命題論理は、電子回路と電流が流れるかどうかの関係として捉えなおすと誤解がないかもしれない

論理学、特に命題論理というものを捉えなおす必要があるのでは?

論理学的論理は、電子回路と電流が流れるかどうかの関係として捉えなおすと誤解がないかもしれない。

野矢茂樹著『論理学』(東京大学出版会、1994年)46~48ページで電子回路が扱われている。例えば・・・

(野矢著『論理学』47ページの一部を参考。とりあえず急いで描いたので雑ですみません。)

他にもいろいろ回路の種類はあるのだが・・・要するにX、Yのスイッチがそれぞれオンとオフの場合、電流が回路に流れるのかどうか・・・ということである。

ならば、次にように捉えなおすことができる。

トートロジー:どのスイッチがオンでもオフでも常に電流が流れる回路

健全性:常に電流が流れる回路を特定の組み合わせ(公理?)で組み合わせてもやはり常に電流が流れる

完全性:常に電流が流れる回路は、特定の組み合わせのもとで組み合わされた回路である

・・・こう考えれば非常にすっきりする。

ここで、電流が流れるか流れないかを真偽関係と混同してはならない。私たちの日常生活における言語から説明しようとするから”論理的に”辻褄が合わなくなる。

私たちの日常的真偽関係がまずあって、それに電子回路を近づけるのであって、私たちの思考が電子回路に寄せられてはならないし、その論理で現実問題を考えようとしてはならない。それが哲学的問題になればなおさらである。

計算機も、まずは私たちが把握する算数・数学というものがまずあって、電子回路はそれに対応できるように組まれるものである。

(初期の)論理学的論理はコンピュータやらトランジスタが発明される前のものだと思うので(?)・・・このあたりはフレーゲやラッセル、ウィトゲンシュタインら分析哲学創始者(??)たちの誤解によってもたらされた論理的破綻なのだとは思う。


<関連するレポート>

A→Bが「正しい」とはどういうことなのか ~真理(値)表とは何なのか
http://miya.aki.gs/miya/miya_report40.pdf

命題を(論理学的)トートロジーと決めつけた上でA→Bの真理値を逆算するのは正当か?
http://miya.aki.gs/miya/miya_report39.pdf

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