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やめるきっかけ


#私だけかもしれないレア体験

 声優を目指したきっかけ、

それは、大学1年の時、あまりに授業がつまらなかったから。

アナウンスやタレント養成の専門学校に通うことにした。

通っていた女子大は、決して第一志望で入るような大学ではなく

やる気と覇気に無縁の女子の集まりだったので、

さまざまな経験を経てきた荒削りの専門学生たちは、刺激的だった。

声優志望の私は、漫画の吹き替えを題材にして、レッスンを重ねた。

しかし、私だけ上のクラスの試験に何度も落ちて、

「こんな段階で落ちていては、プロになんかなれるわけがない・・」

と、落ち込み、ワンクールレッスンを休んだ。

この時が、やめる最初のチャンスだった。

しかし、次の試験でお情けか? 補欠で受かり、

またうきうきとレッスンに通う日々・・・・

新たな講師に教わるようになり、外国映画の吹き替えレッスンが始まった。

少しは演技らしいことも始めて、ますますのめりこんでいく。

 ついには、その講師のもと、グループを結成し、

本格的にプロを目指すことになった。

私が、会計係件場所探し係を務め、代々木オリンピック村(現代々木公園)

の中にある施設で、映写機をかりて講師を呼び、レッスンに励んだ。

終われば、必ずスナックに立ちより、将来の夢を熱く語った。

ぼちぼち ガヤ(わさわささわいでいる群衆とかの声)等の仕事も

入るようになり、夢が現実味を帯びてきた。

その頃、仲間の二人が劇団に入り離脱。

仕事が入る人、入らない人の差も出始めた頃、

数人の役者を抱えている小さな事務所の預かりにしてもらった。

グループ名も変えた。別に、売り出してくれるわけではなかったけれど、

事務所に所属というだけで、何だかプロの仲間入りしたようで嬉しかった。

しかし、停滞は続く・・・

まぁ、実力がないから当然だけれど。

人を介して、声優専門のプロダクションのマネージャーを紹介してもらい、

何とか、プロダクションに潜り込む。

しかし、たいして仕事が入るわけでもなく、

お堅い事務のアルバイトをしながら、仕事を待つ日々。

映写を見て出番を確認するためのリハーサルが、前日の夕方から、

本番は翌日 一日かけておこなう。

これが、週2本あると、仕事をしている感が増す。

 そんなこんなで、どんどん年を重ね、20代後半になった頃、

父から家を出て、独立するように宣言される。

晴天の霹靂。

家計費すら1円も入れたことのない私に、

家を出ろとな?

親の立場からみると、当然のことだけれど

慌てふためく、己のあほさ加減よ。

 その頃、芝居の出来ない自分を何とかしようと、

下北沢にある小劇団に通っていた。

芝居をやることになり、会計を任された。

勘定を間違えまいと、毎晩、窓を開けっぱなしにして、

金勘定していた。

どうも、誰かに見られているような・・・

そして、私が留守の真昼間、私が数えていた金だけが、盗まれた。

階下には、母もいたというのに・・・・

私の部屋の窓の鍵の部分だけきれいに切りとられていた。

私は、貯金ゼロだった。

顔面蒼白。呆然自失。

母は、自分が階下にいたのに盗まれたから、

自分に責任があると、全額立て替えてくれた。

母も、決して 小遣いが豊かではないのに。

 しかし、このことをきっかけに、

私の声優への情熱は、がらがらと崩れた。

母が、立て替えてくれなかったら、

私は、どうやってこの数十万円を弁償しただろうか?

そして、このまま、実家を追い出され、

三畳一間のアパートで 恨み言をぶつぶつ言いながら、

年取っていく自分の姿が、はっきり見えた。

そんなの 嫌だ。

何とかしなくては。

ちょうど、その頃、同じ業界の男性と付き合っていたが

その関係も、暗礁に乗り上げていた。

他の女性と付き合っているのは、わかっていたけれど

それをとがめる気もしないくらい、気持ちが冷め切っていた。

もう少しだ、もう少しで、未練なく、きっぱりさよならできる。

一度 別れようと決意したものの、未練が勝って、

別れられなかった経験があったので、

今度は慎重になっていた。

 盗みに入られた時、デートしていた男性が、

自分に気があると確信していたので、

えい、やぁと舵をきり、

彼との結婚に目標を定めた。

地方の人だったので、声優の仕事もきっぱり諦めた。

私は、これといった才能は何もないのだけれど、

行動力だけは、突出している。

とにかく、どんどん結婚に向けて、先手先手をうって、

結婚にこぎつけた。

大いなる力が、

「お前、そっちへいくと、崖っぷちだよ。こちらへ、戻れ」

と、首根っこをつかんで、引きずり戻してくれた気がする。

「君は平凡だから・・・」と業界の人たちによくいわれていたが、

土壇場になって、平凡な人生を、自分からひっつかんだわけだ。

 結婚してからは、やはり強引にことを勧めすぎたせいで、

環境になじめず、きついこともあった。

けれど、三畳一間の薄汚いアパートで、

背中を丸めて陰気に座り込んでいる自分を想像したら、

乗り越えられた。

才能もない私が、声優を目指したのは、

普通のOLとして、社会でやっていく自信がなくて

そこから逃げ出しだかったからだ。

逃げると、ろくなことはない。

苦労が、倍になるだけだ。

今は、嫁ぎ先の会社で、経理をまかされている。

私は、金勘定が、意外に向いているようだ。

 声優をやっていた時の、自分を封印して、

台本も、

最初で最後のアニメのレギュラーをやらせてもらった時のセル画も、

すべて処分した。

それでも、趣味で始めた声楽の発表会で

オペラの端役などもらうと、勇んで演じてしまう。

そして、歌より よっぽど評価される。

やっぱり、演技することが好きなんだなぁ・・・

もう、封印は解いてしまおうかな?

プロにはなれなかったけれど、

演技が上手な素人にはなれるかもしれない。

それくらいが、私にはちょうどいいようだ。

 泥棒には、腹がたつけれど、ちょぴり感謝かな?







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