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第47弾「ガイシャ」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

47曲目はこれ。ガイシャ。あたし、いい加減にバンドサウンドをやらなくちゃいけない。ギター一本じゃ限界がある。でも、なんとなくでも、出したいと思う雰囲気が伝わればうれしい。早くバンドやりたい。やりたくてたまらない。できればギターを投げ捨てたい。マイク一本でやってみたい。めちゃめちゃうまいドラムのひとや、めちゃめちゃうまいギターのひとに出会いたい。仲間になりたい。一緒に音楽をやりたい。わちゃわちゃ、やりたい。

「ガイシャ」

ガイシャ乗るぜ コーソクだぜ
シタミチだって コーソクだぜ

スピードだけが命綱

カガイシャ達は ヒガイシャ達だ
ヒガイシャ達は カガイシャ達だ

ぐるぐるまわる輪廻だぜ

全部知れば 全部許す 俺はガイシャ 飛ばす
来週あたり 報われる日 くるまで 飛ばす

流れる景色 流れる温度
流れる記憶 流れる言葉

傷つく前に傷つくな

全部出せば 全部終わる 俺はガイシャ 飛ばす
来月あたり 報われる日 くるまで 飛ばす

話すは離す 言えるは癒える
カイシャは退社 ガイシャは来社

同じ穴のムジナなんだ

全部知れば 全部許す 俺はガイシャ 飛ばす
来年あたり 報われる日 くるまで 飛ばす

全部出せば 全部終わる 俺はガイシャ 飛ばす
来世あたり 報われる日 くるまで 飛ばす

音楽を作りながら、まだ見ぬドラマーや、まだ見ぬギタリストや、まだ見ぬピアニストに、この曲をどんな感じで編曲したらかっこよくなるかな???とか、聞いてみたい。やり方によっては、歌い方とか、歌詞とか変えれば、これまでの曲全部、一気にバケると思う。だから、早く、出会いたい。かっこ悪いけど、それがめちゃめちゃかっこいい、そういうバンドをやりたい。

今日、GOCHAMAZE no IEで定期演奏会をやりました。5曲だけ、演奏をしました。あたしは、基本的に自分の歌に自信がなくて、出来上がった瞬間は「最高だ!」とか盛り上がるんだけど、徐々に自信をなくしていき、最終的に「これはクソなんじゃないか」とまで、なる。だけど、人前で演奏をしたり、練習をしている最中に、あれ、思っているよりもいい曲なんじゃないか、とか、なる。一喜一憂をしている。浮き沈みが、自分の中で激しいの。

結果的に、今日は、最高だった。なにが最高だったかって、3歳の男の子と一緒に千葉から来てくれたお母さんがいたの。でね、この男の子、普段は人見知りでどこにいってもおとなしいんだけど、この家に来てから、謎に自分自身を解放しまくって、家のなかをひたすら走り回っていたの。演奏中も、リラックスをしていたみたいでね、一番いい感じのところで、男の子、あろうことか屁をこいたのよ。ブッ!って。あれは、もう、最高の瞬間でした。

普段はおとなしい子が、自分を思い切り解放して、明るい一面を見せてくれる。そして、それを見たお母さんも「まさか、自分の息子にこんな側面があったなんて!」とか言いながら、感動をする。あたしは、その姿を、見る。そしたら、なんだか、泣きそうになっちゃった。いつもはおとなしいものが、自分を解き放って、無邪気に遊んでいる姿を見ると、涙が出そうになること、ない???一体、なにが、こんなに嬉しいのだろう。なんで、無邪気に遊びまわるエネルギーに触れるだけで、こんなにも嬉しくなるのだろう。

子育てって、きっと、すごい大変なんだと思う。お母さんとか、お父さんが、普段、感じているストレスみたいなものを、敏感なこどもはすぐに察知して、できるだけ両親の迷惑にならないように自分を押し殺す。自分を出すことが、誰かの迷惑になるのだと思った体験は、やがて、その子を「自分を殺す」方向に向かわせる。これは、みんな、同じだと思う。誰がいいとか、何が悪いとか、そういう話ではない。ただ、ただね、それでもなお「本当の自分は、これなんだ。本当の自分は、こんなにも無邪気な側面をもっているんだ」って思えること、それを体現しているひとを見ると、自分の内面がそれに共鳴をして、感動を、する。胸が、震える。そういうことだと、思う。

あたしの歌は、へただけど、それを聞いてくれたお母さんが、最後に「坂爪さんの歌は、うまいとか、へただとか、そういうものを超えていた。なんだか、英語の歌を聞いたとき、まるで『祈り』みたいだって感じました。声は小さいのに、言葉が、大きく迫ってきた。こういう体験ははじめてで、胸が震えました」って。これ、すごい、うれしかった。ライブをしてよかったって思った。聞いてくれるひとがいて、はじめて、曲は完成する。完成するどころか、自分の手を離れて、様々な解釈を与えられるようになる。広がりを増やしていく。これ、まるで、子育てみたい。ある時期を超えたら、自分の手を離れて、最初は想像もできなかった『その子の人生』を見せてくれる。

今日は、こういうブログを書いたんだけど、定期演奏会のあと、参加者のみなさまと座卓を囲んで話せたことも、うれしかった。深く話を聞くと、みんな、いろいろありながらそれでもなお、自分の人生を一生懸命に生きようとしている、っていうことが、わかる。それに触れることができた瞬間には、人間同士の『フェアなよろこび』を感じることができる。あなたも、頑張って生きているのですね。と。それを見て、よし、俺も頑張って生きよう。と、思う。決して、誰かが誰かに「頑張って!」とは、言わない。頑張って生きているさまを見せ合うことで、いつの間にか、気持ちが前向きになる。

元気なひとといると元気になるけど、一生懸命悩んでいるひとといても、元気になる。ああ、ここにも、一生懸命に生きているひとがいる!っていう、命の共鳴なんだと思う。悩むことは、恥ずかしいことじゃない。それは、真面目に生きている最大の証拠。だから、へたくそでもいいから自分の思いを話してくれるひとと出会えると、最高に、うれしい。最高に、元気になる。共に生きよう、という気持ちになる。一緒に、頑張りましょう、ってなる。

共に生きようついでに話をすると、あたし、この前「いつか坂爪さんに会いに行きます。待っててください」ってお手紙をもらったのね。気持ちはうれしいんだけど、正直に言うと「俺は待たない。なんで、待たなくちゃいけないんだ???」って、思ったのね。俺は、あなたのために、待ちたくない。もしも、あなたのためにできることがあるとすれば、それは『共に生きること』だ。共に生きる上で、クロスする瞬間があったら、その時は握手をしよう。って、そんな感じの気持ちになったの。この感覚、わかるかな???

誰かが、誰かのためにできることって、共に生きることだと思う。それは、物理的に一緒にいるってことじゃなくて、なんて言えばいいのだろう、あいつも頑張っているのだから、よし、俺も頑張ろう、って思えるような関係性を築くこと。もちろん、本当にしんどいときは、お互いに助け合う。金だって出すし、家も、片腕を差し出すくらいのことはやる。ただ、現実的な行動を通じて「なにかを一緒にやる」こと以上に、精神面において、相手の存在が自分を強く支えてくれる。そのひとのことを思うだけで、前向きな気持ちになる。やる気が出る。そういう感覚が、共に生きるってことだと、思う。

だから、あたしは、共に生きる。共に生きたいと思う。あたし、基本的に一人が好きで、人がたくさん集まるイベントとかを自主企画しても、肝心の自分は常に外側にいたりして、なかなか輪の中にはいることはできない。それでも、その輪を遠くから眺めながら、幸せになれよ、みたいなことは思っている。むき出しで生きることを止めることができないから、あたしの一挙手一投足は、毎日、誰かを傷つけている。ブログを書くたびに、ノートの記事を書くたびに、きっと、いまも誰かが傷ついている。それでも、やっぱり、あたしは、書く。愛することの反対が、傷つけることでは、ないと思う。傷つけることのなかにも、愛は、ある。あたしは、そう思って生きています。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

5月4日(土)15時~17時@三重県志摩市「around.HANA」

5月5日(日)19時~21時@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」

非常にありがたいことにライブ出演のオファーをいただいたわ。うれしい。とってもうれしい。内容としては、みなさまとお話を楽しみながら、途中、四、五曲をお披露目させていただく感じになります。生けいごちゃんから放たれているエネルギーはそれなりのものがあるから、それに触れるだけでも参加の価値があると思うわ。あと、もし、こんなあたしと「イベントを開催したい!」なんて思ってくださる方がいたら、是非、お気軽にお声をかけてちょーだい。交通手段さえどうにかなれば、あたし、何処までも行くわよ。

西日本(および日本国民)のみなさま、kozotte、遊びに来てちょんまげ!!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!