星に願いを

「幸福になること。人は、まちがいなく、その北極星を目指している。」

これは、コピーライター、故・岩崎俊一氏の著作『幸福を見つめるコピー』の序文の言葉だ。クリスマスの夜を思う時、いつもこの言葉が胸にある。今夜、家族と過ごす人も、恋人と会う人も、大勢の友だちと笑う人も、そして誰よりも、世界の片隅でたった一人で夜空を見上げる人こそ、その北極星を探し求めているはずだと…。

ワークショップの魔法

12月、怒涛のプログラムを何とか修了し、私はワークショップデザイナーになった。広告会社で働いていた頃から星の数ほど参加したり、あるいはサービスとして提供したりしてきたワークショップ。それを一度きちんと学んでみようと思った理由は2つある。

一つはとても単純なもの。私は今、NGO職員として働いていて、数年前から小学校でワークショップ形式の出前授業を行っている。だが、時に子どもたちのおしゃべりにかき消され、時に盛り上がりすぎて脱線し…と、正直かなり苦戦していた。ワークショップを学んだら少しはましにやれるんじゃないか、なんて、そんな淡い期待がまず一つ。

もう一つは、もっと複雑なもの。長い間、私の心を捉えていたひとつの疑問だった。私は東日本大震災後の数年間、被災した母親たちの支援としてワークショップ形式のプログラム(正確にはワークショップの源流の一つと言われるエンカウンタープログラム)を実践していたのだが、そこで見た参加者のドラマチックな変化が忘れられなかったのだ。あの頃、原発事故によって地域コミュニティを分断され、幼い子どもを抱えて母子避難した母親たちの一部は、慣れない土地で孤立し、あるいは放射線の影響におびえ、一日中カーテンを閉め切った部屋の中に閉じこもるようにして暮らしていた。

アパートの部屋から毎日忍び泣く声が漏れ聞こえてくる…と心配した保健師に連れられてきたある母親は、プログラムが始まっても最初は下を向いて震えるばかりで、心に負った傷の深さを感じさせた。ところが。その彼女が、プログラムが進行するにつれ少しずつ言葉を発するようになり、ささやかな夢さえ描けるようになり、2日間のプログラムが終わるころには生まれ変わったように、表情は明るく、生きる力を取り戻したように見えたのだ。私は、人が人に出会うことで生まれる変化に強く心を揺さぶられた。そう、あの場で起きていた“魔法”に。

──あの場で何が起こっていたのか。

あれから約7年。気が付くと私はいつもそのことを考えていた。いや、探し求めていたというのに近い気がする。では、何を?

星が教えてくれること

コンステレーションという言葉を聞いたことがあるだろうか。もともとは「星座」を意味する言葉だ。数千年もの昔から人は、本来別々に存在しているはずの星々を結びつけ、新しいかたちを見出し、さらにそこに新しい意味を見出してきた。星が星座になることによって、一角獣が、狩人が、夜空を舞台に駆け巡る壮大な物語が動き始めたのだ。そこから心理学では、この言葉が「出来事が全体の中で関連を持って生じてくること」(河合隼雄『こころの最終講義』)を意味するようになっていく。だとすると、人と人との関係も、この「星座」のようなものと言えるのではないか──と、いつからか私は考えるようになった。

もう少し、説明してみると。
昨日までお互い何の関係もなく生まれ、生きてきたと思っている者同士が、あるきっかけで出会うことによって、お互いがお互いにとってかけがえのない意味を持つ存在になる。さらに、“私”と“あなた”が“私たち”になることによって、友人、恋人、家族、あるいは仲間といった、新しい意味がそこに立ち上がってくる。共感したり、違いに驚いたり、分かり合えないことにつまづいたりしながら、対話を重ね、共に何かを創り上げていくことによって、いわば共に過ごした時間そのものによって、人は人とつながっていくのだ。そしてワークショップの場で私がファシリテーターとして、参加者として、目撃してきたこと、何度となく体感してきた「つながり」が生まれる感覚とは、まさにこの、バラバラに存在していた星が星座になる、そのことだったのではないかと思うのだ。

だからこそ。
ワークショップの中で輪に入れなくなっている誰かを早く見つけて輪に迎え戻すこと、誰一人として疎外されることなく、参加できるように場を支えること。それはファシリテーターの大切な仕事になる。なぜなら、たった一つの星がなくなっても、星座のかたちは成り立たないのだから。一つひとつの星の輝きを愛おしみながら星座としてのまとまりを見失わないことは、星座が星座としてあり続けるために不可欠なことだから。さまざまな色、大きさを持ったそれぞれの星が、互いにつながることによって生まれる新たな美しさ。それは、一つの星が欠けても絶対に生まれることはない。

三つのおくりもの

そう考えると。
あの時福島で行ったワークショップの場で何が起こっていたのかが、少しだけ分かるような気がするのだ。あれは、住み慣れた愛するふるさと、その中で自分が輝いていたはずの地域コミュニティという星座が突然失われることで、つながりを失い、闇の中を漂流していた小さな星が、新しい場所で、それまで知らなかった星と出会い、新しいつながりが生まれ…、そして、いつの間にか自分が新たな星座の一部になっていることに気づいたのではなかったか。

つながりと、居場所と、今ここにいることの意味と。

それを見出せた時、人は、たとえ闇の中にあっても、もう一度自らの力で輝き始める。そんな“魔法”が起きるのが、人が集い語り合う対話の場であり、ワークショップなのではないかと私は思う。

星に、願いを

それでは、夜空を見上げていた目をこの社会に転じた時、今夜、私たちはどんな星座を見つけられるだろうか。華やかにライトアップされた街の光の洪水の陰で、そこにひっそりと光る涙を見過ごしてはいないか。世界の片隅で消え入りそうな命の光を見落としてはいないか。

「メリー・クリスマス」。

闇に光る、かすかな光に気づいた瞬間、そして、その光にそっと声をかけた瞬間、心細く漂っていた私は、”私たち“になっている。あなたに出会えた私の世界はもう、出会う前には戻れない。果てしない闇の中で、それでも出会えた私たちはきっと、どんな星座表にも描かれていない新しい星座になれると思う。そこから、ほら、新しい物語が動き出す。

「穏やかな銀河の時代にも、流れ星は十分に一度、星空を駆け抜けるという。 つまり世界は、十分に一度は願う事を許されているのだ。
(鴻上尚史『ハッシャバイ』)

だから今夜、私はあなたに、会いたい。


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