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三宅雪子さんの話

三宅さんが亡くなってからもう1年以上経ってる。あの時、僕はほとんど何も呟いてないはずだ。それは、三宅さんが亡くなったことへの自分の悲しさの様子を言語化できなかったからなのだが、そのことをこうやって文章にするつもりは一切なかった。でも、1年以上経っても、まだ「誰のせいだ」とか「三宅さんの死の真相は」とかが出回り、そこに乗っかってる人たちがいることに疑問が湧いてきたからだ。

そもそも誰かの自死という選択に関してその真相をすべて余す所なく知ってる人間なんているはずもない。彼女の死後に語られる姿と、僕の目の前で、電話で、メールで繰り広げられた「三宅雪子」という元政治家の像とは一致しない。

僕から見ると、巷間囁かれてる「小沢一郎支持者の人たちのネットでの攻撃を苦にして自死した」も「菅野完の痛烈な批判が三宅さんに死を選ばせた」も僕からするとあり得ない話であって、少なくとも亡くなる1週間ほど前の3分間くらいの立ち話では、違うことで悩んでいたように思う。


一度、僕は小沢一郎支持者の方々との争い、菅野完との争いを一度noteに書くと宣言したことがある。2018年のことだったかな?そのキッカケになったのは来夢という名前のTwitterアカウントの人の振る舞いが僕には看過出来なかったからなのだが、その時には三宅さんから「友人でしょ?」「謝罪させるから書かないでくれ」というメールが来て、電話で話をし、「考える」という返事だけで放置してる間に、あるアルファアカウントの方から「書くのをやめて欲しい」という話があって、結局書くのをやめてしまった。

そこで書こうと考えていたのは、そのアルファアカウントの方にも説明したが、僕からみた小沢一郎支持者の方々やご家族に対する三宅さんの振る舞いだった。もちろん、どっちが正しいとかをジャッジなんてできるわけもないし、彼女が何を恐れて争いを選んでるのかも、その真意を問いただすことはしてない。でも、少なくとも「そりゃないよ」という、「他者を攻撃してくれ」というお願いを何度か三宅さんにはされたし、流石に「それは嘘ですよね」という辻褄の合わない話は複数回聞いた。そのことをアルファの人には説明したら、その人はそれらのことも知った上で「やめた方がいい」ということだったので、僕はその時は書くのをやめた。

その後、彼女の争いは一部裁判になり、その裁判の結論もブログで上がってるので、一度はそれを読んでみてほしい。そもそも完全に彼女が被害者であった、なんてことはないのだ。

だからと言って、三宅さんが断罪されるべきとも思わないし、その争いに対する感想すら憚れる。2013年に知り合ってから、三宅さんとはずいぶん話をした。日に10回以上の電話が1ヶ月以上続いた時期もある。そしてご自宅にお邪魔して偶然旦那さんと会い、彼から託されたこともある。でも、僕から見た三宅さんは病んでいた。その病状がどれほどのものかわからないし、医者に通ってるのかもわからなかったが、大量の薬を持っていて、それを目の前で飲むところにも遭遇してる。で、僕なりの結論は「政治家でいなければいけない」という思いの強さが、その病みを後押ししてるように見えた。だから、「他のこと」をやることを常に薦め続けた。

なので、周りに人がいる状態は悪くないと思っていた。新しいことを始めてるようにも見えた。来夢という人はネット上では熱烈な支援者に見えたし、友人以上の関係なんじゃないか、という話も伝え聞いたりもしてたので、そこまで心配してなかったのだが、来夢のことを「親切にしてくれる支援者なんだけど、迷惑ばかりかけれて当惑してる」と話す三宅さんに、「本当は頼りにしてるんじゃないですか?」と言ってあげたかったけど、言葉を飲み込んでしまった。

まあ、こういうのを書くと、メールとかのやり取りを晒してみろ、って言ってくるバカが続出するかもしれないが、余程の法的な争議でも起きない限り、私信を公開するなんていう下衆な真似は趣味じゃない。なので、僕から見た三宅さんしかここには書いてないし、これからも書かないだろう。

そして、ご家族も含め、最後まで三宅さんの死を受け止めざるを得なかった方々が考える、「三宅雪子の死」は、それぞれのそれなりの影を落としてることは見て取れる。だから、彼女を忘れないのはとてもいいことだと思う。三宅さんもきっと喜んでるだろう。でもね、三宅さんが「虐められてる」と生前話すときに本当にして欲しかったことは別にあったと思ってる。

それが何かは今になれば朧げにわかる気もするのだが、2019年の初頭に「手伝ってくれ」と半年がかりで言われてたことを、当時の物理的な状況で手伝えなかったことは今でも心残りだ。

三宅さん、遅くなりましたが安らかに。
では、さようなら。


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