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いまさら、丁寧に生きる

 以前の私は(時間を捻出して音楽を作る傍ら、という割には随分没入したりもしましたが)本来のメインの仕事は取引先の要望を現場に指示したり会議に出たり人員をまとめたりするカッコよく言えばディレクター、予算の最終権限も持っていましたから普通にプロデューサーでした。そしてその仕事は成り行きで任されたことがきっかけであり、性格的にも能力的にも全く不向きでした。やる係がいなかったため回ってきた損な役回りでしたし、いわゆるそんな器でもなかったのです。ストレスの塊でした。
 どんな仕事でも当たり前ではあるのですが正直言って嫌な思いを我慢していることが多かったです。顧客からの暴投のような要望、無責任な「お任せ」、後出しジャンケンのような修正要望。
 ゲームを作りたいなら、またはそのプロを名乗って私たちに威張りちらしたいのなら、ほんの少しでいいから歩み寄って音楽のことを解ろうとしていただきたかった。お任せからの最後はイチャモン。無知とは相手に迷惑を掛けることがある、時間や労働力を奪う暴力の一種である、と気づいていただきたかった。しかし安いながらもお金を払っているのだというお客様然とした傲慢さが明らかにあり、私の反省点としては貰う請け手の卑屈さもありました。
 要望が暴投では当然、私も現場も困惑します、それを何とか作成担当者に理解してもらって進行させる。これが辛くてたまりませんでした。酷い言い方をすれば聞き分けのない客と我を通す担当者の板挟みになって随分苦しい思いをしました。社員教育を放棄し「天乃さんから音楽のお仕事のノウハウを教えてもらいなさい」と右も左も分からない新人ディレクターを押し付けられたこともあります。苦笑しながらお付き合いはしました。その時は酷いモンだなあと感じるだけでしたが、今思えばそこはニコニコと社交辞令で応じるのが会社対会社の付き合いだった、そういう反省点ももちろんあります。いい経験をさせてもらった面もあります。

 ストレスの解消が仕事への活力作りに役立てられれば何の問題もないのですが、私の場合それで身を持ち崩した、堕落し切った、堕ちるところまで堕ちたと言っていいでしょう。「気を紛らわしながら落っこちそうな橋を目をつぶって向こう岸まで走り抜ける」これが生きること、生活である、と考えていました。悩んでいる、が口癖なクセにそれ以前の状態、目標を見失い思考すら放棄、人生の意味を知ろうとさえしませんでした。大量飲酒、ヘビースモーカー、全てストレス解消が言い訳です(健康診断は社内でオールAなのは私だけでした、その油断も大いにありました)現在はどちらもすっぱり止めました。完全断酒断煙も一年半近く経過しました。しかし一生止め続けることを断酒断煙と呼びます。生涯一杯の酒も一本のタバコも口にしないと決めています。酒と煙草が直接の原因ではありませんが(コロナも今のところ)2020年7月とうとう病気で倒れ緊急入院となり、未だ通院・療養中です。いっぺんにいろんなものを失いましたが「生き直しに手遅れということはない」と思いやっていくしかありません。いまさらですが一日一日を大切に音楽と向き合い丁寧に生きたいと思っています。

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