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本人確認なしに入場券だけで投票できるのはおかしい!

 明日は第49回衆議院議員総選挙の投票日だ。

 実は、私には選挙のたびにおかしいと思うことがある。それは、選挙管理委員会から送られてきた入場券さえ投票所へ持っていけば、何の本人確認もなく投票できることだ。選挙の投票に一度でも行ったことのある人なら、疑問に思ったことはないだろうか?

何をするにも本人確認は常識

 例えば役所に住民票や戸籍の謄抄本を取りに行った場合、受付で必ず身分証の提示を求められる。あるいは、携帯電話を乗り換えたりして、何か契約書を交わすときなども同様だ。運転免許証やパスポートなど顔写真付のものなら1種類ですむが、保険証などの場合は、住民票などと併せて、2種類以上の提示を求められる。

 別の例をあげれば、ネット機器が故障してサポートセンターに電話すると、たいてい、住所・氏名・生年月日等、口頭で本人確認を求められる。また、私の通っているある病院では、万一の事故を防ぐため、名前を呼ばれて診察室や検査室に入る前に、必ず自分の名前を言うよう求められる。

 このように、金銭のからむ契約、個人情報に関係する事項、事故防止のためなど、理由は様々であるが、重要な手続きには必ず厳格な本人確認がなされるのが、民主主義の法治国家では当たり前のことになっている。

セキュリティ強化は時代の流れ

 ところが、日本国憲法で定められた民主主義の重要な権利のひとつである選挙権の行使においては、本人確認が全くなされていない。これほどおかしなことがあるだろうか?

 確かに、この国に選挙制度が施行された明治時代、いや、女性にも参政権が認められ完全な普通選挙制度が施行された戦後すぐであれば、そのような杜撰というか、ある意味牧歌的ともいえることが行われていたとしても不思議ではないが、古くから続く制度でも、必ず時代に合わせてバージョンアップがなされていくものだ。

 例えば、前述した住民票の写しの交付なども、プライバシー保護の観点から、とりわけそれが、ストーカー殺人など重大犯罪行為に結びつく事件が続発するようになってからは、本人以外への開示がより厳しく制限されるようになってきた。

 なのに、21世紀に入りネット投票が議論されるようになっているこの時代に、ろくな本人確認もなしに入場券1枚持っていけば誰でも簡単に投票できてしまうことに、誰も疑問を抱いたことがないのだろうか?

昔聞いた不正投票の噂

 もう何十年も前のこと、私が選挙権を得て間もない学生時代、こんな噂話を耳にしたことがある。ある政党の青年組織に属する学生が、同じ寮の学生たちから1枚100円だか200円で入場券を買い、服装を変えて何度も投票所へ足を運んだと。その頃は生年月日で本人確認をしていたのだろうか、確かな記憶はないのだが、その学生は券を売ってもらった学生から生年月日を聞き、一生懸命暗記して投票に行ったそうだ。

 これは直接本人から聞いた話ではないので確かなことではないが、もしやろうとすればそれは誰にでもできる簡単な行為と思われた。そして、今でも、いや、生年月日の本人確認すらしない今なら、もっとたやすい行為だ。

不合理や不正が見過ごされる理由

 普通、世の中の不合理や不正は、正されるか、さもなくば疑義や異義を唱える者が必ず現れる。だが、この件に関する不合理と、おそらく行われているだろう不正行為に対しては、声を大にして疑義を呈する声はほとんど聞かない。「不正選挙」を訴える声は毎回必ずといっていいほどツイッターなどで見かけるにもかかわらずだ。

 そうした場合は、恐らく世の中の大部分の人が、その不合理や不正によって利益を得ていたり得をしているからだろう。この件についていえば、われわれ有権者はふつう直接的には損も得もしないだろう。この場合、利益を得るのは被選挙人、つまり候補者と候補者の属する政党だ。そして、この件に関しては“超党派”的にすべての政党、候補者(無所属候補でさえ)の利害が一致する。

 例えば、私の学生時代に不正投票の噂を聞いたA党のみならず、A党と当時から激しい対立関係にあったB党も、宗教関係の強力な支持母体があるから、こうした不正を生みやすい土壌があるだろうし、万年与党の巨大政党C党なら、地縁血縁、大企業中小企業から農業団体等々、あらゆる組織を牛耳っているので、こうした不正にも手を染めやすい誘引があるだろう。労働組合という組織票を持つD党も事情は同じだ。それにとどまらず、ミニ政党、無所属候補の支持母体だって、同じような誘惑に駆られても全くおかしくないだろう。

誰でも2票や3票は簡単に手に入れられる

 ある政党は、その政党にとって重要な選挙があると、支持母体の構成員が大挙してその選挙区のある自治体に集団で住民票を移すと聞く。選挙のためならそこまでする政党が、いとも簡単に“なりすまし投票”のできるこの手を使わないはずがなかろうと疑うのは、下衆の勘ぐりと言い切れるか?

 何も大規模な買収を仕掛ける必要はない。もしそんなことがバレたら大変なことになる。もっとも、誰もがやっていることなら、脛に傷持つ者同士、庇い合って案外露呈しないのかもしれないが……。

 でも、その必要はない。家族や友人等、ごく近しい者で選挙に行かない者の入場券を、黙ってでも持ち出してなりすませば、1票が2票、3票に化けるのだから。性別や年齢が合わなければ、仲間うちで融通しあえばいいだけのこと。投票率が70パーセントを上回っていた昔なら、なかなか入場券も手に入りにくかったろうが、今は2人に1人は入場券を捨てている時代だ。その気になれば、なんの苦労もなく、2票、3票くらい誰でもタダで手に入れられる。

このまま看過できない

 しかし、この不正行為、上述したように、すべての政党、候補者の支持母体が普遍的に使っている手口だとしたら、選挙結果に与える影響は、互いに相殺されて、案外取るに足りないものかもしれない。

 だからといって、日本国憲法や民主主義の根幹に関わる重大な不正を生みかねない投票制度の重大な欠陥を、このまま看過していいはずはない。何も難しいことでも、手間暇かかることでもない。受付で身分証の提示を求めて確認するのに多くの時間は要さないはずだ。それができない理由があるというなら、中央選挙管理委員会にぜひともそれを聞きたいものだ。

高額供託金制度、小選挙区制……まだまだあるおかしな制度

 日本の選挙制度をめぐっては、ほかにもおかしなことがいくつもある。例えば、世界で少なくなりつつある供託金制度、日本はその中でもダントツにその額が高く、普通の庶民から立候補する権利=被選挙権を奪っている。

 また、1994年に導入された小選挙区制は、当初アメリカ型の2大政党制を目指すとしつつ(それ自体問題だが)、実際には与党1強体制をもたらし、民意=得票率と議席配分に大きな乖離を生む結果をもたらした。

 単純に民主主義の原理に背くだけでなく、マイノリティを徹底的に排除するという意味においても、極めて反民主的な制度だ。また、巨大与党に対抗するため、野党が共闘して候補者調整しなければならないのも、この制度の大きな矛盾だ。

 なのに、こうしたおかしな選挙制度に対して、廃止や改編を唱える政党はない。供託金に関しては、既成政党は国民の税金から巨額の政党交付金を得ているためか、候補者擁立に不自由することがないのだろう。また、政党交付金の受け取りを拒否している政党も、何十万という党員を擁しており、資金源に困ることはない。

 一方、小選挙区制については、野党第1党が万年野党第1党に満足するのでないかぎり、連立を組む小政党も含め、巨大第1党を除くすべての政党が本音では反対だろうに、何故か、かつて多くの野党が反対し、ある政党などこの制度が言われ始めた当初から強力に反対してきたくせに、今はどの政党も「小選挙区制廃止」を掲げない。

 これでは有権者の関心が遠のくばかりなのも頷けるというものだ。

“なりすまし投票奨励慣行”をやめよ!

 しかし、何といってもおかしいものの筆頭は、ここで論じてきた身分確認なしの“なりすまし投票”を奨励するかのような投票所へのスルー入場体制だ。あなたも、明日投票に行ったら、その違和感を身をもって体験してきてほしい。そして、おかしいと思ったら、やっぱりおかしいと言うべきだと思いませんか?

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