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東京愛上 【大手町】 コミュニティの作法

皇居の周辺は1周6kmほどの距離で、緑が多く、信号が無く、ジョギングするのにちょうどいい距離ということもあって、平日休日問わず、たくさんのランナーが走っている。

このブームはもう3年ぐらいは続いているだろうか。皇居にランナーが増えるにつれ、「ランステ」と呼ばれる施設が増えている。ランナーズステーションの略で、小さな荷物が入れられるロッカーと、シャワー設備、シャンプーやリンスなどの少しのアメニティが用意されていて、1回の使用料は800円~900円というところ。
会社帰り、ランウェアに着替えて、荷物をここに置き、皇居を2~3周してシャワーを浴びて帰る。スポーツグッズの販売店や、スポーツクラブが運営しているものが多く、使いやすい。自分の多すぎる荷物をしまうのには小さすぎるロッカーや、その値段の高さには閉口するけれども、荷物を抱えて走るわけにも、汗だらけで地下鉄に乗るわけにもいかないので、皇居をランニングするときは利用している。

今年に入って、神田に小さな倉庫兼事務所を借りることにした。自分の部屋が仕事の荷物に溢れてしまっていて、生活に支障を来しだしたからだ。築50年のビルでそこそこの広さでしかも安い物件と縁があったのも決め手だった。(しかしここ数か月忙しくて足を運べておらず本末転倒もいいところである)

事務所として借りた部屋には、もともとビルの管理人が住んでいたのだという。近所に銭湯もあるんですよ、と契約のときにあいさつした大家は言った。へえ、こんな超都心に銭湯がね…。

調べてみると、A湯というその銭湯は、皇居を走るランナー向けにも施設を貸してくれているそうだ。麹町のバン・ドゥーシュという銭湯が、ランナー向けのサービスをはじめたはしりであるが、A湯も同じくそのようなサービスを提供しているらしい。

もちろん普通の人が、普通にお風呂に入るための銭湯ではあるが、一方でランナーの荷物を預かってくれて、走り終えた後にはお風呂に入れる。へえ、今度一度行ってみようか、と思って足を運んでみることにした。

ビル街の中の銭湯にランニングセットを一式もって足を踏み入れる。番台におばさまが一人。
「はじめてなんですが…ランニングで…」
というと、ギロリ、と睨まれた…というのは言いすぎか。少なくても「快」ではない一瞥。
「靴は……?」
「靴?」
「靴はもう出しましたか?」
質問の意図が見えない。
「靴は、靴袋に入れてこのかばんの中に入っていますが…」
おどおどという私にぴしゃり。
「靴は、外で袋から出して、そのまま靴箱において!」
それなりにしっかり包んでいるのに、なぜ?
「土が、ほかのお客様の迷惑になりますから、ね」
淡々と冷たく拒絶のまなざしで。促されるまま、いったん玄関に引き下がって靴を置いた。これは、まったく、歓迎されていない…ような…。
「中でスマホは使わないように」
「どんなに荷物が多くてもロッカーは一つだけ」
ぴしゃり。ぴしゃりと取り付く島もなく注意事項を伝えられて、女湯、更衣室へ。そそくさと着替えて、そのまま皇居へ走りに出た。

なんだろう、この拒絶された感じ…うーん。
走りながら、頭を悩ませていた。が、その日のランニングは至極快調で、1周を40分ぐらいで走り終えて、またA湯へ戻った。走るのは理由なく気持ちがいい。特に新緑の季節の皇居はなおさらだ。

更衣室でランウェアを脱ぎながら、ふと気が付いた。この銭湯、古いけど、とてもきれいだ。設備も決して最新のものではないし、それなりの年代を感じさせられるのだが、行き届いた感じがする。古いけど汚く感じる場所はない。すみずみまで磨き上げられている。

更衣室で耳をすますと、常連さんたちの会話が耳に入ってくる。「この時期は意外と寒いからねぇ」「今度〇〇さんとこの子は小学校入学だってよ」「あのスーパーの野菜が云々」。こんな超都心にも、人が住んでいて、コミュニティができている。何気ない会話にほっとさせられた。

と、そこへ番台で私に一瞥を与えたおばさまが会話に入り込んできた。私に対する態度とは一転、そこにはにこにこと機嫌よく常連さんと会話するおばさまの笑顔があった。

ああ、もしかすると。と、ふと気が付いた。

彼女はこの場所を守っているのではないか。それまでに来てくれていたお客さま、いやもうお客というよりかは仲間のようになった人たち。生活インフラとしての銭湯。そして裸で話し合える関係の地元コミュニティ。それらを守るために、彼女は外部からの訪問者に一定の配慮を要望しているのではないか。

あるコミュニティに新たに入ろうとする人には、コミュニティを壊さないための配慮が求められるのだけれども、単純に「お金を払い、施設を貸りる」という関係性だけだと、横暴にふるまう人間も登場してくる。
いや、そういうお金のやりとりという関係性じゃなくたって、既存のコミュニティに対して、配慮に欠けた言動をとる人間は、少なくない。

彼女は番台にいる門番だ。銭湯コミュニティを守るために、一見客にはある種の緊張感を求める。考えすぎかもしれないけれども、少なくともその存在が、コミュニティを継続させるためには大きな意味を持っているように感じた。

風呂場に入って見上げると、A湯の壁には、大きな富士山と、走るランナーの姿が描かれていた。私たち一見のランナー客にも歓迎の意を表しているようだ。
その絵を見て、長い時間を経て、丁寧に磨き上げられたコミュニティの人々が、一見客を受け入れてくれることに、ありがたいなぁという気持ちがこみ上げてきた。歓迎してくれてありがとう。だからこのコミュニティを、壊さず、傷つけないようにふるまおう。
コミュニティには作法がある。それはコミュニティを続けるための、守るための、そして受け入れてもらうための作法だ。

昔から日本にはその作法があったのかもしれないけれど、その暗黙知は薄らいでしまっている。もしかすると、今一度、それを形式知に引き上げる必要があるのかもしれない。

銭湯の湯船のお湯は、私には少し熱かった。少し熱めのお湯につかりながら、そんなことを考えていた。

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