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第112弾「Good–bye–forget」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

112曲目はこれ。Good–bye–forget。保科亮太さん作詞作曲です(独唱も保科さん)。最初は、保科さんたちと「鼻歌を歌ったので誰かこれにコードを」などとやりとりしていたのですが、我々の合言葉は『自分達だけでやろうとしない』だったことを思い出し、まずは鼻歌の状態をそのまま晒そう。と。それを見た誰かが「仕方がないわねえ、もう」的なアレで力を貸してくれるのではないか。と。そうして生まれた『人類全体の合作』としての作品にこそ意味があるのではないか。と。単純に技術がないことを良い風に捉えたいがために、御託を並べながら「誰か!」と叫ぶ日々を過ごしています。

「Good–bye–forget」 作詞・作曲 Ryota Hoshina

君の期待には応えられない
僕の期待にしか向かえない
強いか弱いか どうでもいい
切なさだけは残るのかな

もう 戻れないね
ああ 戻らないよ
さよならだけが本当なのか
笑顔だけは置いて

昨日の事のように話すあなたは
毎日が新鮮でおめでたい
理解るかどうか
重要じゃない
感じた心はそこにあるのかな

なんだか不思議
なぜだか嬉しい
全部きみのおかげにしよう
明日になれば忘れる

全部失くしても 失くならないもの
それだけ持って 出掛けるよ
そんなに難しいことじゃないんだから
リュックサック一つでいい

もう戻れないね
ああ戻らないよ
さよならだけが本当なのか
笑顔だけは置いて

なんだか不思議
なぜだか嬉しい
全部きみのおかげにしよう
明日になれば忘れる

そうして死んでいく
こうして生きていく
名もなき僕の夢物語
目を瞑ればまた会える

昨日、真夜中に『嫌われ松子の一生』っていう本を読んだ。映画にもなっていたから、知っている人にはお馴染み(というか懐かしい)作品だと思う。悲惨な人生を辿る、一人の女性の物語です。この中に、人を殺して刑務所にぶち込まれたあとに聖書と出会って更生する龍洋一って男性が出てきます。キリスト教の醍醐味って「許し」にあると思うんだけど、なんだか、思うところが結構あった。もし、まだ原作を読んだことがないひとで「読みたい!」と思うひとがいたら、ご連絡ください。次回のわたり文庫に掲載予定だったのですが、先行(?)贈与させていただきます。真夏の読書、最高。

聖書の中に「罪のない者だけが石を投げよ」っていう、有名な話がある。確か、娼婦かなにかをやっていて周囲から「薄汚れた女!」「悪魔の子!」とか罵倒されていた女性が、石を投げられるだのなんだのしていて、そこにキリストが登場をする。みんなは、キリストに言いました。この女は、最も禁じられている姦淫の罪を犯した。だから、石打ちの刑に処されても仕方がない。そうだよな、キリストさん???そんな言葉を、ちょっと得意気になりながらキリストに言う。彼らには、キリストを試す気持ちがあった。石を投げるな、と言えば律法に反することになる(姦淫罪は死刑くらい重い)。でも、石を投げろと言えば「お前は普段愛を説いているくせに、やっぱり、その程度の人間なんだな」とか言われてちゃう。まさに、八方塞がりの状態。でも、ここは、さすがキリストという感じ。彼は、聴衆に向かって「罪のない者だけが石を投げよ」と言った。これまで、罪を犯したことのない人間だけが、彼女に石を投げていいのだと、そういうことをキリストは言った。

その言葉を聞いた聴衆は、ひとり、ひとり、その場を離れた。姦淫ほどではないにせよ、罪を犯したことのない人間は、いない。結果、彼女は救い出される形になって、涙を流しながらキリストに感謝をする(という話だった記憶がある)。あたしはこのエピソードが大好きで、ことあるごとに「罪のない者だけが石を投げよ」って言葉を思い出す。ちょっと真面目くさい話になってしまうけど、人間、生きている限り『罪を犯さずにはいられない』存在だと思う。法律に触れないとしても、保身のために嘘をついたり、誰かの悪口を言ったり、卑怯な行動をしてみたり。もしかしたら「いや、俺は常に正々堂々生きてきた。罪などひとつも犯していない」って言う人もいるのかもしれない。でも、あたしは、思う。罪を犯していないと思い上がることも、また、ひとつの罪なのだと。おかしな言い方になるけど、人間、生きている限り『罪を犯さずにはいられない』存在なのだと、あたしは、思う。

我々のバンドの名前は『Agape(アガペー)』で、神の愛という意味がある。とりわけ『罪人に対する愛』って意味合いがあるみたいで、なんだか、我々(と言うか坂爪圭吾)にふさわしいなあ言葉だと思う。わたしはクリスチャンじゃないけど、中学時代から三浦綾子さんの小説を読んでいたから、妙に馴染みがある。キリスト教では「誰かのために自分の命を捧げること。それが、最上の愛である」的な言葉が、結構出てくる(というイメージがある)。生きていると、どうしても『自分のため』に保守的な道を選ぶことがあるけど、その先に(安全はあっても)幸せはない。誰かのために命を捧げること、自分の命を『誰か』のために使うこと、誰かのために死ぬことが、最上の愛なのだと。だから、あたしは、音楽を通じてその気持ちを少しでも実現できたらいいなあと思って、初心を忘れないためにも『Agape』って名付けた。大袈裟な名前だけど、名前は、初心に戻れるものがいいと思った。

この前、インターネットで「ネプチューンの名倉さんが、鬱病で休養」という報道を見た。そのあと、テレビで名倉さんが出ている番組を、たまたま目にした。この番組の収録後に、彼は休養にはいったのだな。とか。この番組を収録している時も、彼はきっとつらかったのだろうな。とか。色々思うことがあった。なぜだろう、上から目線に聞こえちゃうかもしれないけど、あたしは「こういうひとのために音楽をやりたい」と思った。幸せなひとは、誰かの助けなんてなくっても、幸せでいられる。だから、そのまま、幸せでいればいいのだと思う。一番光を求めているのは、闇の中にいるひと。一番光を必要としているのは、闇の中にいるひとだと思う。そして、その闇の中にいるひとのなかに、彼だけじゃない、あたしも含まれている。鬱病のしんどさは、あたしも経験があるからなんとなくわかる。普段は感動できる音楽や、普段は感動できる言葉が、まったく響いてこない。心が反応することを諦めちゃった感じになって、暗い、深い、闇の中に沈んでいるような状態。

あたしは、できることならば、それくらい深い闇の部分まで『届く』ものを書きたい。それは、その闇を吹き飛ばすパワーをもったものかもしれない。それは、その闇を照らす薄明のようなものかもしれない。それは、その闇に「わかるよ」と寄り添うことができる優しさのようなものかもしれない。普段感動できるものに、心が、反応を覚えなくなる。そう言う時にでも、届く作品を残したいと思う。もちろん、これはあたしの勝手な思いであって、メンバー全員が共有している訳ではない(というか、こんな話をこれまでしたことがない)。だけど、なんというか、保科さんと同じ時間を過ごしているほど「もしかしたら、彼も似た思いをもっているのかもしれない」と思う。

現在、Agapeのメンバーは五人。あたしの「音楽をやりたい!」という思いに、付き合ってもらっているようなところがある。だから、あたしも、彼らに「練習を頑張ってほしい」とか、言えない。そういうことを言うよりも、自分自身が死ぬほどやればいい、とか、自分の頑張りが足りないから周囲に頑張りを期待することになるのだ、とか、思う。この感覚は、良く働けば精進に向かうけど、悪く働くと孤独に働く。スラムダンクの赤木(ゴリ)に似ているのだと思う。全国制覇を目指したい赤木と、ただバスケットボールを楽しめたらそれでいいと思う、他の部員。その軋轢や、その温度差が、どうしようもない距離を生み出しそうになったとき、赤木は『小暮君』の存在に救われる。前に、保科さんが、小暮君に思えたことがあった。それで、その時の感覚を書いたのが『すみれちゃん』って記事。やや、こんな書き方をすると、他のメンバーのやる気がないように感じさせちゃうかもしれないけど、そういうことじゃない。あたしは、ただ、保科さんのひたむきさに救われることがあると、ただ、それだけのことが言いたかった。それだけです。

あたしが一番「怖いな」と思うことは、無気力な人間になること。なにもしようとしない自分になること。もちろん、どう生きるかなんて個人の自由なんだから、なにもしないで人生を終えることも、ひとつの生き方だと思う。だけど、あたしは、なにもしようとしない自分を好きになることが、どうしてもできない。まるで『命に対する冒涜』をしているような、名倉さん(そして、名倉さんのような部分を抱えている自分自身)を『見殺し』にしているような、そういう感覚を覚える。自分になにができるのか。それはわからない。ただ「忘れたくない」と思う。記憶を風化させてしまう前に、忘れたくないと強く思ったことを、心臓に刺青を掘るように、血液に流し込むように、前頭葉に焼き付けるように、自分の生き様に宿らせたい。命は、生きたがっている。この命を、できるだけ生かして、生かして、死にたいと思う。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

8月24日&25日(土&日) 15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

9月9日(月) 19時半~@東京都吉祥寺「曼荼羅」

※※※ 詳細は決まり次第更新いたします ※※※

○バンドプロフィール紹介

Agape(アガペー=神の愛という意味がある)

2014年2月14日。Guitar & Vocal の坂爪圭吾が、当時同棲していた彼女に振られ、振られた勢いをそのまま活かすかたちで、「ひとは家がないと生きていけないのか」という問いを持ちながら、定まった家がない状況で如何にして生きていくかという実験を開始。

その体験談を綴ったブログ『いばや通信』が、爆発的な人気を博し、結果的に日本全国、世界20ヶ国ほどに、トークイベントなどで招聘されるようになる。「とにかくやばいことだけをやる」というコンセプトに基づいた会社、【合同会社いばや】の代表としてブログや講演活動に専念するなか、“家を熱海に買ってもらう”というゴールを果たした頃に、会社が円満解散。

ホームをレスしてからちょうど5年後。2019年2月14日。イタリアはヴェネツィアで、ある女性を通じて「音楽をやりなさい」という啓示を受けた坂爪圭吾が、日本に帰国後、一日一曲の曲作りに邁進するなか、一人、また一人と毎月メンバーが増えていき、現在5人体制で活動している(今のところ全員無宗教)。

メンバーのほとんどが、“中学校の授業以来”という驚愕のバンド結成状況の中、「ド素人から成長していく姿を公開していくことが、自他共に勇気が出るのではないか」と開き直り、約半年で、およそ百数十曲の音源を作る。それらの楽曲は、「ジャンルはなんですか?」とカテゴライズされないために、様々な趣向が凝らされている。

メンバーそれぞれが、駄目なら駄目なりに、失敗したら失敗したなりの姿を晒していくスタンスで、“技術だけではない何か”を感じてもらえるような演奏を心がけている。
◯メンバー紹介

Guitar & Vocal の坂爪圭吾(34)音楽活動歴約半年で、毎日一曲のペースで創作し、百数十曲の持ち曲のほとんどの作詞作曲を手掛けている。

Bass 保科亮太(31)音楽活動歴約五ヶ月で、「圭吾さんがギターで、ドラムは重そうだから」という理由でベースに挑戦。作詞も手掛けている。

Guitar 竹谷純平 (34)音楽活動歴約四ヶ月で、「誕生日が一番早いのと、唯一の長男だから」という理由でリーダーに抜擢。愛されキャラでありつつ、“アニキ”の愛称で親しまれる。ライブ時のMCと、エレキギターでのソロ演奏に注目。

Keyboard & vocal 稲村彰人 (26)音楽活動歴約三ヶ月で、仲良くしていた先輩たちに、半ば強制的にバンドに加入させられる。が、秘めていた才能が開花。その独自の世界観と歌唱力から、米津玄師さんに対抗しないかたちで人気を獲得している。

Drums 嘉向徹(28)バンド結成前から坂爪たちと親しくしていた、最後の精鋭。メンバー全員が「アガペーのリズム体になるのは、彼しかいない」と断言し、その登場を待ち続けていた。“ドラムというより、大地そのものを叩きたい”という独特の表現は、幼少期から海とさざ波の中で育った背景に起因している。音楽活動歴、堂々の0ヶ月で、初ライブに挑む。
◯バンドからのメッセージ

まずは「1年後、見ててください!」を合言葉に、Agapeを応援してくれているファンと共に成長していきたいと思っています。年齢的にはアラサーですが、まだまだ多感な我々Agapeの音楽を、ぜひリアルで体感していただけたら嬉しいです。


バッチ来い人類!うおおおおお〜!