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記憶を記録する

母の記憶の中に、今、私は存在しない。
誰よりも家族を愛し、どんな時も優しく笑っていた母。
家族が母の変化に気づいたのは母がまだ60代前半の頃。
それから少しずつ、でも確実に、母の記憶は消えていって。
数年後には娘である私のことも、宝物のように可愛がっていた孫のことも、最愛の夫である父のことも、全部、母の記憶から消えてしまった。

「人は2度死ぬ。1度目は肉体的な死、2度目は人の記憶から消えた時。」というけれど。母の中で少しずつ自分の存在が死んでいく感覚を、痛みや辛さを、私は今も忘れられない。
忘れて欲しくないのに、どうすることもできなくて。
『お願いだから私のことを忘れないで…』
そう思い続けて、ただ、ただ、毎日辛くて悲しかった。
悲しくて、悲しくて、当時は自分のことしか考えられなかったけれど。
今になって思うのです。
私の何倍も何十倍も、辛くて悲しい思いを抱えて、記憶が消えていく不安と闘っていた母の気持ちと、記憶と一緒に母から消えていった笑顔を。
そして、自分が同じ病になる日のことを。
忘れたくなくても、消えていく記憶のことを。

もしも、私の記憶が消えてしまう日が来たら。
ひとつ、またひとつ、大切な記憶が消えていって、一番最後まで残るのはどんな記憶なんだろう。
最後に、消えていく記憶。

000006 13.17.16のコピー

なんの変哲もない珈琲の写真。
だけど、私にとっては特別な一枚。
この時、私には大切な人がいて、私はその人と珈琲を飲む時間を思いながらシャッターを切って。
現像データが届いてすぐに「一番に見せたくて」と写真を送った。
この写真を見ていると、撮った時の感情や、写真を送った時のやりとりや、大切に思っていたあの頃の記憶が胸いっぱいに蘇ってきて。
たとえその人が写っていなくても、写真にはその時の記憶が記録されている、と思う。

だから今日も私は、忘れたくない、私の大切な記憶をそっとフィルムに仕舞い込む。
一枚、一枚、慈しむように。
大切な人と過ごす時間を。
一緒に見た風景を。
その時の想いや交わした言葉を。
空気の湿度や匂いまでも。
ひとつ残らずフィルムに写しとって、繰り返し、繰り返し、心に焼き付けたい。
消えてしまわないように、繰り返し。
穏やかな日常を。
幸せの記憶を。
もしも自分が誰かわからなくなる日が来ても、最後まで忘れずにいたいから。



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