モザンビーク①
4月に大規模な被害を及ぼしたサイクロン・イダイ。5月下旬、モザンビークへ向かった。ヨハネスブルグからモザンビークへ向かう飛行機では、モザンビークの首都、マプトに近づくにつれて、サイクロン被害の跡と思える、大きく傾いた木々が見えた。
飛行機の窓から、こうやって下に広がる景色の写真を撮っている他の人を見ると、きっと同じ業界関係者なのだろうなと思う。シリア上空飛行時も。この日も、前の席の白人の女性が、”被災地”と思われる場所を、私と同じようにデジカメで写真を撮っていた。
マプトから、被災地のベイラへ移動。国連や援助関係者が集まる会議では、緊急支援の段階から復興支援へ移る必要があり、その移行期の対応が話し合われていた。収穫期を襲ったサイクロン。来年の収穫期に向けて、農地の整備や農業用資材、種子など、農業に従事する人の割合が多いため、復興支援の枠組みの中で、生計支援が必要になる。
マプト市内を歩いていても、サイクロンで屋根が吹き飛んだとみられる建物を多く見た。
(空港横の建物。初動対応時、国連がミーティング等に利用していた)
(湾岸沿いの道路。傾いた木々や電柱)
(海は茶色く濁っている。漁業へのダメージも大きい)
(教会の屋根も。近くの平屋も)
(ちぐはぐに新しいトタンが貼り付けられた屋根が見える)
(被災したギャラリー。女性たちが讃美歌を練習していた)
(昔は高級ホテルだったグランドホテル。経営不振で倒産。その後内戦時に兵士の拠点に。内戦後の今は、貧しい人々のたまり場となっている)
(屋根のない学校。子どもたちの声が、響いていた)
ベイラ市内を車で通っていると、明らかにサイクロンで被災したと思われる家屋があるが、もともと貧しいスラムのような地区では、サイクロンによるものなのかそうでないのか、判断が難しい。
もともと貧しいモザンビーク。サイクロン被災時、脅威会ネットワークを中心に人々からの寄付で、現地の人々による支援が行われていた。
日曜礼拝で訪れたこの教会も、被災。それでも被災直後から人々の寄付が集まり、困っている人へ食べものやバケツなど必要な支援を届けたという。
こういう人々のネットワーク、強さ、思いやりは本当にすごいと思う。神父さんに話を聞くと、困っている人を助けることが先だと、答えた。
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