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幸せの王道

何年か前に
「ケイコさんはは幸せの王道を歩いているね】
と友人に言われたことがある。

確かに、優しい夫はいるし、出来た息子と、可愛い娘がいて
まあ、いいエリアの庭付きの一戸建てをもって、当時はフルタイムで仕事もあって、はたから見たら、超充実。。で、それが幸せの王道と言われる所以であったようだ。

自分が幸せの王道?にいるとき、自分は全くそんなことは思っていなくて
夫の優しさの裏返しに、拘束されて自由にふるまえない、とか、
母親としての役割、妻としての役割をこなすのに必死で、自分らしさなんて???って感じでいつも何かしら満足の薄い、むしろ、不満をもって生きていた。そして、そんなことをつぶやくと、贅沢だと怒られた。

ありがたいとは思っているし、幸せだとも思ってた。
でも、何かしら、この空いてしまった心の穴を埋めるのに、右往左往していた。

穴を埋めるには、好きなことをするしかないんだと思い、
刺激的でアドレナリンの出る場面を作ることも重要だと考えた。
ゴルフもやった、テニスもやった。食べ歩きや飲み歩き、カラオケ行って
幸せをやっかまれないように、旦那の悪口を言って飲んでくだを巻いた。

楽しみや満足感は一時的には手に入る。
あー楽しかった!また遊ぼ―
なんて言って帰ってきて疲れて眠ると
翌日は出勤の為にいやいや目を覚まし、支度して会社に行く。
会社に行けば行ったで何も嫌と思うことはないのに、

・・・・つまらない・・・・と思った。

つまらない人生を送っているつもりはさらさらないのに。

宝くじが当たった時の満足感は一時的で持続しないという。
欲しいマテリアル、好きな靴やバッグを買って一時的に満足をして、気分を上げよう。。何ていうのも流行ってたこともあったな。

自分の波動を上げるものに囲まれると幸せが持続するとかなんとかいうのも、ある意味嘘ではないだろうし、気持ちいい感覚は気持ちいいので、それはそれで、ヨシ、なんだけど。

問題は空いた穴が閉まっていなければ、どれだけ満足を投入しても
何時かは抜けてなくなってしまう、ということだった。

最終的に気が付けたのは、その心の穴を埋めるのは自分、ということだった。自分と自分にこれでいい。オッケーをだしていけることで
物で埋めなくても、他の人からの愛で埋めなくても、自分で埋めていけるということ。自己を受容することで、”足りない自分”や、”ダメ出し状態”の自分から脱することができるということだった。
自己受容が進むと、自分を等身大で生きられて「こうあるべき自分」から解放されていく。と同時に自分を大きく見せよう、としている人や、自己卑下でいっぱいな人、を見抜きやすくなる。そして、それも許容できるようになっていく。その人のその苦しみを観察できるようになる。

そして、私にとって、与えても与えても枯渇しない愛を、家族を通して学ぶことができたことは幸せの王道のおかげではある。

幸せの王道とは、その人、その人が持つ、幸せを感じること。
自己価値を上げるとそれに見合った環境になると言われているが、自己価値を上げるのは他人の価値基準に自分を置くことではなく、自己受容からはじまるのである。

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