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3章⑨自分探し

バスケ部も夏に終わり、恋愛時間も
終わって私は勉強に集中出来たので、
地元の国立大学に20倍の難関を突破
し、無事合格!

父も母も、ホッと胸をなで下ろした
だろう。

でも私には、この大学合格が1つの
「終焉」だった。

と言うのはこのまま入った大学を、
4年後卒業し、ドコかの企業に就職し、
いつか結婚し、子育て…と言う、父母
の理想を描く「普通の幸せ」に乗る
ルートだと頭では、理解出来ていた
から。

悶々と悩む

両親の期待通りの「イイ子」でい続ける
表面上の私は、大学合格で親の望む結果を
出したから「もう十分じゃん!」、「親の
期待の応えるのは終わり!」と本来の私の
真の声がこだましてた。

ウズウズと溜まりに溜まった私の内なる
エネルギーが、爆発しそうになっていた。

このまま行くのが安心・安全かもしれ
ないが、私の本当に求めたチョイス
じゃないから大学生活は、全く楽しく
ないし、ワクワクする未来が全く
描けない。

当時の社会の流れは、女子大生の進む
当たり前の普通とされる常識は、ほぼ
大多数の人が歩む、世間の流れの波と
頭では分かるが、私の中の反発心・
やり場のないもどかしい想いが益々、
くすぶりココロの闇にドンドン溜まり
続けた。

私の思春期には「反抗期」が一切なく、
父母の敷いた「普通の幸せ」の為の
レールを幼少期から大学入学迄は
「コレが正解!」と思い込まされ歩んで
いただけで、私の意志&自由な選択は
大学入学迄は皆無だったと氣づき、
愕然とした。

と言うのは、高校時代の友人や仲間は、
東京等の大都会や地元以外の離れた
都市で羽を伸ばし、自由と恋愛、一人
暮らしの大学生活を謳歌していたから。

それに比べ、実家から通う私は大学の
授業は遅刻欠席は一切せず、どれも
パーフェクトに単位を取り、2年半で
卒業に必要な単位を全て取り終えた。

大学の授業

大学の全学費を払ってくれる親は
「入ったらイイ成績で出る」のが
私の義務だと思っていて、その期待
通り「イイ子」は大学でも自然に
続けられた。

つまらない経済学の講義は「将来
潰しが効く」と言う理由で選んだ
学部で面白く感じず、単位取得の為に
選んだ心理学や社会心理学に、
とても興味が沸いた。

授業を終えたら、余った時間は
様々なバイトを経験し、お金を稼ぐ
楽しさでココロの闇を誤魔化してた。

イベントスタッフ、塾講師、家庭教師、
イタリアンレストランのサーバー等、
地元の高校・国立大学の私には、
信用があるらしく、受けた面接は全て
合格したので、割のいいバイトが
選び放題。

親の扶養を外れない程度に、とにかく
バイトをし稼げた自由なお金と時間を、
とにかく私が楽しんだのは、ココロの
深い闇の暴発に向き合わなくて済む、
唯一の憂さ晴らしだった。

人に何かを教える教育業は、躓いてる
部分にちょっとヒントを与えると、
分かろうと頑張る生徒の理解に繋がる。

その子の成長を信じつつ、ヤル気が
UPする私の思いを伝える事で、ちゃんと
結果を出してそれを共に喜べたので、
教育業に遣り甲斐を感じた。

年齢が離れてても生徒とのココロの
繋がりを感じられて、教えるコトで
私も教えられ、かなり手応えを感じ
られる楽しい時間を過ごせ、結果と
してお金も貰える教育のお仕事は
私の性分に合ってると思えた。

塾講師のバイト

大学時代、ココロの中に悶々とした
疑問・暗い闇を抱えたまま、バイトに
面白味を感じつつ、自分で自由に
使えるお金が増えたので、恋愛も
それなりに楽しんでいた。

でもココロの奥底には悶々とした
思いが日に日に増し、長年抑え続けて
た不満や鬱憤が渦巻き続け、グルグル
思考が頭を離れなかった。

「私の望む人生はコレじゃない!」
「私はどう生きたいのか?」
「私の幸せって、一体何?」

そんなグルグルと終わりのないココロ
の中に渦巻く疑問や、親の考えと
異なる自分の考える生き方が、
「今の私とは違うはずだ!」と
常にあった。

本当の私の思いと現実のギャップが
大学生の私に常にムクムク燻りまく
って、自分のココロの闇をドンドン
深めて行った。

それでも徐々に就職という、社会へ
出る時期は確実に目の前にやって
来ていた。

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