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第100弾「クライマックス」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

100曲目はこれ。クライマックス。被っているのはパンツ。という訳で、念願の100曲達成!!きゃー!!ありがとー!!これは絶対にあなたのおかげ!!聴き続けてくれたあなたのおかげよー!!あなたなくして100曲なし!!作る側にまわって実感!!聞いてくれるひとあってこその音楽!!あなたが、あたしを、ここまで生かしてくれました!!超絶ありがとう!!

「クライマックス」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

あたまの 中身は あたし おはなばたけ
でも 砂漠よりも ずっと素敵でしょう?

ちょっとの勇気が あるなら大丈夫
意外と どうにか なるのよ 人生

あたし(自分)という種目ぶっちぎりの1位!
あたしが 誰より あたしを 極めているッ!
常識(ことば)も ルールも 追いつけない!

あふれる 気持ちが こぼれだすときに
小躍りしたくなるわ あたし 何度でも

夢を見ているのよ ああ あなたと一緒に
幸せになっちゃうような クライマックス

世界は こんなに なんでもあり(カラフル)だってこと
ずっと 忘れていたみたい あたしたち なんでだろう?

決めつけ ないでね みらいは 自由なの
好きなように みんな 生きな チャイナ

問題を 解くカギは 問題の なかにある!
踊り出す 赤い血と 音楽が 流れている!
誰にも 止めることは できないッッッッ!

あふれる 気持ちが こぼれだすときに
新しいセカイが 生まれるの 何度でも

夢を見ているのよ ああ みんなも一緒に
幸せになっちゃうような クライマックス

いつか あたしたちは 愛することさえ
できなくなるのよ だから いまの内よ

あふれる気持ちが ああ こぼれだす限り
キャラバンは続く 夢の クライマックス

※※※ 動画では諸々をすごい間違えています ※※※

なんとまあ可愛らしい曲ですこと。色々と間違っているのですが、間違っていることを×としないあたしは、このまま公開します。間違っていることを×にしちゃうと、あたしの人生そのものが×になっちゃうからね。綺麗に歌い上げるのも素晴らしいけど、間違っているのも愛嬌があってよろしい。動画の自分を見続けていると「なかなか愛くるしいやつじゃないか」って思う。毎日連発していると、自分をよく見せる余裕なんて初期段階で吹っ飛ぶから、見栄とかかなぐり捨てるのにとてもよかった。自分の声、自分の映像、それらを毎日見る行為は『自己受容』に近い作用もありました。ああ、これが自分か。と。それならば、俺は、これで生きよう。みたいなことを思う。

自分のコアみたいなものを何回も再確認した。多分、あたしは「ざまーみろ」って言いたいのだと思う。たとえば、家なし生活もそう。普通、28歳の男性が家も金も仕事も失ったら、同級生とかからは「あいつも終わったな」って思われるのだと思う。事実、そう言われたこともある。普通なら、出征したり、家庭を築いたりする年代の人間が、すべてが崩壊した人生の荒野に立つ。普通なら「終わった」って思われたって仕方はない。それで、普通、お金がなかったら「仕事をしろ」ってなるのだと思う。ハローワークに行け、とか、正社員は無理でもバイトをかけもちすればどうにかなる、とか、そういうことを言われると思う。でも、あたしは、嫌だった。普通に働くことができていたら、はじめからこんな生き方はしてねーよって思った。

それで「家がなくても生きていける道を見つけることができたらラッキー」とか思って、実際に試した。家がなければ生きていけないと思っていたけど、家がなくても生きていけるばかりか、なんなら「家があるときよりも面白い出来事に遭遇できている」という事実に、自分自身が驚愕した。それで、最終的に家を買ってもらう結末に着地をした。そのとき、あたしは思いました。あのとき、なにもかもを失ったあたしを笑った、お前。いまのあたしを見ろ。と。家がなくなったら、家が与えられたぞ。と。お前に「終わっている」と言われた男の人生は、終わるばかりか、なんならお前よりも充実した日々を過ごしているぞざまーみろ、みたいなことを(口が悪いけど)思った。あたしは、こういう感じの『さまーみろ』を、人生で叩き出したい。

それでいま、34歳という年齢で音楽に挑戦している。普通だったら、音楽をやっていた人間が「音楽をやめて家業を継ぐ」ような年頃なのに、この年頃になってから音楽をはじめた。周囲からは「無謀だ」とか「バカだ」とか「愚の骨頂だ」とか、結構言われた。散々言われた。でも、だからといって「そうか・・・俺は間違っているのか・・・それなら資格試験の勉強をして安定をした人生を進もう」とはならない。なるわけがない。そういう生き方の先に『ざまーみろ』と言えている自分を想像することができない。だから、結局、あたしは音楽をやった。そして、散々笑われたり、罵声を浴びたりしながら、時折届く「聞いています!元気をもらっています!」というありがたい言葉に支えられたりしながら、どうにかこうにか、生きている。

まだ、音楽活動をはじめて数ヶ月だけど、あたしは開始時に「一年後にどうなっているか見ててください」と言った。残り期限は、およそ、半年。とりあえず半年で100曲作った(正確には4ヶ月で100曲作りました!ありがとうございます!)。これから、あたしは、どうなるのか。またさらに曲を作るのか。曲のブラッシュアップに励むのか。それとも、まったく新しいなにかを試すのか。わからない。誰よりも自分が、自分自身に期待をする。100曲作り終えた自分は、今後、どのような動きをするのか。あまりにも未定だから、でも、一年後を見ていろと豪語してしまった手前、引くに引けないから、そこで『自分はどう動くか』ということに、興味があります。

書きながら、自分観察バラエティみたいだなと思った。どうやら、坂爪圭吾という人間は、誰もやらないことをやりたがる傾向がある。反逆児の性質が割と強く、得体の知れないなにかに対して「ざまーみろ」と言いたがっている。そのためには王道よりも覇道を生きる必要があり、周囲から「それは無理だよ」と言われることに燃える。そんなんじゃ生きていけないよと怒られながら、ふはははは、そんなんで生きている人間がここにいるのだよって高笑いをしたがっている。そういう人間。それが、あたし(坂爪圭吾)です。

あたしは思う。人生は意外とどうにかなるもので、大概のことは大丈夫だ。だって、いま、生きている。生きているということは、大丈夫であることの最大の証明だ。周囲の人々は「いまはいいけど、これからは?」みたいな感じで、不安を煽る。しかし、お先真っ暗はみんな同じである。どれだけ金を集めても、どれだけ豪華な家を建てても、地震が起きれば全部倒れる。なにかがあれば全部吹き飛ぶ。だから、なにかが「ある」ことに大丈夫と思うよりも、自分がこれまで生きてきたこと、なにもなくても意外とどうにかなるということに大丈夫と思えたら、人間、強い。無責任に聞こえるかもだけど、あたしは「大丈夫だよ」って言いたい。家も金も仕事もなくても、大丈夫だったよ。意外とどうにかなったよ。この年齢で音楽をはじめても大丈夫だったよ。大丈夫だったばかりか、これをやっていなければ感じることのできないよろこびが、たくさんあったよ。って。だから、もしも恐怖心とかでなにかをはじめることを躊躇しているなら、こう言いたい。大丈夫だから、やっちゃいなよ。って。成功しても、失敗しても、どう転んでも大丈夫だよ。意外と、生きていけるよ。なにもなくても、笑っていられるよ。って。

傷つくことを恐れてなにかを躊躇すること、ある。でも、当たり前だけど、あたしたちはこの瞬間も年齢を重ねていて、確実に『死』に向かって歩いていて、いつか「傷つくことさえもできなくなる日」を迎えることになる。そのとき、きっと、感じるのだと思う。ハプニングこそ旅の醍醐味になるように、傷ついたり、苦しんだりした記憶も、いや、それこそが「人生を彩るものであった」ことを思うのだと思う。成功すればうれしい。よい思い出になる。失敗してもうれしい。よい思い出になる。そう考えたら、なにも恐れることなんてないのよね。何度でも失敗して、何度でも成功すればいいのよ。のびのびと、たゆたゆと。人生は、誰かに認められるためにあるわけではない。それは、自分らしく楽しむためにあるのだと、あたしは思っています。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

7月28日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけましたら最高に嬉しいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!

6月30日開催「Agape 定期演奏会」の動画です。


バッチ来い人類!うおおおおお〜!