note デビュー

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ずっと気にはなっていたんだけど、「これ以上SNSを増やしたくないなぁ」とか「ブログとの差別化をどうしよう」とかぼんやり考えているうちにずっと距離を取っていたnote. 「最近読みやすいよなあ」と他人のnoteを読んでるうちにこっちにしようと思い、決断しました。多分もうアメブロは書かない。「大川市在住 映画監督 完山京洪」 ブログ管理画面が変わるたび、何度もヤメたくなったブログ。誕生日でちょうどいい機会だ。1度目はFC2ブログ。3度目はこのnoteにします。ブログの使い方が合ってるのかはやってみて考える。いつもそう、やってみて考える。 

誕生日

7月10日、今日とうとう41歳になってしまった。感慨はない。感謝しかない。両親にも友人にも周りで応援してくれる方々に感謝。お祝いされなくても平気ですが感謝は伝えたい。今、生きているのは皆さまのおかげです。ありがとうございます。

もう4年

7月15日で福岡県大川市に移住して丸4年になる。太った。7kgは太った。食べ物が美味しいのもあるし、運動不足もあるし、ストレスもあるかもしれない。地域おこし協力隊を辞めてからのこの2年間は、本当に大変だった。厄年の関係もあるかもしれない。ここにいる意味はまだあるのだろうか? 今も貢献できているのだろうか? 何度も自問自答しながらLittle Okawoodを運営してきた

ここ2年でもう20回以上は講演もしてきたと思うけど、同じく僕も成功事例ではない。他の地方で注目されている人の講演を聴いても大変さが想像できる。はっきり言えるけど、地方に移住するのは本当に簡単ではない。他の地域おこし協力隊の知人たちが定住できない結果もよく想像できる。今の移住政策も地方自治体の取り組み方ももっともっと改善できるはずだと思う。大川市の情報もだんだん入らなくなってきたが、他の自治体の方々との交流は増えてきている。今、久留米市で大学生たちの映画作りのサポートをしている。僕が取るよりも、最初から最後まで大学生たち自身で作った方が良いと思った。きっと街に思い出が足りないんだよ。良い思い出があれば田舎に戻ってくる。地方が投資するなら子供の教育しかない、と考えている。貢献できるならどこでも行きます。相変わらずフットワークは軽いほう。

複業屋

移住すれば生活コストが下がって、映画に投資できるお金を増やせると考えていた。だが予想以上に地方で収入をあげることは簡単では無かった。結局は東京・大阪・福岡に仕事に行く機会が多い。それ自体は良い。憶えてくれている関東&関西の方々に感謝してる。楽しんでもいる。ただじっくり取り組む時間もいつも求めている。色んな仕事をしていて、ずっと複業何屋か分からないと言われても。映像制作・コワーキングスペース運営・シェアハウス&民泊運営・ワークショップ講師・講演会・イベント企画運営・SSFF福岡の運営・スナックのパパ。この他にも最近は新しい分野にも挑戦している(これもまたいつか)。

映画から離れられない

次回作をずっと練っている。その限りは映画監督とも名乗るつもり。代表作を作ってあげたい俳優たちがいる。それが終わるまでは止める事はない。フィクションもドキュメンタリーもやりたい企画がある。「想い出の中に」のようにミックスしたのもまた挑戦してみたいし。

便利だなnote

最近の活動の詳細なんかは今後、このnoteに書いていこうと思う。書いている時から文字が大きくて見やすい。画像もUPしやすい。有料にして踏み込んで書いていく方がモチベーション上がりそうだな。

大切にしてくれている人を大切にし、幸せにする

これが僕の40代の大きな大きな使命だと思っている。もっともっと世の中に貢献していきたい。

今日は、博多と久留米でお仕事。








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