2012年の週刊文春の話

2012年に発売された週刊文春3月1日号。
3月1日号だから2月の末に発売されたものなのだが、おしどりマコさんが立憲民主党から参院選に立候補する予定になったことで、この時の話が俎上に上がり、一般の方なら未だしも文筆業の方々から「デマ屋」という言葉が発信されることに違和感を覚えたので書いておくことにする。

ただ、この時の記事がネットで検索してもなかなか出てこないのも、そしてこの記事に問題がある、という記事しかヒットしないのも、そしてあの時に「デマ」として情報が流布されたのも、全てはマコさんや僕も含め当事者の全員がその後の具体的な経緯の説明を発信しなかったからだ。予め書いておくと、あの時に「記事には言ってないことが書いてある」と記者会見までした医師は、その時に嘘をついている。嘘をついているという僕の発言に問題を感じるならば、堂々と訴えてもらいたい。なぜなら、元の原稿もゲラもその医師が読んでGOを出しているメールを僕は持ってるからだ。取材の録音も全部持っている。被災地、被災者に善意のボランティアで検査を始めた医師に対して「嘘つき呼ばわり」するのは心苦しいが、今までずっとそれを黙って来たことが、逆に嘘の情報の流布に手を貸したことを深く反省している。なので、名前までは上げないが、検索すればすぐに出て来てしまうことを承知で書いておく。

この取材に僕は一貫して帯同してる。なぜなら「甲状腺癌の疑い」とされた2人の子どもの1人は僕らが避難のお手伝いをした家族だったからだ。2011年の12月の年末、僕の元にやはり避難のお手伝いをした家族から電話が入り、「北海道の避難先でボランティアで検査をしてくれてるお医者さんがいるのだが、甲状腺にシコリが見つかってる子供が多い」という連絡が入り僕は翌日に現地入りした。

現地に入り、その状況を確かめると、すぐに大手、フリーランス問わずに取材して欲しい旨のメールを複数の方々に書く、そして僕が現地入りした翌日に札幌に現れたのがおしどりの2人なのだ。そこから取材が始まる。年明けすぐには文春の担当編集者も合流し、複数の被験者の家族から話を聞くことになる。

甲状腺癌の疑いの可能性がある、という情報はその文春の担当者が合流してすぐに入り、もちろん僕らは取材をしたのだが、その時には上記の医師だけではなく、その医師が招聘してた札幌の甲状腺の専門医の話も聞く。確か、1月12日に横浜で「脱原発世界大会」があって、その場で西尾先生に「地元の甲状腺癌のデータを見てほしい」と現地にお願いしに行ってるので、1月になってすぐのことだと記憶している。

上記の医師は、甲状腺学会に状況を報告するメールを書いた。返事はあの山下医師から直接来たのだが、「小児の甲状腺の検査は今すぐやめるように」ということだった。(これはメールのコピーを持っている)そして、取材を進めている間に、福島で行われてる県民健康調査の概要を避難先の医師たちに説明する講演が開かれることがわかり、後に県民健康調査の責任者の1人となる鈴木真一氏が山下さんのメールとと同様の内容の講演をする。なぜ内容が分かるのか?上記医師がレコーダーを持って参加してたからだ。(この講演会の後援をしてたのはチラージンをつくってるアスカ製薬)

そこで週刊文春が焦ることになる。「早く記事にしないと他者に抜かれるんではないか?」とね。なぜならその講演会を地元のTVメディア等が取材してたからなのだが。もちろんマコさんも僕も反対する。ただ、文春側はゴリ押しで、中刷りを入稿しようとしてた。そこでギリギリのタイミングで僕が編集部に電話をかけて、半ば暴力的な脅しの言葉でそれを取り下げてもらった。編集部全体にはこれで恨みを買ったのもあるな、という意味で僕も反省はしてるが、あらゆる取材をして、スキャンダルな記事になるのを避けるためにはもう少しの時間が必要だった。

その後にした取材は、東京の専門医複数、甲状腺アトラスを監修した病院への電話取材、山下医師への取材と、エビデンスを固める為の取材を重ねて「甲状腺癌の疑い」という表現が確定して言った。

ただ、途中で2人の子どもの家族に意見の差が出てくる。そして、それぞれの家族に意見の違う支援者がつく状態になり、そこが直接争う空気が出てくる。一方は世に訴えることで自分の子供に最高の医療行為を受けさせたい、一方は甲状腺癌の疑いの子供が出ると福島が差別される、という意見がぶつかることになったのだ。それを丹念に双方の家族の話を聞きながら状況をまとめて言ったのはマコさんだ。その時に後者の家族からの条件で「ゲラを見せる」という条件が出てきて、もちろん週刊文春は難色を示すわけだが、それでもなんとか調整がつき記事化が進められる。ただ、ここで週刊文春がマコさんのはしごを外したのは、ギリギリになって、マコさんだけには最終ゲラを送らなかった。そして被取材者にだけゲラを送り、見せるとは言ったが直すとは言ってないという論理でそのまま発売した。

これが拗れて「言ってないことが書かれてる」記者会見になるのだが、こちらの側についていたのが、人権派のジャーナリスト、現地の人権派のNPOの方々、人権派の国会議員、そして人権派を自認する一般の人々なのだ。そこからの情報で東京にも情報が行き、自由報道協会でマコさんと週刊文春が釈明記者会見を開くことになったのだった。

この時に記者会見を要求したのが江川紹子さんだと自由報道協会のその当時の事務方から聞いてはいるが真偽は定かではない。

そしてその後は医療の専門誌でも、その他一般誌でもこの記事に関してはバッシングの嵐で、だからと言って、最初に僕らが記事を出すのが慎重だった理由は、「福島の方々を傷つけず、個人情報が探られない」ことが動機だったのだから、そりゃ具体的なことは口を噤むしかしかない。未だにこの時の話をマコさんはどこにも話してないはずだ。

Twitterにも書いたが、この2人の子どもの一方の家族とはマコさんは未だに親交がある。

ただ、僕とマコさんはちょっとだけ道筋を変えた。
僕は個人的には発生してる甲状腺癌の最低でも半分は放射線の影響があるのではと疑ってる。その理由は、取材過程でほとんど全てのエコー写真を見せてもらったからだ。150人の福島から避難してきた子どもたち、50人の関東から避難してきた子どもたち、この二つの群の甲状腺の映像は素人の僕が見ても明らかな違いが見てとれた。ただ、この数がなにかを証明するものだとは当時から思ってないし、大きく騒ぐと逆に患者の利益を損失する場合もあると思ってる。ただ、個人的に目の前にいる、自分が知り合った人たちには最高の医療情報が提供されるように頑張るしかない、と思った。だからその年、医師を探して青春18切符で西日本を旅した。

マコさんは抑制的な発信をした通り、エビデンスをどこまでも求めていくことを継続する道を選んだ。それを曲げられてしまう定性的な表現を強制されるメディアと袂を分かち続けた。それがかれこれ6年近く続いてるのだが、お互いの情報共有はずっと続いてる。

だから、あの記事の後もデタラメを言っていた人たちが、今彼女を「デマ屋」扱いしてるのはなんとも許せない。どうしてもマコさんには国会議員になってもらって、よりエビデンスが入る場所に立って欲しいと思う。

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