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ホームをレスした話(11)

どれだけ金を集めても、どれだけ経験を集めても、可愛げのあるひとには敵わない。

私は元来多動症的な傾向がある。多分、発達障害なのだと思う。28歳で家なし生活をはじめるまで、過去に14回引越しを経験した。一箇所に留まることが極度に苦手だった。恋愛も仕事も長続きをすることがなかった。10年間で30種類くらいの職業を経験した。が、どうしても自分にフィットをする生き方を見つけることができず「これはいよいよやばいかもしれない」などと窮地に追い込まれていたときに、家なし生活がはじまって「これなら意外とどうにかなるかもしれない…!」的な感じで活路を見出していた。

新宿のコールセンターで働いていたときも、通勤途中、あまりにも空が綺麗だったものだから「こんな晴れている日に仕事をするのはいかれている」と思い、途中下車して仕事を辞めた。自分がやっていることが、社会的に間違っていることは充分わかっていた。が、自分を止めることができなかった。

会社で働いていたこともあった。社員五人程度のベンチャー企業だったので、直属の上司は社長だった。社長は半端なく仕事のできる人間だった。ので、私はビシバシしごかれていた。社長の言うことは、いちいち正論だった。正論過ぎてグウの音も出なかった。だからこそ、社長に従っている限り、やがて「自分もできるビジネスマンになることができた」のだと思う。

が、冷静に考えてみたときに、私は「このまま社長の言うことを聞き続けていたら、社長みたいな人間になってしまう」と思った。この瞬間は焦った。確かに、荒稼ぎをしている社長は社会的には成功者なのかもしれない。が、正直に言うと、私は「あなたみたいにはなりたくない」と思っていた。金にもビジネスにもあまり興味がない自分に今更気づき、翌日、仕事を辞めた。

こんな生き方をしていたものだから、私は「自分なりの生きる道を見出さないとやばい」と思っていた。別に贅沢をしたいとは思わなかった。ので、高収入を目指す方向ではなく「低収入でも楽しく生きる道」を模索していた。ら、見事にフィットをしたのが家のない生き方だった。もちろん、周囲からは散々なことを言われた。が、やがて、罵声を浴びることも減ってきた。多分、大気圏を突き抜けたからなのだと思う。周囲の人間も「あいつは特別だから」と、いい意味(?)で私のことを諦めてくれるようになっていた。

ある日、私は、スペインの首都マドリードにいた。

家なし生活も2年目に突入し、海外を舞台に流転していた。ある日、新潟在住の大学生K君から「坂爪さんと卒業旅行に行きたいです!旅費は出すので一緒にどうですか!」という連絡が届いた。私は、この頃にはすでに「三十路の男(私)が学生に旅費を出してもらう」ことに一切の抵抗を感じない精神を身につけていたので、これは最高に幸運な出来事だと思って快諾した。

K君の要望は「大好きなサッカーを本場スペインで見たい!」というものだった。私は、正直に言うとサッカーにまったく興味がなかった。ので、自分の欲望をねじ込むために「OK!それならモスクワ経由の便をとって、ロシアを満喫したあとにスペインに飛ぼう!」と申した。ら、意見が通った。

初めての国に向かう時は、毎度緊張をする。日本には「ロシアの殺し屋おそろしや」的なダジャレがある。ので、我々は「俺たちも殺されるのかな」と震えながらロシアに着いた。が、そこで見たものは美男と美女のオンパレードだった。日本だったらモデルになれそうな人々が、普通に清掃員をしているものだから「世界がちげー!」と興奮した。新鮮な感覚を覚えていた。

モスクワを経由してバルセロナにはいる。と、早速K君が地下鉄でスリにあった。財布と携帯を失った。早速窮地に陥る我々(ホームをロスした男と、財布と携帯をロスした男)二人組は、バルセロナの路上で途方に暮れた。これは困った。どうしよう。俺は完全にK君の財布頼みでここまできた。が、瞬時にすべてを失ってしまった。我々、これから一体どうなるのだろうか。

だがしかし、合言葉は「おわりははじまり」である。

我々はマドリードに向かうことを決めた。サッカーの試合を見るためだ。財布とは別にお金を分けて所持していたことが功を奏した。試合のチケットも、宿の手配も、幸運なことにすでに済んでいる。マドリードまでならなんとか行ける。そのあとのことは、そのあと考えよう。いまはまず、K君念願の「本場スペインでサッカーの試合を見る」ことに全精力を注いでいこう。

スタジアムに到着する。バルセロナとアトレティコマドリードというチームの試合だった。が、まったくサッカーを知らない私は前半戦を寝て過ごし、後半戦は売店でホットドッグを食べながら過ごした。ネイマール選手とメッシ選手がいた。私も、名前だけは知っていた。隣にいたK君が「うおー!」と咆哮する。私はそれを眺めている。K君が楽しそうなのがうれしかった。

試合観戦を終え、ホテルに向かいながら「俺たち、明日からどうなるんだろうね」などと話す。が、奇跡は余白に舞い込むもので、非常に驚いたことにブログ読者の女性T様から連絡が届いた。実は妹がスペインのマヨルカ島にいる。が、慣れないマヨルカ島という土地でいまちょっと元気をなくしている。坂爪さんがマヨルカまで行ったら、多分、妹はとても喜ぶと思う。飛行機代を出すからマヨルカ島まで行って、妹を励ましてもらえないか?と。

我々はぶったまげた。九死に一生を得た。我々はマヨルカ島に向かう。T様の妹H様と合流する。H様はよろこぶ。我々もよろこぶ。素晴らしい時間が流れる。ここで私が、(まるで財布を失ったK君に対する興味を失ったかのように)突如K君に無茶振りをする。これからお互い別行動をしてみるのはどうだろう。金もないまま、海外で放り出される経験もそうそうできることではない。K君、君の無事を祈る。俺の無事も祈ってくれ。では、アディオス!!

K君をマヨルカ島で野放しにしてみた。K君がどのような行動を取るのか気になってしまった。ら、意外や意外、K君は「まじですか!」と一通り驚いた直度、即座に、目の前にいたスペイン人男性(推定16歳)に「ねえねえ、今日、君の家に泊まってもいい??」と語りかけた。私は、その様子を眺めながら「おいおい、すげーな!」と震えた。ら、驚いたことに、スペイン人男性も「OK。だけど今日はマミーが家にいるから、マミーにちょっと了承をとってくるね」みたいな感じで、いきなり彼の家に向かい始めた。

私はことの展開にぶったまげた。結論から言うと、K君は、このあと三日間この男性の家にお世話になった。個室を与えられ、食事を与えられ、一切の料金を請求されることもなく、車でマヨルカ島を案内してもらったりもした。私は「負けた」と思った。自分から勝負(?)をふっかけておいて、私は、K君の素晴らしすぎる展開を前に「敵ながらあっぱれ!」と清々しい敗北感に包まれた。

K君は、あまりにも素晴らしい時間を過ごしていたのか「いやぁ、マヨルカ島は最高ですね」と紅く頬を染めた。が、我々、再び「これからはどうすればいいのか」という状態に置かれていた。帰りのフライトチケットはある。が、バルセロナまで行く必要がある。が、そのためのお金がない。さて、どうしたものか。いよいよ幸運もここで尽き果てたか、と、半ば絶望をしかけていた我々に奇跡が起きた。

バルセロナ在住の日本人女性から「ブログを見ました!いま、スペインにいるのですね。もしもよろしければ、坂爪さんのお話会をバルセロナで開催したいのですが、お越しいただくことはできますか??もちろん、マヨルカ島からの交通費は負担をします!」と連絡が届いた。

凄過ぎる展開に震えた。九死に一生をもう一回得た。我々はバルセロナに飛んだ。お話会が開催された。現地の知り合いも増えた。宿も提供していただいた。食事もご馳走になった。無事に日本行きの飛行機に乗ることもできた。K君のiPhoneも、後日、海外保険が適用されて最新機種で戻ってきた。

人生、なるようになるのだなと思った。

スペインの日々を終え、私は「人間を生き延びさせるものはなにか」などと考えていた。K君は、持ち前の愛嬌を武器にマヨルカ島で生き延びた。K君は、見た目的にすこぶる可愛い。仔犬のような男だ。我々に財力はなかった。飛び抜けた才能も、社会的な肩書きもなにもない二匹のオスに過ぎなかった。が、どうにかこうにか生き延びた。さて、それはなにによるものか。

我々二匹のオスが遭遇した出来事を振り返る。バルセロナの地下鉄でスリにあい、金を失う。金を失うまでは、金銭的に裕福な訳ではなかったので、安いパンを食べていた。が、金をロスしてから、周囲の人々の助けにより、金があった時よりも確実にうまいものを食べていた。この現象はなんだ。

金を失うまでは、我々は安いゲストハウスのドミトリーで眠ることしかできなかった。が、周囲の人々の助けにより、我々には個室が与えられた。金をロスしてからの方が、金があった時よりも確実に心地のよい環境に置かれていた。諸々をロスしてからの方が豊かになっていた、この現象はなんだ。

最弱になると最強になる。この現象はなんだ。と思ったときに「これは赤ちゃんと同じじゃないか??」と思った。私は、赤ちゃん最強説を感じていた。赤ちゃんは、自分の力ではなにもできない。自分の力ではなにもできないからこそ、周囲の人々が様々なものを与えてくれる。最弱であるから最強であるという、この、人生の逆説が非常に興味深いものとして迫ってきた。

赤ちゃんは、なぜ、最強なのか。それは、財力があるからでもなければ社会的名誉があるからでもなく、ズバリ「可愛いから」だと思った。可愛げのあるひとは、何もしていなくても、必要なものが与えらえる。これは極論に過ぎるかもしれない。そんなことはわかっている。が、なにかしら無視することのできない「人生の真実」が、ここには含まれているような気がした。

私は、素敵なひとを見ると「よくぞそのままで生きていてくれた」という気持ちになる。そして「これからもそのままでいて欲しい」という気持ちになる。なんというか、よくぞその年齢になってもそのままであることを維持し続けてくれたと思う、その『守り抜かれた可愛さ』に、私の心は強く惹かれる。この、そのままであって欲しいと願う気持ちが、目の前の人間に対して「こいつを生かさなければ!」というアクションを生むのだと思った。

どれだけ金を集めても、どれだけ経験を集めても、可愛げのあるひとには敵わない。それならば、我々が磨くべきポイントは、金の稼ぎ方よりも、自分の力だけで生き延びることよりも、己に宿る「可愛げを死守すること」ではないだろうか。ふざけて聞こえるかもしれない。が、私は、結構まじでそう思った。品があって、可愛げがあること。これこそが、人間を生き延びさせる道【愛される秘訣】ではないのかと、そんなことを考えるようになっていた。

ら、奇跡が起きた。

(つづけ・・・)

バッチ来い人類!うおおおおお〜!