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【Story of Life 私の人生】 第93話:社員旅行 〜 1990年ハワイ編 Part 1

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第92話:プレジャーボート 、会社がプレジャーボートを保有していた頃のお話をしました。
1989年から1993年の前半くらい迄の日本はバブル景気のど真ん中で、誰もが浮かれており、今となっては絶対に考えられないような「贅沢三昧」の日々を送っていました。

私が事務員さんとして在籍した6年半で、社員旅行は、毎年冬の「富良野スキー」に加え、冬以外にもあり、香港・マカオが1回、その後はハワイが2回、グアムが2回と、何と海外が5回もありました。1度だけ国内(母が亡くなった1989年)でしたが、その時も伊豆で「大盤振る舞い」の旅でした。
今になって思うと、私はバブル景気の恩恵を存分に味わった「ラッキーガール」だったなと懐かしく思います。
今日のお話は、そんなバブリーだった頃、1990年のハローウインの時に行った、1度目のハワイ旅行の思い出です。

通常「社員旅行」といえば、ある程度前もって時期が決まっているものだと思うのですが、この会社の場合、社長さんの「思いつき」で、ある日突然「行き先と日程が決まる」という、全く計画性も何もない状態でした(爆)
それでも海外の場合は、流石に1ヶ月位先の日程になるのですが、「他の用事が入っているから」と断わることは一切許されず、ほぼ強制的に参加しなければなりません。
ある意味、面倒ではありましたが、一方で費用は「会社が全額出してくれる」し、「楽しいイベント」だから、社員全員「まぁ、いつもの事だから仕方ない」と思いつつも、内心楽しみにもしていたことは否めません(笑)

前置きが長くなりましたが、ここからが今日の本題。
1990年のハワイ旅行が決まったのは、秋分の日の翌日のことでした。
休み明けに会社に行き、皆で始業前にコーヒーを飲んでいる時、突然社長さんが「ハワイに行きたい」と言い出し、すぐさま旅行会社に電話し始め、担当の方を呼びつけているではありませんか!
そして、その日の昼過ぎなると、旅行会社の方が沢山のツアーパンフレットを持って会社にお見えになり、社長さんと打ち合わせをし始めました。
1時間以上打ち合わせをしていたのですが、何とその日のうちに、10月30日出発、11月4日帰国の4泊6日の旅が決まったのでした。

翌朝、全社員に日程が告げられ、「明日会社にパスポートを持ってくるように」と言われたのですが…
香港・マカオの社員旅行に行った社員は、全員パスポートを取得していたので特に問題は無かったのですが、問題は、翌年1989年に入社した4人!
今では、申請から2週間程度で交付されますが、当時は交付までにほぼ1ヶ月位掛かっていましたので、出発前に間に合うかどうか、日程的にかなり微妙な状態で…
社長さんから「仕事はしなくていいから、今日中にパスポートを申請してこい!」と言われ、何と4人は、即座に帰宅させられたのでした(驚)

翌日の朝、始業前のコーヒータイムに4人から聞いた話だと、会社から役所に直行して戸籍謄本と住民票を取りに行き、預金通帳(当時はパスポート申請時に提示が必要でした)を取りに帰宅して、それを持ってパスポートセンターに行って、申請用の写真を撮り、申請窓口へ駆け込んだとの事。受付終了時間間近ギリギリで、何とか間に合ったそうで、全部終わったら、もう夕方だったそうで…
皆さんは「パスポート交付は、出発9日前の10月22日になった」と社長さんに報告したのですが、ここからまた一悶着勃発!
パスポートを取りに来た旅行会社の方から、「全員分のパスポートは、遅くとも出発2週間前までに揃っていないと困る」と言われてしまったのでした(驚)
社長さんと旅行会社で、すったもんだの大バトルが繰り返されたのですが…
まあ、この社長さんの性格だと、この件で日程変更をゴリ押しすれば「じゃあ全員キャンセル」となる可能性がかなり高い訳で…
流石に「ツアー10人分の売上がパアになる位なら」ということだったのでしょうね、最終的に旅行会社の方が折れてくれ、10月22日に残り4人分のパスポートを必ず渡すという約束をし、どうにか一件落着したのでした(汗)

当時、テレビのクイズ番組の賞品は必ず「ハワイ旅行」、すなわち、ハワイは「高嶺の花の憧れの地」だった頃です。
ましてや「一生、自腹じゃ絶対に行けない」と思っていたから、旅行が決まってから出発までの1ヶ月間、毎日ワクワク指折り数える日々が続きました。
また、今回は「ハワイが初めて」という社員が多かったこともあり、会社側でオプションツアーをいくつか組み込んでくれたのですが、お兄さん達とは毎日「自由時間は何をしようか?」と、「地球の歩き方」を眺めながら、相談するという楽しい日々が続きました。
結果として、私を含めた有志4人は、カピオラニ公園でテニスをすることになり、テニスジャンキーだった私には最高の楽しみとなりました(喜)

とはいえ、私には1つだけ問題があって…
前回の 第92話:プレジャーボートでお話しした通り、「1級小型船舶操縦士免許」の講習は、10月から毎週末行くコースを選択していたので、この日程だと土日の2回、学科講習をお休みしなければならないのです。
実のところ、かなり焦りました。
学校に相談したところ、帰国後すぐに開催される、平日夜間のクラスに振替受講させてもらうことになり、ほっと胸を撫で下ろしたのでした(汗)

そして、いよいよ出発の日。
「荷物があるから」ということで、家が近いお兄さんが、出社時に車でピックアップしてくれて、とても助かりました。
私の荷物の中には、当然ですがテニスラケットとボールが入っていたことは言うまでもありません。
ハワイ便の出発は夕方6時半なので、午後2時で会社を閉め、車3台に分乗して成田に向かいました。
3時過ぎに成田に到着すると、旅行会社の方から各自パスポートと往復のチケットを渡され、航空会社のカウンターでチェックインし、荷物を預けて出国手続き。
ゲートの中に入ったものの、搭乗まで1時間半弱くらいあったので、暇つぶしを兼ねて、搭乗口近くの食べ物屋さんで、ビールを片手に「出発式」を行いました。

飛行機に乗ると、飲み物サービスに続いて夕飯タイム。
片付け終わると、機内はあっという間に真っ暗になりましたが、私は興奮して全く眠れず…
ちょっとウトウトしたところで、今度は「朝食」だと起こされたのですが…
夕飯を食べてから、たった4時間しか経っていないので、お腹は全く空いていない!
でも、生まれて初めての「機内朝食」がどんなものか、とても興味があったので、無理矢理食べましたっけ(笑)

朝食が終わると、1時間くらいで無事にホノルル空港に到着。
空港は、いかにも「南国」という感じで、異国情緒たっぷりで気分が上がる!
入国手続きが終わり、荷物をピックアップして外に出ると、係の方が首にレイを掛けてくれました。
時計を見たら午前7時半くらいで、朝日がとても眩しかったです。

ホテルのチェックインが午後3時ということで、ツアーバスに乗せられ、ドールのパイナップル農園など、「現地観光名目」で、あちらこちらに連れ回されることになりましたが、日本時間だと真夜中だから、何しろ眠いくて。
みんなバスの中で爆睡状態でした。
お昼は、大きな宴会場みたいなホールに連れて行かれ、バイキング形式だったのですが、お腹は全く空いておらず、食欲はないし、食べ物もあまり美味しくなくて、食指も動かず。
「早くホテルに行って、シャワーを浴びたい」のに、食後はDFSに連れて行かれてしまい…
逃げ出す訳にもいかず、7時間半に渡る市内観光の「苦行」に耐え、やっと「シェラトンワイキキ」に到着したのでした。

大きな5つ星ホテルだから、とても豪華!
ロビーには、お金持ちそうな人ばかり!
「何だか、かなり場違いなところに来てしまった」という感じで、かなり恥ずかしかったです。
現地ガイドさんがチェックインしてくれ、荷物を持って部屋に行くことになりましたが、香港の教訓があったせいか、今回は全員同じフロアで一安心!
社長さんやお兄さん達は、バルコニー(ラナイ)のある、海側のお部屋でしたが、私は1人部屋だったので山側のお部屋になりました。
部屋から海が見えないのは少し残念でしたが、お兄さん達の部屋に行けば見れるし、この部屋からの夜景がとても綺麗!
お部屋もかなり広くて、ベッドもかなり大きかったので、居心地は最高でした!

シャワーを浴びてサッパリし、ハワイ初日の夕飯は、サンセット・ディナークルーズへ。
大きなロブスターとステーキが付くというフルコースディナーが用意されていて、生のジャズ演奏を聴きながらの優雅な食事でしたが、お昼のバイキングとは大違いで、かなり美味しかったです。
(皆、社長さんの船酔いを心配しましたが、無事だったみたいです)

食後は、みんなでデッキに出て、海に沈みゆく夕日を眺めて過ごしました。

ホテルに戻ってから社長さんのお部屋で2次会をすることになったので、ABCマーケットでビールを買って来るように言われ、1人で買い出しに行ったのですが…
レジで精算しようとしたら、あろうことか「年齢を証明するものを出せ」と言われてしまいました(驚)
「地球の歩き方」には、「身分証明を求めらることがあるから、パスポートのコピーを常備しろ」と書いてあり、財布に入れて持ち歩いていたので、それを出して見せると、今度は他のスタッフも呼んできて、数分間、私の顔とパスポートコピーをジロジロと見比べた挙句、突然「昭和何年生まれ?」と日本語で聞かれて、更にビックリ!
どうやら未成年の学生ではないかと疑われたようで。
パスポートの生年月日は西暦表示ですが、彼らは「西暦から25を引くと、昭和の年号になる」ということを知っていたようです。
その時27歳だったので、何の問題もない筈なのですが、正直に自分の生年月日を言うと、「OK!」と言って、何とかビールを袋に詰めてくれましたが…
「実年齢よりも、若く見られて良かったのか?」と、何とも言えない複雑な心境でホテルに戻りました(笑)
ビールを飲みながら、ビール買い物事件の経緯を話すと、一同大爆笑!
なおさら、複雑な心境になったことを覚えています。
ハワイ初日は、こんなハプニングで更けていきました。

長くなりましたので、この続きは次回お話ししようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第94話:社員旅行 〜 1990年ハワイ編 Part 2 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪


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