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【Story of Life 私の人生】 第84話:事務員さん

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第83話:初めての派遣 をお送りしました。
今日は、初めて経理の仕事を始めた頃のお話をしようと思います。

修理サービスセンターでの派遣契約が4月末で終わり、ゴールデンウイーク明け直ぐに、新しい派遣のお仕事が決まりました。
社長を含めて社員6名、社長さんと職人さん2人は親族という、小さな設備営繕業の会社で、メインの仕事は「経理」だけど、事務は1人しかいないので、会社が求める人材は、それこそ「何でも屋」さん。
だから、当然トイレ掃除やお茶出しも業務のうちでした。
母の実家が水道屋だから、ほぼ同業者だし、子供の頃に電話番をしていた経験がここで役に立つとは(笑)
「設備営繕」だから、家電よりは随分大きいけど部品も沢山あるし、掛かってくる電話の内容はちょっと前まで働いていた修理サービスセンターと似た感じ。
まさに今までの経験を駆使できる上に、経理をメインでやらせてもらえるということで「ジグソーパズルの全てのピース」が見事にハマったという感じでした。

ただ、前任の方が急にお辞めになったということで、仕事の引き継ぎは全く無し。
「経理」としての職務経歴が全くない私が、いきなり会社の経理を任されるということになったので、正直なところ戸惑いはありました。
でも、新しいチャレンジとしては申し分なく「さあ、かかってこい」的な気概があったと思います。

小さい会社だから仕訳伝票も帳簿も、入社当時は全部「手書き」でした。
仕訳伝票は、前任の方が残したものを参考にして起票し、仕入帳や売上帳は全部「万年筆」で手書きだったので、それこそ簿記3級の問題集で学んだ手順を、実際に手を使ってそのまま業務に使うという感じ。
座学=実務としてしっかり結びつけることになり、ある意味ラッキーだったと思います。
数年後に会計ソフトを導入しましたが、それまでの間は、ひたすら「文字を書く」日々が続きました。
細かい部材が多い「仕入帳」は、一つの業者さんに対する仕入合計金額がとても少ないのに、単価10円程度の細かいものが多くて、行数が多い上に検算も大変!
帳簿をつけながら、電話応対をしなければならなかったから、正直なところ一番辛かったです(汗)

また、事務職は1人だから、社会保険の手続きや、給料計算業務も、全て私が担当することになりました。
当然、これも初挑戦な訳で、手探り状態からのスタート。
これまでの履歴を参考にしながら作業していき、分からない部分がある時は、社会保険事務所や職安、税務署に教えてもらいながら、少しづつ覚えていきました。

伝票や帳簿類は、毎月1回顧問税理士事務所のチェックが入るので、税理士の先生がお見えになる時に、分からない事を先生から教えてもらうことが出来たので、とても勉強になりました。

最初の数ヶ月は、皆さんからニックネームではなく「事務員さん」と呼ばれていました(笑)
朝の始業は8時半からだったのですが、職人さん達は皆8時前には出社されていて、始業前に経費精算をすることが多かったこともあり、私も8時に出社することになりました。
出社すると、職人のお兄さん達と一緒に朝のコーヒータイムをしてから仕事を始める毎日で、わずかな時間でもコーヒーを飲みながら和気藹々とした雰囲気で1日をスタートすることで、皆さんとの距離が一気に近くなっていきました。

事務所には、社長と番頭さん(営業兼技術長の方)の席と、私の席がありましたが、お二人とも営業や現場に出ることが多かったです。
たまに職人さん達が部材を取りに戻ってきたりすることはありましたが、日中は事務所に1人だけになることが殆どでした。
そのため、電話応対は結構大変で、1件の電話を切ると、直ぐに次の電話が鳴るという感じ。
お金を数えている最中に電話が鳴り、どこまで数えたのか分からなくなってしまうことがしばしばありました(笑)
「いつまでお金を数えているんだ?」と、自分で自分を突っ込む事も多々ありましたっけ。

メインのお客さんは、某中堅建設会社の総務課と厚生課、某中堅商社の総務課だったので、受ける仕事は、お客さんの会社の事務所ビルや、寮や社宅の設備の修理。
どちらのお客さんの担当の方々は「せっかち」で「気難しい」方ばかりで、電話越しに声を聞いただけで、「誰から掛かってきているか」と、会社の「誰宛の電話なのか」が、瞬時に分からないと怒鳴られるという状態で(汗)
最初の1週間は、毎日お客さんから怒鳴られっぱなしでしたが、修理サービスセンターで鍛えられていたし、以前のようなクレームの電話は無いから、そういう意味では、結構気楽でした。
一度馴れてしまうと、その後はスムーズに取り次ぎ出来るようになりました。

修理の依頼が来ると、職人さんを呼び出す必要があるのですが、当時携帯電話はないから、ポケットベルで呼び出して、会社に連絡してもらうことになっていました。
朝、職人さんがその日のスケジュールをホワイトボードに書いていくことが決まりになっていたので、修理依頼があった現場から一番近い職人さんから連絡することになっていました。
最初の頃は結構緊張しましたが、修理サービスセンターで出張サービスマンに修理依頼をするのとあまり変わらないから、こちらも割とすぐに馴れました。

社員の半分が「親族」という、家族経営にかなり近い会社だった事もあり、アットホームな雰囲気で、社員の皆さんは「家族みたい」な感じでした。
また、私が一番の年少だったこと、社長のお子さんと同い年だったこともあり、皆さんに可愛がってもらうことが出来ました。

一方で、社長さんが「思い立ったら吉日」的なところもかなり多かったです。
急に社員旅行が決まったり、バブルの頃は「福利厚生」という名目で、突然プレジャーボートを購入したり…
その都度、社員は色々な意味で巻き込まれ、振り回されることになるのですが、どちらかというと「遊び」の要素の方が圧倒的に多かったので、「遊びも仕事のうち」と割り切って、私も一緒に楽しませてもらうことが出来ました。

この会社には、通算で6年半在籍しましたが、派遣で入社してすぐに、香港の社員旅行に連れて行って貰ったことを皮切りに、冬は富良野でスキー旅行、夏はプレジャーボート、社員旅行でグアム、ハワイなどなど…
面白いエピソードが沢山あるので、後日少しづつお話ししていこうと思います。

この会社は、数年前に社長さんがお亡くなりになり、そこで廃業しています。
私はバブル崩壊を機に、人員整理ということで退職しましたが、職人のお兄さん達とは、今でも交流があります。
30年以上経っても、相変わらずお付き合いさせて頂けるという幸せ、本当にご縁に感謝しかありません。

この会社で、たった1人の「事務員さん」として働けたおかげで、最初は資格を持っているだけで、経理実務は全く「ズブの素人」だった私が、様々な経験によって、会計、税務、労務関連の基礎を築き上げることが出来ました。
ここでの経験があったからこそ、今の私があると言っても過言ではありません。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第85話:社員旅行 〜 香港・マカオ編 Part 1 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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