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【Story of Life 私の人生】 第52話:事件勃発 〜 父の手術

こんにちは、Keikoです。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第51話:守銭奴への道 まっしぐら Part 2 をお送りしました。
持ち帰り寿司チェーン店の仕事は、ある「事件」がきっかけで、親から辞めさせられたというお話をしましたが、今日は「何故持ち帰り寿司店を辞めることになったか」から、お話ししようと思います。

仕事は本当に楽しかったし、毎日が充実していたし、お金もかなり稼いでいたから、その事件さえ無ければ、恐らくずっと続けていたと思うのですが…
アルバイトを辞める原因となった「事件」とは、父が心筋梗塞を発症し、心臓バイパス手術を受けることになったことから始まりました。

以前お話ししましたが、ここから遡ること数年前、私が中学生の時に、父は脚の脱疽を発症して、両脚の血管バイパス手術を受けていましたが、元々血管が詰まりやすい体質らしく、今回は心臓の血管が詰まってしまいました。

余談ですが、父は前回の手術後から低カロリーの食事制限があったのですが、元々肉の脂身を3食食べたい人。
一方、私の方はバセドー氏病で、高カロリー食を摂らなければならないのに、こってりした食事が大の苦手で、肉の脂身は大嫌い。
母は、父と私それぞれに必要なおかずを作ってくれましたが、父は私のおかずを食べたいし、私は父のおかずが食べたい訳です。
ということで、母の目を盗んでは、こっそりおかずを交換していました。
もしかすると、それも血管が詰まってしまった原因の1つだったのかも知れません。

話を元に戻します。
9月に入った頃から、父は「胸が苦しい」と言うようになりました。
定期通院の時に、主治医の先生に症状をお話しして、外来で色々と検査をして貰った結果、心臓の血管が詰まっているらしいということが分り、入院してカテーテル検査をすることになりました。
主治医の先生は心臓が専門だから、割と早い段階で検査入院が決まったので、その点では本当にラッキーでした。

9月の後半に入院し、カテーテルを含めた精密検査をして貰った結果、心臓の血管が3本詰まっていることが判明し、今回は心臓のバイパス手術をすることになりました。
すぐに手術の日が決まり、その日は病院で手術に立ち会うことになったので、学校に欠席届を出し、アルバイトも「父が心臓手術をするので、立ち合いのため1日お休みを貰いたい」と、店長さんにお願いしたのですが…
事件はそこで起こりました。

店長さんは、前々から父の手術の日に有給休暇を取ることになっており、予定変更が出来ない状態でした。
そこで店長さんは、本部のマネージャーに連絡をし、状況を説明してくれたのですが、結局本部のマネージャーから、欠勤願を却下されてしまいました。
その日の夜、アルバイトの仕事が終わって帰宅し、母に「アルバイトの休みを却下されてしまった」と話をしたら、母が大激怒!
翌日の朝、母は本部に電話をして「親の生死に関わる手術だから、1日だけ仕事を休ませて欲しい」と、マネージャーに抗議しました。
それでもマネージャーは「店長補佐だし、店に責任者が不在になるのは困る」の一点張りだったから、母はマネージャーに「責任者と電話を代わって欲しい」と話したところ「自分が責任者だ」と言って電話を切られたとのこと。
ここで母は完全にブチ切れて、今度は本部長宛に直接電話をしたのでした。
マネージャーとの話の経緯を本部長に全て話し、「人の命に関わる事態でも考慮できず、利益優先にするような会社だとは思わなかった。娘は金輪際仕事に行かせない!」と言い放ちました(驚)
本部長から「事情は分かったから、休んで良い」と言って貰ったようですが、母のマネージャーに対する怒りは収まらず、「とにかく、娘はもう二度と仕事に行かせない。今までお世話になりました!」と言って電話を切りました。
その日、私の授業は3時間目からだったから、母の横で一部始終を見ていたのですが…
その日から、アルバイトに行くことを禁止されてしまい、結果として誰にも挨拶も出来ない状態のまま、退職させられてしまいました(泣)

9月分の給料は既に貰っていましたが、10月に入ってから10日間は働いていたので、その分の給料はどうなるんだろうか?と思っていたら、母から「こっちが一方的に辞めたのだから、10月の給料は諦めなさい!」と言われてしまい…
守銭奴状態の私としては、3万円強のバイト代が飛んでしまったことが腹立たしく思え、また悲しくなりました。

そして、その数日後、父の手術の日がやってきました。
前回同様、父の実の兄弟姉妹が輸血要員として病院に駆けつけてくれました。
私は、叔父や叔母の軽食や飲み物の手配や、手術状況の確認などをしていました。今回の手術はかなり長くて、14時間くらい掛かり、終わったのが夜10時頃でした。

夜7時頃の段階で、まだまだ時間が掛かりそうだと聞いていたので、母と相談し、夕飯は病院の待合室で食べることにしました。
看護婦さんから、近くのお寿司屋さんを教えてもらい、折り詰めをお願いして病院に持ち帰り、叔父と叔母に食べてもらいました。

手術後、主治医の先生から説明がありましたが、今回も人工血管ではなく、父の脚の血管を使ってバイパスを作ったということでした。
とりあえず心配は無いだろうとのことで、帰宅することになりましたが、藤野の叔母は最終電車に間に合わず、我が家に泊まってもらうことにしました。
私は、翌日も学校を休み、母と叔母と一緒に病院に様子を見に行きました。
血管の漏れもなく、出血もなく、予後は良好とのことで、とりあえず安堵。
母は叔父達にお礼と報告の電話を掛け、私は叔母を新宿駅まで見送りに行きました。

持ち帰り寿司店のアルバイトを辞めてしまったから、しばらくの間は、学校が終わると真っ直ぐ家に帰る生活になり、毎日病院に父の様子を見に行くのが日課となりました。
退院までの2ヶ月くらいの間、父は前回に輪をかけて「不幸の主人公」になっており、毎日毎日「辛い」とか「痛い」とかグダグダ言い続け、母も私も、本当にうんざり状態でしたが、それでも病院にいるうちはまだ「マシ」だということは、前回の経験で良く分かっていたから、主治医の先生に「なるべく長く入院させて欲しい」とお願いしましたっけ(笑)
結局、年内に退院することが決まりましたが、母は「年中行事」が終わるまでに帰られても迷惑だと言い張り、結局父は12月30日に退院してきました。
そこから復職するまで、1ヶ月自宅療養となりましたが、ご想像の通り、父は朝からずっと「カラオケ三昧」で、母のストレスはMAX状態になっていき、我が家は再び不穏な雰囲気に包まれてしまいました。

一方、私の方はというと…
この年も、年末年始の郵便局のアルバイトを考えていたので、11月の初旬に、父の見舞いの帰りに郵便局に寄ってみたら、何と通常郵便の仕分けのアルバイトを募集しているではありませんか!
早速郵便課に問い合わせをしたら、前回年賀状の時にお世話になった方が、採用担当の方で、私のことを覚えていてくれたので、即座に採用してくれました。
学校から帰宅してから父の病院に寄り、その後午後3時から午後8時までの5時間シフトで、時給は450円。月曜から土曜まで働かせてもらうことになりました。
お陰で「家から外に出る口実」が出来たから、我が家の「不穏な空気」から逃れることが出来て、その上、お金も稼ぐことが出来るので、とても幸せ気分になりました。

時給は、持ち帰り寿司店と比べると、かなり安かったけれど、今回は責任者ではないし、接客でも無いから、かなり気楽だし、楽しかったです。
結局、郵便局のアルバイトは、翌年の3月末まで続け、全寮制の学校に進学することで卒業しました。

そうそう、持ち帰り寿司店に関する後日談について、お話ししないと。
父の手術の3日後、本部長さんが我が家に来てくれました。
マネージャーの取った態度について、母に謝罪をし、父へのお見舞いと、私の10月分の給料を持ってきてくれました。
「今回の事は水に流して、なるべく早く現場に戻って貰えないか」と言っていただいたのですが、母は「もう一切信用できないから、ダメ」と、頑なに断りました。

今回は、たまたま父が生きていたから良かったけど、もし手術に失敗して死んでしまった場合でも、あのマネージャーは忌引を却下したのかな?と思う時があります。
まぁ、母が許してくれて、同じお店に戻ったとしても、マネージャーとの関係はギクシャクしたと思うので、すっぱり辞めて良かったのかも知れませんが、本部長さんが悪い訳では無いので、申し訳なかったなぁと、今でも思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第53話:修学旅行 Part 1 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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