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第35弾「MADE IN PARADISE」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

35曲目はこれ。MADE IN PARADISE。MADE IN JAPANとか、MADE IN CHINAとか、あるじゃない???それの、パラダイス、版、です。肩の力抜いた声で歌おうと思ったら、想像以上に抜けてしまって「聞く人が聞いたらあれだぞ」と、戦々恐々しています。あたしは、前向きな言葉が、好きです。自分のことを幸運体質だと思ってたら、多分、そのまんまそうなると思う。逆に、不幸なひとって、自分のことを不幸だと思っているひとよね。

「MADE IN PARADISE」

俺のカラダは 天国生まれ
楽園育ちの 温室野郎

鳥が鳴くぜ 風が吹くぜ 花香るぜ 俺はやるぜ
空青いぜ 海光るぜ 俺はやるぜ ごるあ

MADE IN PARADISE ちっちゃいことも
MADE IN PARADISE どでかい愛で

俺のオヤジも 天国生まれ
血湧き肉舞う ハッピー野郎

朝起きるぜ 顔洗うぜ お茶を飲むぜ 俺はやるぜ
窓開けるぜ よく晴れたぜ 俺はやるぜ ごるあ

MADE IN PARADISE ちっちゃいことも
MADE IN PARADISE どでかい愛で

MADE IN PARADISE 命燃えるぜ
MADE IN PARADISE 夢を生きるぜ

前回の記事で「神様はどうして禁断の果実をつくったのか???」って話をしました。未読の方は、よかったら以下のリンクから過去記事を読んでみてください。でね、あたし、アリさん(イラン人の牧師さん)から「ねえ、けーちゃん、どうして神様はそんなことをしたのだと思う???」って問われたとき、ちょっとすぐに答えることができなくて、これが結構悔しかったの。うーん、うーん、って一通り思い悩んだあとに、あたし、こう言いました。それは、人間に、我慢を教えたかったからではないでしょうか。って。

でね、アリさんは褒め上手だから「けーちゃん、すごいねぇ。それは、うん、あると思う。ただね、ぼくの考えは、別の言葉で表現することができるんだ」みたいなことを言ったあと、アリさんの解釈を話してくれました。どうして、神様がわざわざ禁断の果実なんぞを作ったのか。それは、神様が、人間に『選択の自由』を与えたかったからだと思うんだ、ってね。アリさんは、そう言ったのよ。神様はね、これを食べたら楽園追放だよ、とか、これを食べたらあなたは死ぬよ、とは、言うの。でも、人間から「食べる自由」までは奪わない。ただ、上から人々を見てて、これをすると、こうなるよ、みたいなことは、教えてくれる、そんな感じの存在なんだよっていう、話。

この話を聞いたとき、あたし、結構なショックを覚えました。それまで、宗教って「自分を操ろうとしてくる胡散臭い存在」みたいなイメージを持っていました。たとえば、あたしが何かすごいことをしたとしても、神様から「それは、とうの昔から私が決めていたことなのだよふぉっふぉっふぉっ」みたいなことを言われたら、すごい、むかつくと思う。うるせー、ばかやろー、お前は引っ込んでろ、みたいなことを思っちゃう気がする。なんだろう、おれはお前の操り人形じゃねえんだぞ、みたいなむかつき、って言えばいいのかな???でもね、アリさんの話を聞いたら、なーんだ、操り人形の糸なんて、はじめからなかったんだ、ってことがわかったの。わかったというか、宗教に対するイメージが変わった、というか・・・伝わるかな???

選択の自由。これ、すごい、大事な自由だと思う。誰だって、誰かに決めつけられたり、押し付けられたりすることは、大嫌いだと思う。自分で選びたい。誰にでも、そういう欲求ってあると思う。世の中が複雑になるほど、自分の意思で選んでいるのか、ただ、そう選ぶように「誘導されているだけ」なのかの見極めは大変になるけど、でも、自分で選ぶことができない世の中は、結構、息苦しい。でね、神様は、まず、一番最初(禁断の果実の話は、聖書のかなり序盤に出てくる話らしいです)から、あなたには選択の自由がありますよ、ってことを伝えるために、このエピソードがあるんだよ、っていうのが、アリさん流の、聖書の解釈ということになります。あたし、うまく、伝えることができているかしら???選択、これ、大事だと思うのよ。

あたし、最近、思うことがあります。人間、ちょっとくらい好戦的になっているときの方が、自分の本領を発揮できる。そういうものだと思う。違うと思うものには「違うとおもいまーす」って言えるときは、結構、本調子。それを、こんなことを言うのはおとなげないだとか、自分に発言権はない的な謎の遠慮とか、笑って済ませることが社会の流儀、みたいな感じで自分の感情を押し殺すと、必ず、あとでツケがくる。病気になったり、人相が悪くなったり、端的に「不幸アトモスフィアを漂わせる」感じの人間になっちゃったり。自由を、奪うことができる人間は、ひとりだけ。それは、他の誰でもない『自分自身』だと思う。自分が、自分に、禁止をしているのだと思う。

昨日、岡山のライブに来てくれた女性が、とても素敵な発言をした。「わたしは、わたしなりに、自分に正直に生きているつもりだ。だから、目の前にいるひとが、なにかをごまかしているのを見ると、すぐにわかる。そういうときは、おい、こら、ちょっと待て、自分をみくびってんじゃねえよ。お前は、そんなもんじゃないだろうって、そういう気持ちが湧いてくる。わたしは、人間を信じているところがある。みんな、必ず素晴らしい部分をもって生まれてきたはずだから、それを押し殺しているひとをみると、なんだかすごい腹が立つ。おい、お前はそんなもんじゃないだろうって、すごい伝えたくなってしまうんです」って。もう、これ、本当に、わかる。あたしも、同じ感じの怒りを抱く、ことがある。あたしにとって、愛とは、怒り。ラブ・イズ・アンガー。お前はこんなもんじゃないだろうっていう怒りは、自分にも、他人にも、全方位に向けられた『愛情の発露』だと、あたしは思う。

だから、あたしは、怒りを選択肢に加えてもいいと思う。この世の中、「優しさ」とか「みんなと仲良く」とか「明るい笑顔」とか、小学校の壁に張り出されているような価値観ばかりが大事にされがちだけど、時には「死ぬほど怒る」とか「思い切り泣く」とか「嫌いなものには嫌いと言う」とか「いまからお前を殴りに行く」とか、そういう選択肢があっても、いいと思う。もちろん、まわりのみんなと、仲良くやれるに越したことはないわよ。そんなことは、大前提。だけどね、みんなと仲良くやることが、誰かの怒りや悲しみを押し殺して、結果、息苦しさを蔓延させて年間三万人とか自殺しちゃったり、うつ病患者が100万人を超えちゃうのが、いまの日本ってことじゃない???だから、おかしいと思うものには、おかしいと言わなきゃ。誰がなんと言おうが、自分がおかしいと思うなら、それは『おかしい』のよ。みんながカレーライスを大好きでも、自分はカレーライスが嫌いならば、カレーライスは『まずい食べ物』なのよ。決めるのは、いつも、自分なのよ。

社会不適合者って言葉もあるけれど、やばみ溢れる生き方に適応しちゃったら、頭がおかしくならない方がおかしいと思うのよ。必要なのは適応よりも開墾で、多分、従来の常識に縛られるほどに苦しくなる。これが、現代、であるような気がするの。だから、合言葉は「結婚より開墾」。言うなれば「婚活より墾活」よ。一緒に、墾活しましょうよ。墾活。楽しそうな響きじゃない???ダメ???やっぱりダメ??あたしみたいな人間、生きていたら、ダメ???ダメと言われても、生きます。なぜならば、生きていることが、大好きだから!!(墾活っていいなあって思うんだけど、ダメ???)

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

4月14日(日)13時~16時@大阪 「音楽×トークイベント」開催決定!!

非常にありがたいことにライブ出演のオファーをいただいたわ。うれしい。とってもうれしい。内容としては、みなさまとお話を楽しみながら、途中、二、三曲をお披露目させていただく感じになります。生けいごちゃんから放たれているエネルギーはそれなりのものがあるから、それに触れるだけでも参加の価値があると思うわ。あと、もし、こんなあたしと「イベントを開催したい!」なんて思ってくださる方がいたら、是非、お気軽にお声をかけてちょーだい。交通手段さえどうにかなれば、あたし、何処までも行くわよ。
西日本(および日本国民)のみなさま、kozotte、遊びに来てちょんまげ!!

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バッチ来い人類!うおおおおお〜!