世界と、私が実際に生きていた世界は大きく乖離をしていた。

よろしくやってんじゃねえよと言われたとき、私は、彼女から「セミを食べた話」を聞いていた。それはこんな話だった。今年の夏頃、ゴミ捨て場の近くで死んだセミを拾いました。その時、これって食べられるのかなって思って、とりあえず家に持ち帰ることにしました。それで、素揚げにしてみたら結構いい感じに仕上がって、食べてみたら食べることができたんです。と。

彼女は続ける。ああ、セミって食べられるんだなあって思って、まわりのみんなにも「セミは食べられるんだよ」って話をしたらなんだかすごい面白がってもらえて、この前は風俗関係で働いている人たちにもこの話をしたんですけど、普段、セミよりもよっぽど凄いものを食べているであろう人たちもみんな一緒に面白がってくれたのがなんだかすごい面白かったんです。と。

私は、話を聞きながら「お、おう」と思っていた。世の中には半端ないことをする女性もいるもんだなあと思っていた。なんなら軽く引いていた。ら、どこからともなく「よろしくやってんじゃねえよ」という声が届いた。よろしくなんかやってねえよと思った。俺はセミを食った話を聞いているんだぞと思った。あなたが想像している甘いロマンス的な空想と、いま、自分が置かれているビターな現実との間には、天と地ほどの開きがあるぞと思った。

そして、私は一つの真実を学ぶことになった。世の中には「勝手に想像して、勝手に嫉妬して、勝手に批判をする人」が必ず一定数の割合でいるということだ。彼らにとって、事実がどのようであるかは重要ではない。自分の頭の中で空想の世界観を勝手に膨らませ、勝手に嫉妬し、勝手に罵声を浴びせてくる場合が大半であることを私は学んだ。「よろしくやってんじゃねえよ」という罵声の声は、裏を返せば「私はよろしくやりたくてたまらないのです」という、その人自身の願望や欲望の現れなのだと思うようになった。

ここで、私はこの現象を『よろしくやってんじゃねえよ理論』と名付けることにした。誰かに何かを言われた時、実は、その人自身が「そうしたくてたまらない」だけの場合は多い。「よろしくやってんじゃねえよ」と言う人は、ただ、自分自身が「よろしくやりたくてたまらない」のだ。要するに羨ましいだけの話であり、極論、批判の9割は嫉妬なのだと思うことにした。

他人を否定することで自分を肯定したくなる気持ちもわからなくはない。が、それでは低俗な人間に成り下がってしまう。多分、自分の人生に満ち足りていない時に、他人の生き方にああだこうだと言いたくなるのだろう。自分が我慢をして生きているときに、我慢をしていない(ように見える)人間を目にすると「お前も我慢をしろよ!」と我慢を強制したくなるのだろう。

真の意味で自由に生きている人は、それに触れた人の心まで自由にする。目指すべきはこの境地であり、批判された時に取るべき態度、それは「萎縮をすること」ではなく「突破をすること」なのだと強く思った。大事なことは、この世に蔓延する『よろしくやってんじゃねえよ理論』を認識した上で軽やかに突破し、自分の人生をよろしくやっていくことなのだと思った。

以上、これらの出来事を『よろしくやってんじゃねえよ理論』というタイトルでブログに書いた。ら、ものすごい反響があって30万人くらいに読まれた。無職の私も、多分、この時期に「いつの間にやら周囲からブロガーと呼ばれる現象」に巻き込まれていた。ブロガーと呼ばれるのは不服だった。呼び名がダサいなと思っていた。が、その現象を止めることはできなかった。

が、ブログが広く読まれるようになることは、思わぬ果実をもたらした。家のない生活も、ブログを更新することも、共通している恩恵は「それをやっていなければ、絶対に出会うことのなかった人々との出会いがある」ことだと思う。乙武さんしかり、セミを食べる女性しかり。私は(ブロガーと呼ばれることは極めて不服だったけれども)ブログを書き続けた。ブログを書き続けることで生まれるかもしれない『誰か』との連携を、強く求めていた。

ら、奇跡が起きた。

(つづけ・・・)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

133

坂爪圭吾

ホームをレスした話

家なし生活(2年間)の日々をまとめました。
1つのマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。