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賃貸住宅退去時の高額請求は支払う必要がありません。

引っ越し名人

 私は引っ越し名人で、1ヵ月以上の短期滞在を含めると、生まれてこの方32回の引っ越しを経験してきた。

 最近はワンルームマンション等を中心に、いわゆるゼロゼロ物件(敷金・礼金ゼロ)も多くなったが、昔は契約時に2、3ヵ月分の敷金と1、2ヵ月分の礼金を払うのが普通だった。礼金は文字通り、家主へのお礼のお金で、敷金はいわば保証金で、家賃滞納を担保したり、退去時に賃借人の故意や過失による損傷の弁償に充てるお金として家主に預けるものだ。

 私のこれまでの豊富な経験からいうと、敷金を家賃2ヵ月分預けたとすると、だいたい1ヵ月分ほどは退去後に戻ってくるのが普通だった。引かれた額の明細書を示されたことは1度もないが、だいたい家賃1ヵ月分くらいは差し引かれるのが慣例なんだろうな、というくらいの認識で、特にこちらとしても問題視することなく、戻ってきたお金は引っ越しに伴う諸経費の補填になると喜んでいた。

ゼロゼロ物件


 このほど、5年間住んだ岡山県内の賃貸マンションを退去し、長い私の引っ越し人生に終止符を打つべく、永住の地へ引っ越すことになった。その5年間住んだマンションは、ここ数年、夏の3ヵ月前後限定で過ごしてきた北海道のマンスリーマンションを除いて、私が初めて契約したゼロゼロ物件だった。別にあえてゼロゼロ物件を望んだわけではなく、気に入った部屋がたまたまゼロゼロ物件だったに過ぎない。

 なので、退去時には、いつものように「臨時収入」があるのではなく、逆に家賃の1ヵ月分ほどの支払が生じるものと覚悟はしていたし、そのくらいの請求が来たら、明細はさておいて、素直に支払うつもりでもいた。

部屋をきれいに大切に使う


 私は大のきれい好きで、週に3回は床拭き掃除をし、毎週土曜日に掃除機かけやバス・トイレに洗面所・キッチン回り等の「中掃除」をするのが若い頃からの習慣だ。そして、住んでいた部屋を退去するときには、塵ひとつ落ちていないほど徹底的に清掃し、家具や大型家電が置いてあった回りは念入りに磨き上げ、時には漂白剤を用いて真っ白な壁に戻す努力もした。

 日常的に、住んでいる部屋を汚さない努力も怠ったことはない。間違ってちょっとした傷をつくってしまえば、できる限り補修を試みたし、やむを得ず画鋲を使う際は、目立たない箇所に差すように心がけた。
 だから今まで、退去時には敷金の半分ほどは戻ってきたともいえよう。ただ一度の例外を除いては。

不当なクリーニング代請求で敷金返還0の経験


 その例外とは、32回の引っ越しには含まれない、都心部にワンルームのオフィスを2年間だけ借りたときのことだった。

 敷金は2ヵ月取られたのだが、退去後いつまで経ってもお金が振り込まれない。そこで大家に電話したところ、クリーニングに全額使われたと言う。家賃は4万円ほどだったので、敷金は約8万円だ。北海道で数回借りたマンスリーマンションでも、普通、一律に取られるハウスクリーニング代は3~4万円ほどなのにだ。

 しかも、私が借りたときには、カギを受け取った後、入居前に下見に行った際、偶然大家夫妻が自分たちでカーペットの床掃除をしているのに出くわしている。また入居後、たばこ臭いエアコンのカバーを開けてみたところ、もう何年も掃除していないのではないかと思われるほどフィルターにびっしり埃が付着していたし、蛍光灯のカバーを外してみたら、羽虫の死骸が何十匹と出てきた。少なくとも、私が借りる際に高額なハウスクリーニングをしていないことは確かだったので、私が納めた敷金をハウスクリーニングに使われるいわれは微塵もない。

 そこで、大家にクリーニング代の明細書のコピーを送るように要求すると、仕事仲間(夫妻は都内の別の場所で飲食店を営んでいるという話だった)の店に頼んで捏造したと思われる敷金とぴったり符合する不自然な請求書のコピーが送られてきた。

 1998年に弁護士なしで簡易裁判所に提訴することのできる少額訴訟制度ができる直前の話で、こちらはそれ以上追及できず泣き寝入りするしかなかったのだが、32回(そのうち4回は子どもの頃のこと)の引っ越しでは、こんなデタラメで理不尽な経験はしたことがなかった。

家賃4倍弱の請求額


 そこで本題。今回の退去時には、管理会社から代理業者が立ち会いに行き、カギの引き渡しをしてもらうとの連絡を受けた。過去にも管理会社なり不動産屋が部屋を確認後にカギの引き渡しをした経験は何度かあり、だいたい立ち会いは数分で済むのが常だった。

 今回もそのつもりで約束の時間に部屋で待っていると、代理業者が来て室内の点検を始めた。それが微に入り細に入る点検で、2DK・45㎡ほどの確認作業が終わるまでに1時間ほどかかった。しかし、私が驚いたのは、専用ソフトで計算された見積結果を知らされた瞬間だった。家賃48,000円、共益費3,000円の部屋に対して示された退去費用が、なんと20万円を超えていたのだ!

 心臓の弱い私は、めまいを覚えて危うく気を失うところだった。あまりの請求額に、私は「とうてい納得のできる金額ではないので、請求書と明細書を郵送してください。場合によっては知り合いの弁護士に相談します」とだけ言い終えて、ふらふらしながら5年間住み慣れた住まいをあとにした。

「誓約書」という特約


 33ヵ所住んだうち、大部分は賃貸暮らしだった。なので私も、賃借人の権利についてはひととおりの知識はある。業者が見積を示す際に示した「国土交通省の通達に基づいている」という言葉も、額面通りには受け取らなかった。

 しかし一方で、ここまで理不尽な高額請求は予想しなかったものの、私には一抹の不安もあった。それは、契約時に、契約書とは別に、「誓約書」なるものにサインさせられていて、それには畳・襖の張り替えや壁クロスや床張りの補修費、ハウスクリーニング代、エアコン清掃費等の賃借人負担が明記されていたからだ。

 だが、契約時にそのことをさほど気にかけなかったのは、たまたまそれまで5年間住んでいたマンションの管理会社と同じ管理会社の管理する物件(当時)だったからか、前のマンションの契約時にも似たような誓約書を交わしていたからだった。にもかかわらず、そのマンション退去後には、予想より多い敷金の返還を受けていたので、誓約書は形式的なものだろうという判断をしたのだった。

改正民法621条と国交省ガイドライン


 そこで改めて、関連法規等を調べてみた。
 まず、民法第621条(2020年4月改正施行)には次のようにある。


(賃借人の原状回復義務)
第六百二十一条 賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。

出典
民法第621条

 そして、国交省によって示されたガイドラインによると、「賃借人に原状回復義務がある」のは「賃借人の住まい方、使い方次第で発生したり、しなかったりすると考えられるもの(明らかに通常の使用等による結果とは言えないもの)」と、「基本的には「賃借人が通常の住まい方、使い方をしていても、発生すると考えられるもの」であるが、その後の手入れ等賃借人の管理が悪く、損耗等が発生または拡大したと考えられるもの」としている。

 これらに照らせば、私が負担すべき原状回復費用はほとんどないということになる。しかし問題は、この法律が改正されたのが2020年4月であり、私が契約したのは2018年であるという点だ。この点がどうしても気になったので、私は移住した市で弁護士による無料法律相談を受けることにした。

一気に家賃1ヵ月分を「ディスカウント」


 そうこうしているうちに、退去時に私が業者に送付を依頼した請求書の明細が届いた。ところが驚いたことに、それを見ると請求額が一気に5万円ほど(家賃+共益費1ヵ月分相当)が引かれているたのだった。「そちらが納得していない点を考慮して最小限の請求とした」と書き添えてあったが、こちらが「弁護士に相談する」と言ったために少々ビビったか、後ろ暗さゆえのこととしか思えない。

 一方、無料相談の弁護士からは、「契約が民法改正前であっても、法改正は長年の判例等が反映されてなされるものであり、より明文化したものに過ぎないので関係ない。明らかにあなたに瑕疵のある部分以外については払う必要がない」とはっきり言われ、心強い思いをした。
 
 そこで私は、普段使用しなかったため切れたのが気づかなかったレンジフードの電球(700円)等、国交省のガイドラインを参照して、明らかに私に責任の大半があると思われる項目のみ支払うことにした。

白熱電球1個に700円の請求


 ちなみに40ワットの白熱電球が700円というのも高すぎる。Amazonで検索すると、2個入りで300~400円台で売られている。LED電球(40ワット相当)でも、安いものだと2個入で千円以下で売られている。パナソニック製のLEDでさえ2個入り1,400円(1個700円)だ。相場の4倍もふっかけていることになる。

 その他の項目も推して知るべしだろう。仮に請求されたすべての項目の作業・新調を行ったと仮定してもだ。しかし実際は、前述したように、壁や襖など真っ白でほとんど傷も画鋲の跡もない状態で、畳も上にシートを敷いていたため、青い色でいい臭いもしている状態なので、全部張り替える必要などほとんどないものなのだが…。

当初請求の4分の1の額で妥協


 送金後、管理会社から電話があった。「オーナーさんもムダな争いはしたくないとおっしゃっていますが、せめてハウスクリーニング代とエアコン清掃費だけは払っていただきたとのことです。それもできないということだと、こちらとしても保証会社を通してそれなりの対策を考えなければならなくなります」という。

 ハウスクリーニング代とエアコン清掃費の請求額を合わせると、ちょうど家賃+共益費ほどの額になる。私が当初からそのぐらいは支払う覚悟をしていた額だ。それさえ支払う必要はないのだが、私もこれ以上争ってムダな時間を使い不愉快な思いをしたくないので、これで妥協することにした。実に、最初の請求額の4分の1ということになる。

賃借人の権利、現状の問題点


 論点を要約すると、こうだ。

 賃借人の権利は従来からある程度守られてきた。それが2020年の改正民法によって「原状回復義務」の範囲が明確にされ、国交省ガイドラインによってさらに具体的に示された。

 しかし、それに反するような特約事項を結ぶこと自体は違法ではない。ただ、賃借人が退去時にその特約事項を守らなくても、賃貸人が賃借人に契約履行を法的に認めさせることはかなり難しい。

 だが、大部分の賃借人はそうした法律知識がないので、特約事項を盾に取られれば、賃貸人の言うがままに精算金を支払うことになるだろう。私の例でいえば、20万円もの請求を突きつけられてびっくりし、すぐに応じず、あるいは抵抗した場合、急に1ヵ月分の値引きを提案されたら、少なくともその時点で支払ってしまう人も多いのではなかろうか? せいぜい頑張って半額まで引き下げられたら、逆に「得をした気分」になって支払うだろう。それが相手の思うつぼということだ。

賃借人の権利をもっと法的に明文化すべき


 私は、今回の体験から、賃借人の権利・義務をもっと法的に明文化し、私が結ばされたような「誓約書」や「特約事項」ははっきりと違法化すべきだと思う。そうでないと、民法621条の精神が骨抜きになり、理不尽な高額請求に泣かされる賃借人がなくならないことだろう。

 今回はいわゆるゼロゼロ物件で、請求額の高さがはっきりと分かり、かつ請求内容もつまびらかになったので、私に問題点を気づかせてくれたが、これが仮に敷金を2ヵ月分取られたうえに、さらに2ヵ月分を要求されたのだったら、私も請求額が半額程度に引き下げられた時点で納得してしまっていたかもしれない。

「敷金」を辞書で引くと「賃料などの債務の担保目的の保証金」と出ている。あくまで預かり金に過ぎないのだが、賃貸人はえてしてその目的を拡大解釈しがちだ。敷金相殺の場合も、明細書の提示をはっきりと賃貸人に義務づけるべきだろう。

 5年間住んだまちが、この一件ですっかり嫌いになってしまった。そして文字通り、「金の切れ目が縁の切れ目」になってしまった。なんとも後味の悪い、住み慣れた部屋とまちとの別れとなってしまった。

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