ホームをレスした話(最終話)

永遠にそのままで行け。

熱海で合流をさせていただいた女性の名前はムラキテルミさん。過去、肝臓癌で余命3ヶ月を告げられるが、断食療法によって『ガンを自分で治した』経験の持ち主。半端ない経歴もさることながら、私は、ムラキさんから発されるオーラのようなものに魅了をされてしまって、即時に「このひとになら騙されても構わない!」という、自分史上最高に前のめりな感情を抱いた。

【全人類必読】参考リンク・『世にも美しいガンの治し方』

しかし、謎にクールぶってしまう傾向がある私は、懸命の努力で冷静さを装った。自分自身、家が欲しいと思う気持ちはあんまりなかったのだけれど「ムラキさんから与えられる家は欲しい!」とボワっと思った。個人的に、贈り物は『何をもらうか』以上に『誰からもらうか』が重要だと思っている。私は、家を通じてムラキさんとつながりが生まれることをよろこびと感じた。結果、私は「何卒よろしくお願い申し上げます」と、最敬礼をした。

そこからのムラキさんは半端なかった。

最高にパワフル&ラブリーな笑顔で「買い物が好きなの♡」と話すムラキさんは、まず、熱海界隈の物件をしらみつぶしに探した。しかし、不動産会社から「坂爪さんとムラキさんの関係は?」などと毎回必ず詮索が入る。血の繋がった親子なら賃貸することは難しくないが、我々のような関係性だと「愛人に貸す部屋はねぇ!」的な誤解を受けることが何回も何回もあった。

これに業を煮やしたムラキさんは「借りるのはやめ!もう、買っちゃう!」と、中古物件を探しにかかった。私はと言えば、ただ、ムラキさんの圧倒的行動力を前にぼう然とたたずんでいた。私の場合、雨風が凌げたら万々歳。あとは何も贅沢は言わない。大事なことは「ムラキさんとの結びつきが生まれること」であり、トイレも風呂も共同で構わないと思っていた。だから、どんな家がいいですかと問われても「なんでもいいです」と答えていた。

だがしかしムラキさんは違った。TV番組『ガイアの夜明け』にカリスマバイヤーとして出演をした経歴もある、正真正銘『買い物のプロ』である。納得のいかない買い物は絶対にしない。他にも書きたいことは山程あるが、結論を言うと、ムラキさんは売値770万円の家を発見した。築89年の古民家である。そこで、ムラキさんは不動産会社の方に驚くべき提案をする。

ムラキさん「200万円なら買います!(どや)」

まったくすごい提案だなあと思う。素敵だと思う(恍惚)。さらにすごいことに、不動産会社の方も「よっしゃ!わかった!200万円でおっけー!」ということになって、熱海に家が用意された。570万円の値下げである。こんなことってあるんだねと私は震えた。そこからのムラキさんも、引き続きとどまることを知らない。今度は家具を揃えにかかる。我々はLINEの連絡先を交換していたのだけれど、ひっきりなしにムラキさんから連絡が届く。

「可愛い冷蔵庫があります!いかがですか?」
「家のスピーカー、Bluetoothがいいですよね?」
「お布団はどうしますか?お客様用も必要ですね!」
「ドイツ製の暖房器具があります!」
「古民家にトルコランプなんていかがでしょう??」

正直、この時期、私は長年の家なし生活により肉体も精神もボロボロになっていた。そのため、夜遅くに連絡がきても返信をする体力がなく、「申し訳ないですが、今日は余力がないので、明日改めて返信をします」と答えていた。が、ムラキさんは容赦ない。普通、こんなことを言われたら「わかりました」と言って引き下がるものだと思うけれど、怒涛の連絡を送ってくる。

「かわいいこたつを見つけました!」
「食器はどうしますか?柳宗理の器があります!」
「庭道具はのこぎりだけで足りますか??」
「古民家には、二槽式の洗濯機がかわいいかも!」
「コードレスの素晴らしい掃除機があります!」

あまりにも連絡がくるものだから、もう、最終的に吹き出してしまった。ムラキさんには敵わないと思った。完敗だなあと思った。そう思ったら、不思議と、まったく元気のないはずの身体から力のようなものが湧き出した。笑いの力はすごい。ムラキさんの怒涛&破竹の勢いが、それに触れたもの(要するに私)の中に眠る、生きる力を呼び覚ました。心から、ああ、俺は最高の御方に出会うことができたのだなあとよろこびに震えた。眠気も飛んだ。

2015年12月23日、私は熱海に拠点を構えた。

約2年間に及ぶ家なし生活は幕を閉じた。古民家の雰囲気は最高だった。風呂もトイレもある。蛇口をひねれば御湯が出る。布団を敷いて横になれる。ガスをつければ御湯も沸かせる。当たり前のことが、ただひたすらにうれしかった。心の底から「ありがたい」と思った。家なし生活は、気儘な放浪生活の日々でもあったが、常に肉体は緊張していた。家が与えられたことで、私は、自分が無理をして生きていたことを知った。安堵のためなのか、そのことを告げるかのように、翌日、私は体調を崩して寝込むことになった。

私がぶっ倒れていることを知ったムラキさんは、金柑を片手に「はい、これ」とお見舞いに来てくれた。道端に咲いていた水仙と一緒に。ムラキさんの物凄いところは、家を提供してくれたにも関わらず「家を用意したんだから、これだけはやってね」みたいなことを、一切、まったく何も言わないことだ。ただ、あなたのこころのままに使ってくださいと、それだけを告げて(それ以上のことは今の今に至るまで)私の好きなようにやらせてくれる。

その心遣いが本当にうれしかった。長居をすることなく、ムラキさんは「ゆっくり休んでください」と足早に帰る。目の前に残された大量の金柑と、甘い香りを放つ水仙を前に、私は、言葉にならない感動を覚えた。衰弱していたせいもあったと思う。ムラキさんの優しさを前に、私は、久しぶりの涙を流した。涙を流しながら、ああ、俺はずっとさみしかったんだなと思った。

家なしの日々から得た教訓は無数にある。

人生はなにが起こるかわからないということ。素晴らしい出会いは人生を肯定するということ。横だけではなく、縦の繋がりを見出すこと。別々の命を生きているのではなく、ひとつの大きな命を生きていること。人は優しいということ。生きているだけでいいということ。どのような状態でも、泣く道を選ぶか、笑う道を選ぶかは、自分で決めることができるということ。

そして、最大の発見は『人間は変われる』ということだ。私は、かつて、虚無的な日々を過ごしていた。私が紡ぐ言葉を「青臭いなあ」と笑うひと以上に、私は、理屈ばかりの怠惰で無目的な日々を過ごしていた。自分に生きる価値はないと思っていたし、人生は生きるに値しないものだと決めつけていた。そんな自分でも、家のない日々を通じて、人の優しさに触れることで、おおきく変わることができた。世界に立ち向かう勇気を得た。自分を好きになることができた。それがなによりもありがたく、無上の恩恵だと思った。

こうでなければいけないの外側の世界を見てみたい。そのような思いではじめた家なし生活は、結果、無尽の恩恵を運んでくれた。こうでなければいけないの外側に置かれても、人間は、生きていくことができる。生きていくことができるばかりか、想像を超えて、予測不可能な出来事に触れることができる。2年間の日々を経て、私は、私に「大丈夫だ。きっと、どうにかなる」ということを、実感とともに言ってあげることができるようになった。

ホームをレスした話は、これでおしまいになります。

最後まで読んでくれたあなた(そう、目の前のあなた!)、本当にありがとうございます。読んでくれるひとがいるのだという思いは、私に、書くための力を何度も何度も与えてくれました。作品は、書き手だけでは完成しない。読み手(見てくれているひと)がいて、はじめて完成をするものだと思います。家なし生活も、自分ひとりだけでは絶対に成立することのない日々の連続でした。この場を通じて、少しでも前向きななにかをあなたと共有することができたのであれば、それは最高に幸せなことだなと思っています。

もちろん、いまでも明確な答えを持っている訳ではないので、頻繁に迷うし、頻繁に悩むし、頻繁に息苦しさを覚えることはあります。それでも、昔より、生きることを諦めないでいられるようになりました。自分はダメだと感じることがあっても、次の日の朝には、本来の自分に還ることができるようになりました。自分は、みんなとは少し違うかもしれない。それでもなお、深いところから「自分は自分でいいのだ」と思えるようになりました。

なぜ生きるのかという問いに対して、私は、まだはっきりとした答えを持っていません。ただ、直感的に感じていることがふたつだけあります。ひとつは「好きなひとに好きだというため」であり、私は、好きなものを増やしていくことが、そのまま生きる力を育むのだと思っています。過去の自分が、死にたい死にたいと思いながら、それでもなお生き続けることができたのは、自分が「好きだ」と感じる『ヒト』『モノ』『コト』の存在でした。

もうひとつの理由が「あなたに会うため」です。なぜ生きるのかという問いに対して、私は「あなたに会うためです」と意気揚々と答えたい。そんな気持ちになる瞬間が、生きている日々のなかでは大量にありました。ああ、自分は、あなたに会うために生きていたのだ、この瞬間のために生きていたのだと感じる瞬間のなかには、これまでの人生をまるごと肯定してくれるような、言葉にならない『よろこび』がありました。

自分が自分であることに悩みや苦しさを覚えることもあるけれど、自分が自分であったからこそ、出会えたよろこびも無数にあります。そのことに思いを馳せるとき、私は「これでよかったのだ」という気持ちになります。自分は自分であり、他の何者にもなる必要はない。だから、きっと、そのままでいい。変わらなくていい。自分のまま、こころのままに、時には血反吐を吐き散らしながら『思ったとおりの道を歩けばいい』のだと思います。 

長くなりました。最後までお付き合いいただきありがとうございました。あなたが歩きはじめる道が、たくさんの光にあふれたものになりますように。この世界に充ち満ちる限りないよろこびが、あなたに降り注ぎますように。

また会う日まで・・・

FOREVER GO 『永遠にそのままで行け』

おわり(ははじまり)。

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坂爪圭吾

ホームをレスした話

家なし生活(2年間)の日々をまとめました。
2つのマガジンに含まれています

コメント1件

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