私のこと 八幡交番の桜

去年、桜を巡るエピソードを募集していると知って、大学院通学途中で見てた八幡交番の桜の木を思い出した。

立派な一本の大木で、傘を開くように横に広がった桜の木が、交番の屋根のようで。ジブリの世界に出てくるような桜だった。大学院の修了式は9月だったので、もう何年も見ていない。まだあるだろうか。気になって応募してみた。

私にとって、あの桜の木は特別だった。


ハタチの誕生日、摂食障害を診断された。当時、34キロだった。いくつかの病院を巡って、やっと診断されたのが、たまたま誕生日だった。

「今日、誕生日なんですね。おめでとう。」

看護師さんのその言葉に、なんだかほっとした。彼女がクリニックの紹介をしてくれ、治療を受けることができた。

家庭環境や部活、当時のきっと今でいうデートDV的なもの、そういったものが積み重なっていたのだと思う。気づいたら、食べれなくなっていた。

母親と弟がサポートしてくれ、それでも大学には通い続けた。仲良かった友人たちも、特別扱いすることなく、ただ一緒に見守ってくれていた。

栄養失調状態だったから、あまりはっきりとした記憶がない。断片的に覚えているのは、闘病中の精神不安定な自分のこと。ひたすらこうなった自分を許せなかったから。死にたくて、一度だけ手首を切った。母は、はじめて私をひっぱたいた。私が病気になって、彼女自身も自分を責めていた。それがとても悲しくて、辛くて、申し訳なかった。自分が、ただただ、許せなかった。

2年間かけて、体重は10キロ以上増え、時々アームカットはあったけれど、体力も回復し、無事に大学を卒業した。友人たち、そして健康診断で異常を把握した保健センターのスタッフさんが、居場所を作ってくれたおかげだった。スペイン短期留学中、体調不良で緊急帰国したとき、大学側も精いっぱい支えてくださった。友人にも大学にも、ひじょうに恵まれていた。

その後、兼ねてより希望していた進学をした。ひとりぐらし。母は凄く不安だったと思うけれど、仲間に恵まれ、楽しくやっていた。

修士1年の夏休み。アフリカ行った後に、燃え尽きみたいな脱力感があったのか、たったひとつのお菓子を食べたことで、今度は過食症になった。吐くことができず、あっという間に体重は増えた。

同時に、アームカット増え、眠れなくなり、自ら大学の保健センターに通うことにした。どうしても、自分で病気を治したかった。

担当医とカウンセラーとの相性が合い、その後博士進学しても通うことになる。担当医は、パニックで泣きじゃくる私が来ても、まずは何も言わず、待ってくれた。事実をただ記録し、処方する、その距離感がちょうどよかった。

抑うつ感と不眠、加えて、身体がバラバラに感じる乖離の症状が酷かった。自分の体が自分のものでないように感じてしまうので、腕を切って痛みを感じるしか、生きてる感覚を得ることができなかった。だから、真夏でも長袖を着ていた。今では、傷痕はひとつも残っていない。

自分を客観的に見ることには、長けているらしく、それがカウンセリングではいい効果に働いた。少しずつ、自分の症状を受け入れることが、できるようになったから。

毎日朝が来ることが怖くて、眠れない。けれど朝は来る。そういうとき、春の日差しの中で満開だった八幡交番の桜は、すごくすごく癒しだった。優しく包んでくれるような。とりあえず、今日も頑張ろうと。そう感じることができた。夏の、青々とした緑の葉っぱも。色づいた秋の葉っぱも。寂しい冬も、その姿がなんだか心強かった。


修士を終えて、博士に進学をした春。結婚を前提とした縁に出会ったことを、桜の木の下で母に伝えた。すごく喜んでくれていた。それから、海外に拠点を移すことになり、主治医に最後の診察時にお礼を伝えた。最後、彼は一言、「がんばってください」と言ってくれた。大きな、励みだった。八幡交番の桜も、背中を押してくれているかのように、見上げれば、綺麗に包み込むように咲き誇っていた。


その後、1年7ヵ月の結婚生活を終えた。26のとき。それから自分の中で何かが吹っ切れた。増えた体重も戻り、食事も比較的安定し、少しずつ、自分自身とようやく向き合えるようになった。お肉だけは、いまだに食べれない。日本に帰国する前まで、アフリカで少しお肉を食べる練習はしていたけれど。

離婚後、ひとりで研究のためアフリカに戻り、ドイツ人マダムと2人暮らしをはじめた。彼女は日本の桜が、すごく好きだった。春にドイツに戻れば、ドイツにある桜の写真を、必ず送ってくれた。イースターやクリスマスになると、彼女の娘のように毎年プレゼントをくれた。いまでも大好きな、私の母であり友人である。結婚生活よりも、貴女との生活のほうが長いというと、彼女はすごく喜んでいた。同業者である彼女との、現場での再会は、まだ叶っていない。


就職して、実家生活1年後、ひとり暮らしをはじめた。近くの公園には、見事な桜並木がある。春になって、桜に関するエピソードを募集しているというお知らせを知った。儚く散る桜が、すごく好きで、それを眺めながら自分にとってはどの桜かなぁと思い出したのが、八幡交番の桜だった。それで、もう一度見たいと思い、応募した。


当時、海外出張中なので、ネット電話で話をさせてもらい、その桜の木がなくなったことを教えていただいた。残念だったけれど、私の想いだけは、記事に載せてくださった。記事にしていただく中で、何度もこちらのわがままを聞いてくださり、本当に申し訳なさと感謝しかない。


先週末、たまたま大学院に行く用事があり、八幡交番の前を通ってみた。交番は建て替えられ、道路も整備され、木はその面影もなにもなく、そこに桜の木はあったっけ?と思うほどだった。

改めて、自分でその目で見て、これで良かったのかもしれないと思った。過去にとらわれず、前を向いて進まなくてはと、感じたのだ。


ずっと、病気になった自分が許せなかった。それは今でも、心の片隅にある。それでも、少しずつ強みに変えていかなくてはと思う。諦めずに、強く生きなくては、と。優しい力強さで咲き誇っていた、あの八幡交番の桜みたいに。


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Keiko

出会ったひとの、言葉、声、感情、記憶を紡ぐ。歩いた場所の、音、温度、風を記す。 Twitter: @inoko1102
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