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「心配する」という思いやり?

日本語だと区別が難しいですね…

ぶっちゃけ、「心配する」ことを愛情表現、または思いやりだと勘違い・混同していませんか?

「心配する」ことが、本当に相手のためになりますか?

「心配してるよ」という言葉の裏に実際にあるものって何でしょう?

使い慣れている言葉かもしれませんが、言葉はエナジーです。使う前によくよく吟味した方がいいかもしれません。

というのも、ちょいと大事をくぐり抜けてきた友人がおりまして…
どうしてるかな~と「気になる」わけですよ。
そうするとその人からメッセージが来ます。
明らかにSOSの文面ではないけれど、あ、また煮詰まってるんだな、助けを求めてるんだなというのがわかります。

助けを求められたら手を差し伸べることはやぶさかではない…というつもりでしたが、今回、違和感。

「ダメだ。依存させちゃならん」

あなたのポイント・オブ・ビューがあなたの現実を創ります。

こちらの「どうしてるかな~、大丈夫かな~」、これって相手を弱い立場にいると認識してますよね? 「アタシが何とかしてあげる、アタシなら何とかしてあげられるのに」的な上から目線。もっと言うと、相手の更なる不幸という名のネタを待っている状態かもしれない。
良いいことしてるつもりでも、実際相手のためにはなってない。
しかも、重いし。

「ダメだ。依存させちゃならん」
自分のエナジーがそうなっていたから、相手に依存させてたんです。
こちらから言葉や直接の態度を相手に投げかけていなくても、エナジーでそうさせてたんです。

じゃあ、自分はその相手にどうあって欲しい?

頼って欲しい? ご冗談を。

本当にその人を想っているのなら、その人自身、本来の自分自身、ビーイングミーであって欲しいと願うのが思いやりです。
野良猫じゃあるまいし、自分を頼ってきたから可愛いなんてのは、条件付きの依存関係です。

自分はその人とどんな関係でありたい?

「だって相手がこうしてくるから…」

自分のエナジーで相手にそうさせていませんか?
言葉や直接の態度を投げかけていなくても、エナジーでそうさせていませんか?

自分のエナジーを変えれば、相手も、相手との関係も変わります。
家族でも、同僚でも。

Always Being "ME"




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