長崎で出会ったおでん屋さんがよかった。八十歳になるおばあちゃんが店主の、カウンター十席だけの小さなお店。壁にはデカデカと「酔っ払いお断り」と書いてある。入店した瞬間、おばあちゃんに「お前、何しに来た？」と睨まれた。私には、レビューの評価が最悪の店に行く趣味がある。最悪と最高は紙一重で、ある人にとっての最悪はある人にとっての最高になる。このおでん屋さんは、最高だった。何を頼むか迷っていたら「迷うな」と言われた。レビューにあった通りだ。油断していると刺される。隣のお客さんがおでんを注文した。大根と、たまごと、えっとと男性は言った。おばあちゃんは「えっとはない。さっさと決めろ」とぶった斬った。別の客は日本酒を頼んだ。おばあちゃんは、グラスと一升瓶を差し出して「自分でやりな。一滴こぼしたら追加千円だよ」と言った。

私は感動していた。おばあちゃんの肌が若々しく、服装も清楚で、口元にはしっかりと紅をひき、声にも張りがあったからだ。怒られても、嫌じゃない。睨まれても、野良猫と対峙をしているような愉しさがあった。男性客が、おでんを食べながら美味しいと言った。おばあちゃんは「美味しくないものを置く訳がないだろ」と言った。常連のおばあちゃんが「なんでもいいからおでんをちょーだい」と言った。おばあちゃんがレンコンを入れようとしたら、常連客は「レンコンは嫌い」と言った。おばあちゃんは「なんでもいいと言っただろ」と怒り、常連客は「レンコンは嫌」と、こどもみたいなことを言った。この常連客も肌と声に艶があり、好きに生きている人は若々しいのだなと思った。言うまでもないことだが、二人とも美人だった。

男性客が「予約は取っていないのか？」と聞いた。おばあちゃんは「予約なんて取らないよ。席だけ締めて、何も食べないでだらだら居座られたらたまったもんじゃない。ここはね、さっと食べてさっと飲んで、さっと出ていく場所なんだよ。それなのにだらだらされたら商売あがったりだよ。予約をしたまま来ない人もいるしね。コースとか頼んでくれるなら話は別だよ。しっかり食べて、しっかり飲め。そうじゃない奴はさっさと帰れ」と、全国津々浦々の飲食店経営者の本音を代弁した。店内には、当然、一切の音楽などは流れていなかった。満席だったが、誰もスマホをいじっている人はいない。誰もが、おばあちゃんとのやりとりを楽しんでいた。しっかり食べて、しっかり飲め。これは生きろと同じ意味だと思った。金が欲しいから言っているだけではない。しっかり食べて、しっかり飲め。そして、明日からまた元気に生きるのだ。最高な店を知ると、それだけで希望になる。またここに来たいから生きようと思える。

この店を悪く言う人は「客にタメ口とかあり得ない」「客が調理場に入って自分でご飯を盛るなんて不衛生」「愛想がない」「早く決めろとか急かされて腹が立つ」などと言った理由で、星一つをつけていた。なるほど。その通りだ。正論だし、ぐうの音も出ない。だが、高級ホテルのラウンジで食事をしている訳でもあるまいし、サービスを求め過ぎるのも違う気がする。だったらもっと高い店に行けよと思ってしまう私は性格が悪いのだろうか。最終的に、おばあちゃんは私のことを気に入ってくださり、日本酒を注いでくれた。こういう微妙な変化が、嬉しかったりする。最初から完全なサービスを求めて、減点方式で不完全さにダメ出しをするのは、お互いの首を絞めると思う。最低限のラインはクリアした方がいいのだろうが、最低限のラインさえクリアしていない店も絶対に面白いし、サービスを求めるよりもあらゆる物事を面白がる力を育てた方が、愉快に生きられると思う。帰り際、おばあちゃんは「また来てね。情報を流すよ」と、売人みたいなことを言った。

魂の成長なんて言葉もあるが、そんな言葉は嘘っぱちだと思う。魂の成長なんて言葉に騙されるな。俺たちは最初から完璧なんだよ。色々な人が色々なことを言うね。ごちゃごちゃ言う奴もたくさんいるけど、嫌な奴のために死ぬことなんかないんだよ。世間なんて何もしてくれないんだから、自分の好きなように生きなさい。何も信じられない世の中かもしれないけれど、お前になら騙されてもいいと思った誰かと出会えたなら、そういう連中と生きるんだよ。そんな奴らと一緒に人生を楽しむんだよ。自分の好きなように生きて、ダメだったらダメで「ダメでした」と言って、晴れやかに死ねばいい。お前になら騙されてもいい。そう思える人たちと生きるんだよ。魂の成長なんて言葉に騙されるな。俺たちは最初から完璧なんだよ。おばあちゃんは、そんな風に言っているように思った。