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【Story of Life 私の人生】 第51話:守銭奴への道 まっしぐら Part 2

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第50話:守銭奴への道 まっしぐら Part 1 をお送りしました。
今回は、郵便局の年賀のアルバイト以降、持ち帰り寿司店でアルバイトをしていた頃のお話をしようと思います。

年末年始の郵便局のアルバイトが終了した日の翌日から、次のアルバイト先を探し始めた私。
新聞配達に戻る気は無かったから、毎日お店に貼ってある求人広告を見て歩くようになりました。
喫茶店の募集はかなりありましたが、私にとっては、時給がかなり安いのがネックでした。
当時、アルバイトの時給相場は350円から400円くらいでしたが、個人経営の喫茶店の時給は、大抵300円台。
今まで400円以下の仕事をしてこなかったから、守銭奴モードになっている私にとって、最低ラインは400円でした。
「時給が高く、ある程度長時間働け、屋内で出来る仕事」を条件にして、学校帰りに商店街を歩いていると、メイン通りから少し外れたところにある、持ち帰り寿司のチェーン店で、時給500円のアルバイト募集が出ているではありませんか!
即座に飛びついたことは、言うまでもありません(笑)

面接は、本部から来るマネージャーが行うということで、2日後に履歴書を持って来るように言われました。
そして2日後、学校帰りに面接に行きました。
仕事の内容は、80%が調理、15%が接客、5%が清掃ということでした。
メインの仕事が調理だから、時給は他より高いとのこと。
ということで、他のアルバイトとは違い、1か月間の「試用期間」があり、本部で定めている条件をクリア出来ない場合は、即座に辞めてもらうという条件でした。

「調理とは、具体的にどんなことをするのか?」と質問したところ、実際に寿司を握る、巻き寿司を巻く、いなりを作るなど、「売り物になる」寿司を作ることだと説明されました。
また、食中毒を出さないよう、衛生面はとても厳しくしていて、手指消毒は当然のこと、使ったまな板や包丁は都度洗うとか、お店の中全体の清掃や消毒に常に気を使う必要があることが重要だと言われました。
「普段、家で家事手伝いをするのか?」と質問されたので、母が元独身寮の賄い婦で、調理師免許を持っていることと、子供の頃から皿洗いや料理の手伝いをしていること、我が家の「年中行事」の事を話したところ、その場で採用してもらえることになりました。
また、働ける曜日は「毎日でもOK」、時間帯はその時はまだ二年生だったから「平日は夕方5時以降ならOK、土曜は午後からOK、日曜は終日OK」とお話ししました。
スーパーマーケットの時と同様で、「土日は既に学生アルバイトが多くいるから、平日に毎日来て欲しい」ということで、月曜から金曜まで、夕方5時から9時まで働くことになりました。
土日は仕事しなくて良いということだったから、日曜日は今まで通り、新聞配達のお兄ちゃん、お姉ちゃん達と遊べることになり、とても嬉しかったです。
制服と長靴の手配があるからということで、翌週の月曜からスタートすることになりました。

初日は、店長さんから制服を渡され、紙の帽子の被り方を教わりました。
髪の毛が落ちないようにすることが大切だから、髪の毛が長い場合は結んで帽子の中に全部入れることと、前髪も帽子の中に入れなければいけないということでした。
制服を着て、紙の帽子を被って、長靴を履いてお店に入ったら、まず会社の社訓を大きい声で読み、「よろしくお願いします」と挨拶をしてから、仕事をスタートするように言われました。

次に、手洗いの方法を教わりました。
まずは「ママレモン」で、両手の指の間から、両腕の肘までを丹念に洗い、よく洗い流した後に、オスバン消毒液でもう一度洗うというものでした。
衛生に厳しいとは聞いていましたが、本当に徹底しているのだなぁと、驚いた事を覚えています。

初日は、接客がメインで、レジの打ち方や、注文伝票の書き方を教わりました。
お店の閉店時間は夜8時なので、まずお店のシャッターを閉めて、そこからお店の中の清掃を開始。
まな板、包丁、調理台、フロアなど、全部消毒液で洗い、ふきんはハイターに付けて帰るように言われました。
ちなみに、ふきんは翌朝のシフトの方が洗濯することになっているとの事でした。
掃除が終わると、レジを締める作業になり、売り上げ集計とレジのお金が合っているかどうかを確認し、売上日報を書いて店長に渡すところまでで仕事が終わりという流れでした。
初日から、覚えること満載でしたが、今までの仕事とは全く違うから、とても楽しかったです。

このお店の夕方シフトは、私の他に週3日の先輩アルバイトが2人いて、色々と教えてくれました。
話を聞くと「試用期間終了時の検定」みたいなものがあり、これがかなり厳しいという事でした。
本部から2人の試験官が抜き打ちで来て、制服の着方、帽子の被り方などの身だしなみ、社訓の読み方から全部チェックされるとの事でした。
衛生面のチェックも、調理実技も厳しいし、接客も抜き打ちで「お客に扮して」来ることがあるから、怖いと言っていました。
実際、試用期間で本採用見送りとなり、クビになる子がかなり多いと言うではありませんか!
折角つかんだ「高額時給」のアルバイトだから、1ヶ月でクビは論外です。
かなりが引き締まる思いがしましたっけ。

翌日からは、調理部分を少しづつ教えてもらいました。
まず教わったのは、押し寿司のバッテラ。
押し寿司用の型の一番下に昆布を敷いて、規定枚数のシメサバを敷いて、規定量のシャリを均等に入れて、適度な力で押す。型から出してから大きな包丁で6等分に切って、容器に入れて出すという手順でした。
包丁の使い方は、他の料理とは違って「押し切り」にしないと、寿司が崩れてしまうということを覚えました。
包丁が大きくて、最初はちょっと怖かったです。

次はいなり寿司。
ボールに規定量のシャリを入れて、規定量の具材を入れて混ぜて、油揚げの中に規定量詰める。
これは、包丁を使う必要が無いから簡単だと思ったのですが、油揚げの中にシャリを詰めるところにコツがあり、固くなりすぎてもダメ、食べたときにシャリがボロボロに落ちるようでもダメ。また容器に入れた時の「見た目」も綺麗でないとダメと、意外に難しかったです。

3日目以降、ちらし寿司、手巻き寿司、細巻き寿司、太巻寿司と、覚えることがどんどん増えていき、最後に握り寿司を教えてもらいました。

毎日シフトに入っていたから、2週間で全部覚えることが出来ましたが、チェーン店だから、手順、使用量、セットの並べ方など、何もかも全てが「規定」でした。
使うシャリの重さも、寿司の種類ごとに決まっており、許容範囲はプラスマイナス2グラム以内!
最初の頃は、秤を自分の前に置いて、1個ずつシャリの重さを測っていましたが、そのうちに感覚で分かるようになりました。
また、持ち帰り寿司だから、原則は、お客さんの注文を受けてから作り始めるのですが、注文を受けてからお渡しするまでの時間も決められていました。
夕方の時間帯は、お客さんが多いので、バッテラ、稲荷、太巻など、すぐにお渡しできる商品をいくつか作り置きすることになっていましたが、許容時間内に売れないと「ロス」としてカウントされました。
ロスが多いお店は、本部からの「指導」が入ってしまうから、店長さんはかなり神経質になっていました。

アルバイトを始めてほぼ1ヶ月が経ったある日、私の「習得度チェック」の為に、抜き打ちで本部から2人の試験官がやって来ました。
他のアルバイトの子達から、どんな感じかは聞いていたし、毎日仕事していたから、時に不安はありませんでした。
普段通り仕事をし、合格点をもらい、本採用が決まりました。

本採用となってから2週間後、私が働いていたお店の閉店が決まりました。
本部からマネージャーが来て説明があり、商店街のメイン通りから外れているという立地的な原因もあり、同じエリアの他のお店より成績が悪く、採算が取れないからとの事でした。
「折角本採用になったのに、この先どうなるのかな?」と不安になったのですが、マネージャーとの個人面談があり「同じエリアグループの、大山のお店に異動出来るか?」と打診されました。
交通費が出ないことだけがネックで、成増から大山まで、電車で直接行く方が楽で早いのはわかっているけれど、守銭奴状態の私は「定期券外の交通費を自腹で出すなんてとんでもない」と思っていました。
妥協策として、一度上板橋で電車を降りて、自転車で川越街道を20分位走れば良いかと考え、マネージャーからの打診をを承諾することにしました。

そして2週間後の2月末日でお店は閉店し、3月から大山のお店に入ることになりました。
店長さんは他のお店に異動され、他のアルバイトの子のうち1人は異動したくないからということで辞め、もう1人は中板橋のお店に異動していきました。

大山のお店は、日大板橋病院の近所だったこともあり、今までのお店よりもかなり忙しく、売り上げは前のお店の2倍くらいありました。
3月の中旬で3学期の期末試験が終わり、試験休みに入ると、店長さんから「毎日の勤務時間を長く出来ないか」と打診され、月曜から金曜の3時から9時までの6時間勤務になりました。
これまでが1日2000円、1週間で10000円だったのが、1日の稼ぎが1000円増えるから1週間で5000円も増える訳です。
新しく仕事を覚える訳でも無いし、守銭奴と化している私にとってはまさに「渡に船」、当然二つ返事で快諾したことは言うまでもありません。

春休みが終わり、三年生に進級しましたが、最低単位の履修しかしなかったから、ほぼ毎日、学校には午前中しか行く必要がなくなったので、4月以降も春休み同様、毎日6時間シフトを続けました。

4月の後半に、本部からマネージャーが来て面談することになりました。
その時「店長補佐として、アルバイト長になって欲しい」と打診されました。
フルタイムから少し欠ける勤務時間だったことと、毎日シフトに入れることが要因だったと思いますが、他のアルバイトの管理や指導もすることになります。
「ちょっと面倒だなー」と思ったのですが、時給を25円上げてくれることと、土曜日もシフトに入って欲しいとのことだったので、ここでもまた「お金」に目が眩み、承諾しました。

この持ち帰り寿司チェーン店の仕事は、その年の10月半ばまで続けましたが、ある「事件」があり、親から辞めさせられました。
仕事は楽しかったし、毎日が充実していたし、お金もかなり稼いでいたから、その事件さえ無ければ、恐らくずっと続けていたと思うのですが…
仕方ありません。
「事件」については、次回詳しくお話ししようと思います。

1月半ばから10月半ばまで、9ヶ月働きましたが、ここで稼いだお金は9ヶ月合計で70万円くらいだったから、貯金は60万円位増えていて、通帳の残高が7桁になっていました。初めて7桁の残高を見た時、心臓がドキドキした事を覚えています。

家にお金を入れる訳でもなく、自分のお小遣いで使う分以外は全部貯金していたのだから、今となっては「そりゃ貯まるわな」と思うのですが(笑)、当時の私はそれでも満足出来ませんでした。

ここで仕事をしたお陰で、お寿司関係は今でも全部作ることが出来ます。
カンはかなり鈍っていますが、この時に覚えた事は今でも役立っています(笑)

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第52話:事件勃発 〜 父の手術 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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