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【Story of Life 私の人生】 第87話:スポーツ・ジャンキー時代 Part 1 〜 テニス事始め

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第86話:社員旅行 〜 香港・マカオ編 Part 2 をお送りしました。
今日からは、私とスポーツとの関わりについて、お話ししようと思います。

ここまでのお話で、よくお分かりかと思いますが、学生時代の私は「スポーツ」や「運動」と、あまりご縁がありませんでした。
振り返ってみると、「人並み」に体育の授業に参加出来たのは、小学校四年生から高校一年生の一学期まで。
それ以外はずっと「見学さん」でした。
高校に入学した当初は、まだどうにか運動が出来た頃だったので、念願だった運動部(バトミントン部)に入部し、週2日の練習に参加出来ていましたが、バセドー氏病の闘病生活のスタートを機に、あっけなく退部する羽目に…
わずか半年間でしたから、ラケットの素振りと、試合のルールを覚えただけで終わってしまいました(泣)
臨床検査技師養成所時代は、毎朝のラジオ体操(これが体育の履修条件)だけだったし…
手術後も、通勤を含む日常の移動手段で「ママチャリ」に乗るのがせいぜいという、何とも無惨な状態の私を変えたのは「事務員さん」として6年半お世話になった、設備営繕会社の社風やカルチャーだったと思います。

前置きがかなり長くなりましたが、今日はテニスを始めたきっかけについてのお話をしようと思います。

時は昭和62年に遡ります。
当時、我が家の周辺は「都市開発」の真っ只中で、その一環で家から徒歩数分の所に、かなり大きなショッピングセンターが開業しました。
そしてその後数年以内に、区民センター、郵便局、消防署、警察署が開設することになっており、生活の殆どが「徒歩圏内」で済む状態に向かっていました。

開業したばかりのショッピングセンターには、スポーツクラブも入っており、ジム、フィットネススタジオだけでなく、プールや室内テニスコートもあり、お風呂にサウナ付きという、割と立派な設備を備えていました。
近隣住民に対する「オープン記念」と銘打った大規模キャンペーンで、入会金無料・月の会費もかなり安い状態で一次会員募集があり、ショピングセンターに買い物に行った際に勧誘されたのですが…
何しろ「断れない」性格の私、何を血迷ったのか、スポーツクラブに入会してしまったのでした(驚)
ちょうど団地に引越してから丸1年が経ち、プログラマーを辞めたばかりの頃です。
「家の小さいお風呂よりも、サウナ付きの大きなお風呂に行けば良いじゃん!」と、自分に言い聞かせて、入会してしまったことを納得しようとしていたのですが、そもそも運動する気が全く無いのだから、当然スポーツクラブに足が向くことは無くて…
実際、1年以上「幽霊会員」として会費を支払っていただけでした。

翌年の昭和63年、派遣として「事務員さん」生活がスタートしましたが、この会社のお兄さん達は、冗談抜きで「アクティブなアウトドア派」の一言に尽きる!
海、山、なんでもござれという感じで、休みといえば、夏は皆でプールや海に行って泳いだり、キャンプに行ったり、登山したり。
冬はもっぱらスキー。
家でじっとしているタイプの方は誰も居ませんでした。

当時は今とは違って、どんな会社も夏休みといえば「お盆の一斉休暇」の時代。
ということで、私もご多聞に洩れず、お盆前後に1週間の夏休みを貰うことになりました。
会社のお兄さん達から「一緒にキャンプに行こう」と誘っていただいたのですが、香港の社員旅行で皆さんのご家族とも仲良くなったとはいえ、当時はまだアウトドアとは完全に無縁状態だったから、最初の夏は丁重に「ご遠慮」させていただきました(笑)

私には田舎はないし(実家は同じ建物内で、毎日1度は帰省の状態)、旦那さんは仕事柄「盆・暮・正月・ゴールデンウイーク」は掻き入れ時だから、休みは全く取れない。
「暇だなぁー。さて1週間何して過ごそうかな?」と思っていたところに、集団会の世話人仲良しグループで「那須高原にテニスに行こう」という話が持ち上がりました。
グループメンバーの親戚が、那須高原に温泉付きの別荘を持っており、テニスコートも使えるということで、自炊さえすれば交通費以外の費用は全く掛からないという、何ともお財布にも優しい素晴らしい企画!
参加者全員、会社がお盆の一斉休暇中だったので「折角だから2泊3日の合宿にしよう」ということになり、集団会世話人メンバー9人と、別荘の持ち主の娘さんを合わせて、合計10人で行くことになり、7人乗りのワゴン車と乗用車1台に分乗して行くことになりました。
メンバーの数人は、当時テニス教室に通っていましたので、ラケットやボールは貸してもらえることになり、ウエアはTシャツとジャージを持ってくれば良いということで、その他の荷物は着替とタオル、洗面道具だけ。
リハビリ生活中に「調理師免許」を取得していた私は、「食中毒が出た場合には、責任が取れるはずだから」ということで、「自炊班長」に任命されました(爆)

さて、当日は朝7時に東京を出発し、途中休憩を挟みながら渋滞の東北道を走って7時間のドライブ。
皆で別荘の近所にある地元スーパーに行き、3日分の食材、お菓子類、アルコール類、ソフトドリンクをたんまり買い込み、午後3時頃に別荘に到着、いよいよ合宿生活のスタートです。
「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、10人いたら3倍パワーで、適材適所で大活躍!
掃除が得意な子達は、到着後すぐに全部屋を掃除し始め、あっという間に寝床のセッティングと、温泉の準備までしてくれました。
炊事班は、食材のカット、サラダを作る、煮炊きをする、食器やドリンク類のセッティングに分かれ、こちらも手際良く作業が進んで行きました。

夕暮れ時には夕飯の準備も整い、いよいよ大宴会がスタート!
本当によく飲み、よく食べ、よく喋って、よく笑って、交代で温泉に浸かって、気がついたらあっという間にシンデレラタイム!
翌日のスケジュールを話し合いながら、手分けして片付けて、布団に入りました。

翌朝は鳥の声で、朝5時半に目覚めました。
炊事班のメンバー達も起き出してきて、朝ご飯の準備開始。
ご飯派とパン派がいるので、両方出すことになりました。
「お昼に食べるお弁当にしても良いから」ということで、おにぎりを握って、サンドイッチを作り、味噌汁、ジュース、牛乳、フルーツをどん!と並べて、皆で朝ご飯タイム。
掃除チームは、一度お布団を片付けて全部屋を掃除し、風呂場とトイレも綺麗にしてくれました。

朝8時半にテニスコートに移動し、テニスタイムがスタートしました。
10人でコートは2面使うことが出来たのだけれど、半分は「初心者」か「初心者に毛のはえた程度」な訳です。
テニススクールに通っている上級者メンバー2人(うち1人は学生時代からやっている)がコーチ役となって、初心者グループの面倒を見てくれることになり、スクールに通っている他のメンバーは、1面を使ってラリーやゲームをすることになりました。

私は当然「初心者グループ」でしたが…
実はテニスは初めてではなかったのです。
中学生時代に「エースを狙え」という漫画が大流行していたことで、当時テニススクールに通っている同級生が多く、誘われて何度か1週間の短期体験レッスンに行ったことがあったのです。
私は元々左利きなので、体験レッスンの時は左でラケットを握っていましたが、中学三年生の時、バレーボールの授業で左肘の脱臼をしてしまい、「スポーツで左腕使用禁止」になっちゃって。
それ以来、球技は全部「右」を使うようになっていました。
因みにバドミントン部の時は、初心者だったこともあり、最初から右でスタートしました。
その後はご存知の通り、スポーツや運動と無縁な生活を8年位していた訳です。
テニスのボールを打つ動作や感覚は、何となく身体が覚えていたのですが、何せ向きが真逆な訳で。
ただでさえ「他の人の3倍」の時間が掛かる鈍臭い私のことです。
手と足が連動せず、側から見たら酒の肴になるくらい「面白い」状態でした(汗)

途中休憩や、ランチタイムを挟みながら、夕方4時までレッスンをしてもらいましたが、この日まともにボールがラケットに当たったのは2回位だったと思います。
一緒にスタートした初心者グループの殆どの子たちは、そこそこ打ち返せるようになっていましたっけ。

その日の大宴会タイムは、テニスの話題でもちっきり。
珍プレーや迷プレーの話題で大いに盛り上がりました。

翌日は東京に戻らないといけないので、テニスは朝8時半から昼12時まででしたが、前日よりは、少しマシになっていましたっけ(爆)
この2日間、手術後初めて「まとも」に運動することが出来たことが、何よりも嬉しかった!
そして、本当に楽しかったです!

別荘に戻って温泉で汗を流し、皆でお昼を食べてから大掃除して、午後3時に東京に向かって出発しました。
途中で那珂川に寄って少し散策して、高速で休憩をしながら7時間のドライブ。
夜10時に東京に着いて解散になりました。
「また行こうね!」って皆と約束して、各自電車で帰宅しました。

家に戻ってから、楽しかった3日間の思い出に浸っていたのですが…
「無様な右でのテニスを脱却したい」という想いがどんどん膨らんでいき、「次に皆と合宿に行くまでに、何とかしなくちゃ!」と思ったところで、スポーツクラブの存在を思い出しました。
思い立ったら吉日とばかりに、翌朝スポーツクラブの受付に行き、テニススクールの入会申込をしました。
スポーツクラブに入会してから、既に1年半近く経っていましたが、この日は初めてクラブに足を踏み入れた「記念の日」となりました。

初心者クラスは、9月から毎週日曜日の午前中に1時間、8回のレッスン。室内コートなので、雨の心配は全くありません。
8回目のレッスンで、コーチが進級するかどうかを判断するシステムとのこと。
「レッスンがスタートする迄に、せめてマイラケット位は買わなくちゃ」と思い、申し込み手続きが終わった後、すぐに池袋のテニスショップに足を運び、ダンロップの安いラケットを手に入れました。
そして、レッスンが始まる日まで、毎日ニヤニヤしながら新品のラケットを見つめていましたっけ。

そうそう、テニススクールに通うことなったことにより、無事にスポーツクラブの幽霊会員を卒業出来たことも付け加えておきます(笑)

この時点では、「せめて、まともにラリーくらいは出来るようになりたい」という程度の軽い気持ちだったのですが、結果として「テニスジャンキー」になってしまう位ハマる事になるとは、思ってもいませんでした!
長くなってしまいましたので、この続きは次回お話ししようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第88話:スポーツ・ジャンキー時代 Part 2 〜 テニスどハマり に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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