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第57弾「涙ポロポロ」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

57曲目はこれ。涙ポロポロ。騙されたと思って、一回、聞いてみてちょーだい(と書きながら、やっぱり、クオリティすごい低いから聞かないでほしい)。あたしは一方的に断言する。誰だって、ひとり泣きながら夜道を歩いたこと、あるはず。あたしは、ある。ああ、今日もわかってもらえなかったなあとか思いながら、夜、誰もいない道を歩きながら「ああ」ってなって溢れる涙。目撃者のいない、視聴率ゼロパーセントの、極めて個人的な、涙。

「涙ポロポロ」 作詞・作曲 坂爪圭吾

涙ポロポロ 涙ポロポロ 胸を張って歩くのさ
涙ポロポロ 涙ポロポロ 前を向いて歩くのさ

あっちのひとも楽しそう こっちのひとも楽しそう
みんななにが 楽しくて 生きているのかな
聞いてみたい でも 聞けない
生きているひとには 話せないこと

これを話したら 悲しませるから
これを話したら 嫌われちゃうから

夜歩く 星を見る 月や花に 話しかける ねえ 聞いてよ

涙ポロポロ 涙ポロポロ 胸を張って歩くのさ
涙ポロポロ 涙ポロポロ 前を向いて歩くのさ

あっちのひとも悲しそう こっちのひとも悲しそう
いったいみんな どうやって 生きているのかな
聞いてみたい でも 聞けない
生きているひとには 話せないこと

なんでこんなにも ひとがいるのに
なんでこんなにも ひとりなのだろう

夜歩く 星を見る 月や花に 話しかける ねえ 聞いてよ

涙ポロポロ 涙ポロポロ 胸を張って歩くのさ
涙ポロポロ 涙ポロポロ 前を向いて歩くのさ

夜歩く 星を見る 月や花に 話しかける ねえ 聞いてよ

生きているひとには 話せないこと あるから

涙ポロポロ 涙ポロポロ 胸を張って歩くのさ
涙ポロポロ 涙ポロポロ 前を向いて歩くのさ

涙ポロポロ 涙ポロポロ 胸を張って歩くのさ
涙ポロポロ 涙ポロポロ 前を向いて歩くのさ

前回の記事で「さみしさ」について書きました。さみしさを感じる理由は、生まれてきたことにある、ということを書いた。さみしさなんて、そんなものを感じる人間は『弱い』とか『かっこわるい』とか思われちゃいそうだけど、でも、いいの。自分の、一番恥ずかしい部分を書くことが、なんだか最近は大事だなって感じるの。もちろん、バカにされるのは悲しいし、理解されないことばかりだけど、でも、いいの。それを書くことが、自分を肯定することに繋がる。それを書くことが、たったひとりだけでもいいから、誰かと繋がるきっかけになる。そう思って書いたら、嬉しいことがありました。

この記事を書いたあとに、一通のメールをもらいました。そこには「あの記事を書いてくれてありがとう」って、書かれていた。そのひとも、あたしと同じかどうかはわからないけれど、さみしさを抱えて生きている。生きることがつらくなって、死んでしまえばどれだけ楽になれるだろうかと考えたこともあるけれど、いま、生きてきたおかげで、坂爪さんの文章を読むことができた。それが、うれしい。だから、書いてくれて、ありがとう。って。そういうことが、書いてありました。これを読んだときは、もう、すっごいうれしい気持ちになりました。うれしい理由はたくさんあるけど、ねえ、自分が「こんなことを書いたらダメになるだろうな」みたいなことを書いたあとに、それによって、なにかが閉じるのではなく『開く』経験をさせてもらえると、世界の優しさを覚えるというか、なんだか、いい感じになるわよね。

この動画は、逢初庵(熱海)で撮影しました。朝、バイク(とか言っているけれど本当は原チャ)で横浜にあるごちゃまぜの家を出て、3時間程度走らせたら熱海に到着。道中、海とか、山とか、森とか、眺めながら鼻歌を歌うと「他にはなにもいらねえな」みたいな気持ちになる。やっぱり、あたしは風が吹く場所が好きみたい。バイクに乗りながら、色々なことを考えるの。車とか、あったらいいのかもしれないけど、自分にはこれで十分だな、とか。ケツが痛いな、とか。湘南ナンバーは運転が荒いな、とか。俺は過去も未来も背負えないけれど、『いま』と『自分』だったら背負えるな、とか。

あたしは弱い人間だから、常に、最悪の事態を想定しながら生きている。色々な事情が重なって、仮に、なにもかも失うことになったとき、あたしだったら、何があれば『快適で幸福な生活』を過ごせるのだろう。って。でね、あたし、思いました。自分は、バイクと、野営道具と、ギターがあれば、どこにいても幸せに暮らしていける。って。バイクに乗る荷物だけで、充分、幸福に生きていくことができる。こういうことを、都度都度、確認しながら、生きているところが、ある。足し算の人生じゃなくて、引き算の人生。自分には、これだけあれば充分だと思える、その『これだけ』の部分を確認できると、よし、なにが起きても大丈夫だ、みたいな気持ちになれる。

あたしの人生はめちゃめちゃだから、もう、口が裂けても「俺を見習え」とか「俺みたいになれ」とか、言えない。人生、散々。熱海にいるのも、諸々の整理をするために来たような感じ。毎日、毎日、あたしはいつまで生きていられるのだろう、みたいなことを考えちゃう。いまは布団で眠れているけれど、来月の今頃は、路上に放り出されるかもしれない。来年の今頃は、路上で野垂れ死んでいるかもしれない。ただ、ありがたいことに、いまは無事に生きることができているから、そのことに最大限の感謝を捧げつつ、ああ、あたしはいつまで生きていられるのだろう、って、考えちゃうのよ。

こういうとき、普通だったら「野垂れ死なないために」色々なものを増やそうとする。保険とか。家とか。仕事とか。守りにはいるのが、普通だと思う。でもね、あたし、守りにはいると、守りにはいるというそのことが、苦しみになる。家があったら安心(なはず)。仕事があったら安心(なはず)。それがあれば安心なはずなのに、それを維持するために力を捧げなくちゃいけなくなった瞬間、あたしは、詰む。「いつまでこれをやらなくちゃいけないんだ!」とか、逆ギレ、しちゃう。だから、あたしの発想は「何もかも失ったとき、自分は、どう動くか」ということばかりに、なっちゃう。

それでもね、強がって生きてても、やっぱり不安になることはある。とりわけ、請求書の山が来たときとか「いよいよ俺も、ここまでか」とか、割とリアルに思う。たまったもんじゃ、ないわよね。別に無駄遣いとかしてないのに、生きているだけでお金がかかるなんて、あたし、絶対におかしいと思う。まあ、こういう話は、またの機会に。でね、ああしなさいとか、こうしなさいとか、裁判沙汰になりますよとか言われちゃうと、やっぱり気持ちは『守り』に向かう。自分を責めることもあるし、すぐに生きる自信を失うし、俺は生きるのに向いていないのだとか、このまま俺はダメ人間として誰にも見向きをされないまま儚い生涯を終えるのだ、とか、ダウナーになる。

ただね、思うのよ。いいのよ。どう転んだって、いいのよ。大事なことは、置かれた環境じゃないのよ。どのような状態に置かれても、挑み続ける気持ちがあれば、思わぬ展開を迎えるのよ。なにかをして、それがダメになったとしても、挑み続ける限り、そのひとは負けないのよ。坂口安吾じゃないけれど、闘う限り、負けないのよ。刑務所にぶち込まれても、そこで本を書けばいいのよ。路上生活者になっても、快適な路上生活を極めればいいのよ。決意の凄みを、見せてやればいいのよ。誰かと比較して「俺はクズだ」とか落ち込む時期があってもいいけど、一通り落ち込んだら、自分が置かれている環境を、最大限に活かすのよ。家がないなら、家がない状態を遊ぶ。うじうじしているだけじゃなく、その状態を、前向きに明朗に受け入れて立つ。

数日前、自分は母親に愛されなかったことに長年苦しんでいる、みたいなことを話す男性に会いました。まず、言いたいことは「あたしはカウンセラーじゃねえぞ」ってことなんだけど、こういう悩み、本当によく聞く。でね、あたし、思うのよ。こういうときは母親と和解をすればうまくいく、みたいなことを言われるけど、逆だと思うの。開き直ることよ。自分は、母親に愛されなかった人間だ。この、母親に愛されなかった人間が、母親に愛されなかったまま、そのままで、生きる。悲しい過去をうじうじ悩むんじゃなくて、解決する方向にもっていこうとするんじゃなくて、母親に愛されなかった人間の凄みを見せてやる!くらいの決意をもって、人生に挑めば、逆に開く命がある。あたしは、こういう考えの持ち主。問題を解決したいと思わない。それよりも、問題を遊んだり、問題を無効化する方法に、興味がある。

なにがおこるかわからないのが人生なのよ。あたしなんて、家なし生活をした結果、熱海に家を買っていただくという漫画みたいな展開を迎えたのよ。自分で言っちゃうけど、これ、すごい面白い話だと思う。実話なのよ。生きていると、こういうことがあるのよ。ただね、当たり前だけど、あたしだって毎日うまくいくことばかりじゃない。全然ダメ。全然ダメな日々の方が圧倒的に多い。そういうときはね、変な抵抗をするより、ただ、泣けばいいのよ。この曲を聞いて、月とか花に「ねえ、聞いてよ」とか話しかけて、人知れず泣けばいいのよ。人知れず泣いて、しっかり寝て、次の日には元気になって、新しい自分になって生まれ変わればいいのよ。人生を、難しく考えちゃいけない。簡単な話。どんなときも「挑み続ければいい」だけ、なのよ。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

5月26日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

6月2日(日)15時~17時@千葉県千葉市「N-HOTEL」

非常にありがたいことに、イベント出演のお誘いをいただきました。当日は、みなさまとお話をしながら数曲披露させていただくような、そんな感じで進みます。是非、生けいごちゃんの波動をリアルで感じてください。この前、過去に数回お会いした女性から「坂爪さんと会うと、必ずそのあとにいいことがあるから、私の中では『坂爪大明神』ということになってます!」くらいのことは、言われているのよ。とかなんとか、こういうことを書くと宗教っぽいから、やばいわね。まあ、いいや。だって、ホントなんだもん。

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!