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100,000

もうすぐ私の車の総走行距離が10,000kmに到達する。

今まで3台車を乗り継いできたが、最初の車だけ中古車だった。

中古車でも40,000km走っていた車で、9年乗って最終的には130,000kmほど走っていたように思う。

そう考えると、新車で100,000km走ったくらい2度目のことだし、特に何も思わないのだが

なんとなく新車の20kmから始まった100,000kmはとてつもなく思いが深い気がする。

最初の車が9年乗って90,000km、今回の車が約7年乗って100,000kmである。

期間的にだいぶ短い間に走破してしまった。

そもそも最初の慣らし段階の1,000kmを2週間ほどで乗り終えてしまっている事自体でお察しである。

新車一ヶ月点検(新車の場合、最初の1,000kmを走り終えた時点で点検する)がすぐにやってきた。

私も運転していて楽しかったのだが、ほとんどオットが運転していた気もする。

今でこそ同じ車に乗っているが、そもそもはオットが欲しくて試乗に行ったはずなのに

私が先に買ってしまったのでオットには少し我慢させる結果になっていた。

昔は100,000km走ってしまうともう車も買い替えを推奨されていたものであるが、

今はだいぶ技術も進歩しているし、少しガタの来ている場所も多々ありつつも

メンテナンス&リフレッシュである程度維持できそうである。

本来であれば買い替えも検討すべきなのだろうけど、

個人的にはこの車というより、個体が好きなので買い替えは全く考えていない。

初期型の個体なので、今の車よりも遅れをとった仕様である。

スタイリッシュさは変わらなくても、中身は現行で販売されている車よりも劣る部分も、むしろ多いと思う。

それに付け加えて100,000kmも走ってしまった。

これは考え方なのだと思う。

100,000km「も」走ってしまった。というネガティブな感情もないとは言い切れないが

よくぞ私たちと100,000km「を」過ごしてくれた。というエモい感覚の方が多い。

距離をずっと見ていたわけではないので、○kmの時はこうだった!と断言することはできないが

一緒に今まで行ったことのなかった土地へ行ったな、とか

オットとケンカした時に一緒にいてくれたな、とか

嬉しくて屋根を開け放って走ったな、とか。

色々思い出すと、なんだかグッとくるものがある。

新車のピカピカな車と比べたら劣るような車だと思う。

さまざまなパーツを変えたし、傷も凹みも正直言ってたくさんある。

中古市場では価値が薄い車でも、私にとっては価値のある車であり個体なのである。


100,000kmを超えてから維持する方にお金がかかると言われて不安になり、手放してしまった初代の車。

あの時の私にはそれしか道がなかったとしても、勿体無いことをしてしまった気もする。

しかも売るのではなくて、私の独占欲のせいで廃車にしてしまった。

他の人にもう運転して欲しくないから。

おかげで、コーションプレートやエンブレムは手元に戻った。

だけど、それでよかったのだろうかと今更だけど思うこともある。

車の気持ちは、きっとずっと走っていたいと思っていたのではないかな。

もし廃車にしなかったら、この人気が再燃している今でも走っていたかもしれない。

申し訳なさもありつつ、今の車の100,000kmを迎える。


あの時のようにネガティブな気持ちではなく、100,000kmをお祝いしてあげたいと思う。

今度こそ、直す方にお金がかかったとしても、それでもいいよと言ってあげたい。

すでにガタガタな私の個体。

すぐに治せないかもしれないけど、ちゃんと治すようにするからね。

初代に対しての思いをもう一度思い出させてくれてありがとう。

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