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ポストコロナ社会は来るのか?

 緊急事態宣言発令地域が全国に拡大される前日の4月15日に、私は「ポストコロナ社会で加速するポスト資本主義化」というnoteを書いたが、当時は年内ないし来年早々にもワクチンが開発・普及されてパンデミックは終息し、人々の生活は基本的にコロナ以前の生活に戻るものと考えていた。

 しかし、その後のCOVID-19をめぐる状況を考えると、そう単純にポストコロナ社会が来るものではないことが明らかになってきた。

 WHO(世界保健機関)はこの間、一貫してCOVID-19への楽観的な見方を牽制している。例えば、8月3日、テドロス事務局長は「現時点で特効薬はないし、今後もできないかもしれない」と、薬の開発への期待に釘を刺した。(ロイター、8月4日)

 また、香港では4ヶ月半前に一度感染して回復した30代の男性が再感染したという。(BBC NEWS、8月25日)

インフルエンザ化するのか?

 一方で、ワクチン開発をめぐる各国の動きが活発化している。だが、ワクチンの開発には普通、数年以上を要するとされており、実用化を急ぐと重篤な副作用を生じたり、効き目が限定的であったりする可能性が高くなる。現に、同じコロナウイルスによって引き起こされるSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)のワクチンはまだない。

 仮に、年内ないしは来年早々にワクチンの実用化と世界的な普及が可能になり、重大な副作用なども生じず一定の予防効果を発揮したとしても、上述した再感染の可能性なども考慮すると、ワクチンの効果はインフルエンザ並みにせいぜい3~4ヶ月にとどまるのではないかと思われる。

 インフルエンザは一般的に冬季を中心とした季節性の流行に限られるので、ワクチン接種は普通1年に1回ですむが、コロナの場合、すでに年間を通して感染することが明らかになっているので、もし感染を避けたり、感染しても重症化を防ごうとしたら、年に3~4回、定期的に予防接種をする必要があることになる。

パンデミックはもう起こらないのか?

 いずれにしろ、ワクチンが開発され、世界的に大規模な接種が行われていけば、現在のパンデミックは終息するだろう。しかし、現在も季節性のインフルエンザが毎年各地で流行し、多くの人命を奪っているように、新型コロナウイルスのワクチンができても、小規模な地域的流行は続くだろうし、命を落とす人もいることだろう。

 また、強毒性の新型インフルエンザの発生が危惧されているように、新型コロナウイルスも今後、変異を繰り返す過程で強毒化する恐れもあり、もしそうなると、今回以上の深刻なパンデミックを引き起こす可能性もある。

 結局、多くの学者が指摘しているように、COVID-19の根絶はそう簡単なものでなく、少なくとも今後何十年かは、人類はこのウイルスとの共存を強いられることになるだろう。

根づくコロナ社会の習慣と新たな生活様式

 そうすると、ポストコロナ社会においても、この半年余りのうちに世界中の人々の間で習慣化したことの多くが、そのまま根づくことが予想される。それは、うがい・手洗いの習慣やマスクの着用、ソーシャルディスタンスなどであり、もしかすると日本的なお辞儀の習慣が今後は挨拶の世界標準になるかもしれない。

 もちろん、私が先の文章で指摘したようなリモートワークの常態化と人口の地方分散化や、AI・ロボットによる人間労働の代替、ベーシックインカムの実現なども、より加速化することだろう。

 例えば、ドイツのDIW経済研究所という民間団体が、120人を募集して3年間1200ユーロ(約15万円)のベーシックインカムを支給する社会実験を始めることになった。(時事ドットコム、8月23日)これがこの間のコロナ禍と直接関係した動きかどうかは不明だが、BIがポストコロナ社会やAI社会との関連で改めて注目されるようになっていることは確かだろう。

経済のV字回復は可能か?

 内閣府が8月17日に発表した今年4-6月期のGDP(実質)は、年率換算すると-27.0%と、戦後最大の落ち込みになる見通しであることが明らかになった。世界を見ても、4-6月期GDPの年率換算は、イギリスの-59.8%をはじめ、フランス-44.8%、イタリア-41.0%、アメリカ-32.9%と欧米で落ち込みがひどく(時事ドットコム、8月16日)、アジアでは日本を除いてそれほどひどくはなく、韓国で-2.2%(8月予測値、京郷新聞8月16日)、いち早くコロナ危機を脱した中国はプラスの見通しになっている。

 いずれにしろ、コロナ禍による世界的な経済への打撃は、1929年の世界恐慌以来のものとなることは確かだろう。

 しかし、今後ワクチンが開発されれば、経済はV字回復が可能なのだろうか?

 確かに、パンデミックによるロックダウン等によって被った経済的打撃から一定程度回復することは間違いないだろう。だが、私はポストコロナ社会の経済が、それ以前の状態に戻ることは2度とないだろうと思う。

 上述したように、ポストコロナ社会はコロナとの共生を余儀なくされた社会であり、経済活動以前に、人間の行動様式がコロナ以前のものとは異なったものになると予想されるからだ。

縮小する経済

 例えば、1年「延期」された2020東京五輪は、結局中止に追い込まれざるを得ないだろう。そして、それを機に、商業主義化、ショービジネス化していた五輪そのものへの否定的意見が強まって、そう遠くない将来に近代オリンピックは終幕を迎えることになるものと私は思う。五輪のみならず、あらゆる大規模スポーツイベント、いや、あらゆる大規模イベントがその存在意義を問われることになるだろう。そして、家にいながらにして臨場感をもって楽しめるバーチャルイベントが、それらに取って代わられることになるのかもしれない。

 日本でCOVID-19が流行し始めるまで、数年間続いてきたインバウンドブームも、元に戻ることはないだろう。元々外国人観光客の75%以上を、中国、韓国、台湾、香港の近隣4ヵ国が占め、他のアジア諸国を合わせると85%に達していたが(2019年6月、政府観光局)、その比率がさらに高くなる一方、人数は大幅に減るだろう。

 国内旅行も安近短の傾向が強まり、それも大衆交通機関を避けてマイカーで出かける人が増えそうだ。

 そして既述したように、リモートワークが広まれば通勤しない人が増え、大都市圏のラッシュアワーは解消されるようになるだろう。(2016年の都知事選で小池百合子候補が公約に掲げた「満員電車ゼロ」が、今に至って思わぬかたちで実現されることになるかもしれない。)

 人の移動、とりわけ大衆交通機関を利用しての移動が減れば、それだけ経済効果を押し下げる。コロナ後の電車、バス、飛行機等の利用状況を見れば容易に想像できるだろう。

 外食産業や飲食店業もマイナス成長が避けられないだろう。その分、家で食事する人、回数が増える。祝い事なども、例えば出張シェフなどを利用する人が増えるだろう。

 家で仕事し、外出も近くへ買い物に出かける程度の生活が日常化すれば、アパレル産業も大きな打撃を被るだろう。部屋着や普段着で過ごすことが多くなれば、ユニクロ、GU、しまむら等のファストファッションで十分間に合う。ブランド品は今まで以上に売れなくなり、紳士服量販店などは倒産する会社が出てくるかもしれない。

 つまるところ、大量生産大量消費で後期資本主義を支えたサービス業を中心とする大衆消費社会そのものが、終焉を迎えるのだ。

転倒する資本主義という自転車

 私は、資本主義は自転車のようなものだと思っている。こぎ続けないと(成長し続けないと)倒れてしまう。マイナス成長はもちろん、ゼロ成長ではダメなのだ。

 21世紀に入り、その成長を担保する外縁的広がり(収奪の対象)が限界を迎え、資本主義は行き詰まっていた。それに加えて、コロナ禍は内縁的広がりにも急ブレーキをかけることになった。自転車はバランスを保てなくなって遠からず倒れることだろう。

 自転車のこぎ手はいうまでもなく人間(=労働者)だ。しかし、その人間労働もAI・ロボットに取って代わられつつある。コロナ禍はこの傾向にも拍車をかけることになる。

 自転車のこぎ手が代わり、その自転車自体が速度を失ってバランスを崩せば、もはや資本主義は成り立たない。

 よくいわれることだが、ペストの流行が中世封建社会を崩壊させ資本主義社会へと導いたように、COVID-19は資本主義を崩壊させポスト資本主義社会へと導くことになるのだろう。

 その過渡期社会の激動期をかいくぐり、ポスト資本主義社会へと軟着陸させる手段がベーシックインカムだと、私は位置づけている。


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