元気になるための休職なのに、元気になることに罪悪感が芽生えたらたぶん考え過ぎ

 いまカウンセリングに通っている心療内科は、職場と同じ最寄駅にあるのですが、なんとなく、ひとつ手前の駅で降りて歩くようにしています。

 別に運動のためとか、そういうことではなくて、職場の人と遭遇する確率を減らしたいのです。

 それはなぜかというと、憔悴している姿を見せたくないとか、そういうことではなくて、逆なのです。遭遇した瞬間の印象が「病人として合格」かどうか自信がないからです。

 もう休職してから5ヶ月経ちます。これだけ長期間離脱していると、患っている人としての期待値が、インフレを起こしてしまっているような気がしてならないのです。

 もちろん、考えすぎかもしれません。

 でも、職場の人と遭遇した時にどんな印象を抱かれるかって、相手のものだからコントロールできないじゃないですか。もし出会い頭に、たまたま思い出し笑いしてたりとか、noteで良い記事に出会って足取りが軽かったりすると、どう見ても元気な人になっちゃうじゃないですか。

 その印象次第で、職場で「意外と元気そうだったよ」とか言われてしまうと、巡り巡って「元気なのに休職しているヤツ」とか「なんちゃって鬱なんじゃねぇの」とか風聞されるような気がして。


 そんなこんなで、今日もひとつ手前の駅で降り、徒歩で心療内科へ向かいました。コンディションは良いほうだったのですが、念のため、肩を落として歩くようにしました。

 もちろん、考えすぎなんですけどね。


電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)