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博物館でビーイング・ミーを想う

コスタリカに来ています。連日山歩きだ、博物館巡りだと忙しく、へろへろです… サンホセでは、Pre-colonbian Gold museumとJade Museumに行ってきました。

…圧巻…!!

子供の頃、「素晴らしき世界旅行」のインディオの特集が大好物だったのです、何故か。あの頃の目のキラキラが蘇って一人大喜びしながら隅々まで見てきました。

自然をリスペクトし、スピリットと共存し、セックスに対しても妙な偏見がない。当時の生活が、発掘されたものからうかがい知れます。

…これってさぁ、アクセスが言ってることと同じなんだよね…

植民地にされ、白人(キリスト教)の価値観を押し付けられる前が、本当の姿だったとしたら…?

本当のあなたは生きる歓びにキラキラしていて、動物やスピリッツともコミュニケーションが自由自在に取れ、どんなものにも偏見を持たず、どんなことでも可能なんだとわかっていて…

でもそれが周りの影響を受けて鵜呑みにし、「そんなこと出来るわけないだろう」「こうしなきゃならないんだよ」と言われ、その通りにし、可能性をつぶし、自分を制限し、本来持っていた能力も忘れ、手放し、封印し、周りのみんなと同じように普通で平均的で標準な生き方に合わせようとして…

だったとしたらどうでしょう?
誰が悪い、あれのせいだ、という議論は無駄です。そこからは何も創造されません。

だったら、自分が本当に自分である時ってどんな感じでしょう?

今回San Gerardo de Dotaという、ケツァールが見られるという山の中に泊まりました。ケツァールには遭遇できなかったけど、毎朝1時間半ほど山歩きを楽んでました。
雨上がりでぬかるんだ山道、結構勾配もあります。周りの森が見渡せる「展望台」から、また奥まで入ると滝もあります。

その中で人間一人ですよ!

まだ日が昇り切っていない山の中を一人きり。鳥を探しながら、周りの自然の惜しみなさを堪能しながらもつもつと山の中を一人歩く。
もう先が楽しみで、嬉しくて、自然が美し過ぎて泣けてきます。

そこで蘇った記憶が2歳の頃、青森の雲谷に遊びに行った時の事。木が点々と生えているところを走り回って、とにかく楽しくてハイだった。
あれがビーイング・ミーの原点なんだろうな、と。
まだ何も「自分じゃないもの」を押し付けられていなかった。

他から押し付けられ、植え付けられた価値観、考え、常識などをとっぱらったら、他人からどう見られようが自分の歓びを大事にして生きたら、どれだけ生きるのが楽になるでしょう?

当時の白人は、インディオを未開の非文明人としか見なかったかもしれません。でも展示されていた品のクオリティはかなりのもので、当時の人達のエナジーが伝わって来ました。フィリピンも白人がやって来る前に使っていた文字がたくさんあったってこと、マニラの博物館で知ったんだよなぁ…

な~んてことも湧いてきました。
今自分ってこの程度、と思っているよりも、実は本当の自分はもっともっとすごかったとしたら?

明日はメキシコに移動です。メキシコでは何が湧いてくるでしょう…?

今後のクラスの予定
9月2日 アクセスバーズinメキシコシティ
9月9日 アクセスバーズin 福島市
10月11~14日 ザ・ファンデーションクラスin 札幌市

Always being "ME"








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