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【Story of Life 私の人生】 第76話:リハビリ生活

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第75話:対人恐怖との葛藤 をお送りしました。
今日は、学習会終了後から、就職が決まるまでの間のお話をしようと思います。

2か月の学習会終了の日、当時この法人の事務局長をされていた講師の先生から「お話がある」と呼び止められ、次回の学習会の「世話人」をお願いしたいということと、社会復帰に向けた「リハビリ」として、体力的に無理のない程度事務局で週2日アルバイトをしないかというご提案をいただき、快諾させていただき、対人恐怖の症状が完治したり、消えたりはしなかったけれど、5月から事務局とかなり密に関わるようになっていきました。
ここから約1年間は、まさしく「社会復帰に向けた、リハビリの日々」でした。

事務局のお手伝いは、私にとって初めての「事務仕事」、会誌の発送に関する業務が一番多かったけれど、会員さんの入退会名簿の管理や、会誌発送用の住所ラベル印刷で、生まれて初めて「コンピューター」という機械を使うことになりました。
覚えることが沢山あったけど、とても新鮮で楽しかったです。

会員さんの名簿入力は、コンピューターのフォームに入力するのですが、ワープロすら使ったことが無いから、最初の頃は「どうしたらスムーズに入力出来るのか」がわからず、時間ばかり掛かっていたと思います。
事務局の仕事は週2日だけだから、空いた時間を使って、ワープロの通信講座を受講することにしました。
受講料には、ワープロ1台と教材が含まれていたので、お値段はちょっと高かったけれど、家で毎日好きなだけ練習出来たことがとても良かったです。
当時はまだ50音入力していたので、今と比べると入力スピードはかなり遅かったけれど、どうにか日本語ワープロ検定3級に合格出来ました。
目に見えて仕事に生かすことが出来たから、少し自信がつきました。

会誌の発送業務は、簡単そうだけど、意外と力と神経を使う仕事でした。
まずは、ラベルに送付先を印刷して、封筒に貼り付け。
気持ちよく受け取ってもらうよう、ラベルが曲がったり、シワが寄らないように「きれい」に貼ることに気を使うことが大切だと教わりました。
次は、数千部ある会誌を、2人で丸1日かけて封筒に入れ、セロテープで封をする。
それが終わったら、郵便番号別に仕分けして、紐で纏めるのですが、これは過去の郵便局のアルバイトが大いに役に立ち、私にとっては一番得意な仕事でした。
紐で括った会誌の山は、運送業者の方と一緒に軽トラックに積んで、郵便局に持ち込みという流れでした。

回を重ねる毎に「どうやったら、効率良く出来るか」を考えていき、工夫をするようになり、だんだんスムーズに出来るようになっていきました。
その他、小口現金を検算したり、ファイリングをしたりといった「雑用」も、色々とさせていただき、とても良い勉強と経験になりました。

学習会の世話人の方は、週に1回の講習会に2ヶ月間参加させていただきました。
クラスの皆さんが仲良くなり、良い雰囲気で講座に参加して欲しいなぁ思い、勇気を出して、私の方から話しかけてみたり、色々とお話を伺ったり、講座の後にお茶を飲みに行ったりしました。
また、受講生の皆さんのシェアをよく聴き、自分と照らし合わせて考える事が出来て、同じような悩みを持つ方達と、色々とお話しすることで、共感したり、新たに学ぶことが沢山ありました。
お陰様で、このクラスの方達とも仲良くなることが出来ました。

事務局で仕事をしていたこともあり、本部の集会室で開催されていた「夜間集団会」にも、世話人としてお手伝いするようになりました。
開催は仕事が終わった後の時間帯だから、スタートは午後7時。
参加されている方は、サラリーマンやOL、大学生が殆どで、私の父くらいの年代の方から、お兄さん、お姉さん世代の方、私と同年代のOLや大学生と、バラエティーに富んだ構成で、皆さんがシェアされているお話は、当時の私にとってとても新鮮でした。

私と同級生の女性が私を含めて8人、少し学年が上のお姉さんが1人いて、皆「対人恐怖」で悩んでいたから、すぐに意気投合!
その中の1人は、私の高校の同級生と同じ看護学校を卒業し、同じ病院で働いていることが分かり、その繋がりにも驚きました。
皆で夜間集団会の「世話人」として活動するようになり、休みの日に一緒に出掛けたり、遊んだりするようになりました。
また、同年代の男性も私達のグループに加わり、一緒に食事に行ったり、海水浴に行ったりもしました。
大学生もいたし、社会人の子達も新卒1〜2年目だったから、まるで大学のサークルのノリで、とても新鮮で楽しかったです。

私が病み上がりで「リハビリ」していることを知った仲間から、就活に向けて何をすれば良いか、色々なアドバイスを貰うことが出来ました。
貿易事務をしていた友達からは、タイプライターのブラインドタッチが出来るようになると、ワープロでの日本語入力も、英文入力も楽になるから、時間のあるうちに練習しておくと良いとアドバイスして貰いました。
時間もたっぷりあったから、週に2日タイプライターの学校に通うようになり、練習しました。
その甲斐もあり、ワープロの日本語入力を英文入力に変更することが出来、入力スピードがかなり上がりました。
お陰で、ワープロ検定の2級に合格することが出来ました。

秋になった頃、集団会に参加されている方で、コンピューターのソフトウエア開発会社に勤めている方と親しくなりました。
プログラマーやSEが、かなり少なかった時代だったのですが、「今後コンピューター業界は、人材の需要が相当多くなる」というお話を聞きました。
コンピューターについて、とても興味があったので、自分なりに色々と調べてみたところ、情報処理技術者の資格試験があることが分かりました。
ただ、独学で学ぶのは難しそうだったこともあり、初心者からでも受講可能な「資格試験対策講座」を探したところ、会計で有名なTACで「第2種情報処理技術者受験講座」の第1期生を募集開始したことが分かり、早々に申し込みに行きました。そして10月から半年間、週2日学校に通うことにしました。

最初の3ヶ月は、座学でコンピューターの基礎から学び、後半の3ヶ月は、プログラミング実習でした。
言語はCOBOLを選択して、実際に自分でプログラムを書いて、コンピューターにプログラムを入力して、流れを覚えていきました。
当時、情報処理技術者の試験は、年に1回4月にしかなく、申し込み締め切りは1月の初旬だったこともあり、学校修了後の試験の受験は諦め、翌年の合格を目指すことにしました。

翌年の3月初旬、ソフトウエア開発会社の方とお話ししていた時に「試験は来年受ければ良いけど、折角半年間勉強したのだから、うちの会社を受けてみないか」という、とても有難いお話をいただきました。
履歴書を送付し、簡単な試験と面接を受けて、4月からの採用が決まりました。
ただ、その会社で使用する言語はFortran77で、学んだものとは全く違う!
また新たな言語を学び直すことになってしまいましたが、1986年4月1日から「プログラマー」として、スタートを切ることになりました。

リハビリ生活をしていた1年少しの間に、本当に沢山の出会いと学びがあり、皆さんにサポートしていただいたお陰で、社会復帰を果たすことが出来ました。
一方、私生活の方も、この1年間で、本当に色々なことがありました。
次回は、この辺りのお話をしようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第77話:苦渋の決断 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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